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道にまようというのは、たしかにそのさいちゅうはあせったりびびったりするけども、あとからかんがえてみると、あれはあれでなかなかたのしい。ああでもないこうでもないと考えに考えぬいて、そうしてさらに深みにはまってくというのはドキドキする体験だよね。おれなんて、それがあまりにたのしいものだから、それで道をおぼえないようにしている。道なんてほんとは、おぼえようとすればいくらだっておぼえられるのだ。いいですか? わたしはわざとおぼえないのです。道にまようのがすきだから、それでおぼえないようにしているのです。そこのところをまちがえないでください。‥‥ごめんなさい、うそです。たんにバカなだけです。おぼえたいんだけどおぼえられないんです。たぶん、ふだんマチをさまよっているときに、ぜんぜんべつなくだらないことばかり考えてるから、それで道をおぼえないんだとおもう。ふらふらマチをあるいていたら「おとこ教室」なんていう看板にでくわして、うわ、なんだこの看板は、なんてよくみたら「おこと教室」だったりして、それからあと五分くらいひとりでわらってたりとか、そういうことばかりやってるから道をおぼえないんだとおもう。あと、道ですれちがう女の子のスカート丈のながさについてひとつひとつ考察をくわえてるから、そのせいもたしょうはあるかもしれない。いちおうこれはおれのライフワークなので、するどい観察とふかい考察をくわえないわけにはいかないので、そんなせいもあって道をおぼえない。たとえばよのなかの道をふたつにわけちゃって、男道というのと女道というののふたつにわけちゃって、男は男道だけをあるくようにしたら、これはもうおれは男道のすべてに精通できるようになるだろうとおもう。自信をもっていえるけど、おれが男道でまようことは、まずないです。ぎゃくに、なにかのまちがいで女道にまぎれこんでしまったりしたら、これは道にまようどころか路頭にまよってしまいそうな気はすごくする。
そういえば浪人をしてたころ、カネはないんだけどヒマだけはあったので、ずいぶんとよく予備校のあたりを女の子と散歩した。その散歩コースに石段があって、男坂というなまえがつけられていた。あるとき、この男坂をのぼりながら、つれの女の子がどこからきいてきたのか「このちかくに女坂っていうのもあるらしいよ」といいだしたので、それからわれわれは女坂の探索をはじめたことがある。さんざん道にまよってとうとう女坂をみつけたとき、冒険小説の主人公になったような気ぶんがした。その女坂の石段を手をつないでのぼりながら、あたりにひとがいないのをみはからって、おれは彼女をひきよせてながいキスをした。女坂のまんなかで。そうしてあのときからおれは、道にまよったままな気がする。
‥‥あ、ごめん、これでおわったらちょっとかっこつけすぎだよね。ごめん。ほんとはうまれたときから道にまよってます。ハイ。それはもうみとめます。
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