とり  サンキュー6

 おれの名は有賀泰三、あだなはサンキューである。そもそもおれが大学でロックのサークルに入部をしたのは、これといってたいしたりゆうがあったわけでもない。入学式からみっかばかりすぎたあとの午後である。本館のアーチをくぐって学生食堂につきあたり、その裏にはなにがあるのかとためしにそっちのほうへ足をむけると、こきたない建物がある。壁には巨大な富士山の絵がペンキでかきなぐられており、富士のよこにはのぼる朝日があり、そのさらによこにしろいペンキでOPUSと文字列がある。これはどういう意味かとたちどまり、しげしげとながめていると「キミ、新入生?」と女に声をかけられた。はあ、いちおう、とこたえると、ならばこっちへきて話をきいてくれと女にいわれ、のこのことあとをついていくとOPUSの部室に招じこまれた。どうもおれは子供のころから、女とみるとあとをついていくへきがある。六畳ほどの板ばりの部屋だがなかはアンプやドラムの類が天井までうずたかくつみあげられていて、天井には黒田寛一とこれもペンキでかきなぐりがある。音楽のサークルの部室だというのはひとめでわかったが黒田寛一とはだれなのかわからない。とにかく、よくよく落書きのすきな部員のいるらしい。落ち着きがないといえばこれほど落ち着きのない部屋もない。部屋のなかみのほとんどを音楽の道具が占領していて、人間がいる場所などほとんどない。機材のほかは背もたれのない安物の丸椅子がみっつならんでいるばかりだ。そのうちのひとつに女はこしかけ、もうひとつをおれにすすめた。それから女はロックはすきか、とおれにたずねた。べつだんすきでもないが、きらいというわけでもない。はあ、まあ、とくちごもっていると、ひとまずここに学部学科と名まえをかいてくれ、とノートをひろげた。ノートには縦に二本の線がひかれていて、ひだりに名まえ、まんなかに学部と学科、みぎにロックの世界ではしられた名が、うえから順にかきこまれている。筆跡はそれぞれちがう。どうやら勧誘されてここにつれこまれた新入部員が順ぐりにそれをしるしていったものならしい。ページをめくってながめると四ページにわたってそれがつづいている。しばらくおれがそれをながめていると女はしびれをきらしたのか、じぶんのかばんからシャープペンシルをとりだしておれにてわたす。ここに名まえをかいたからといって、いますぐ入部しろっていうことじゃないから、と桐たんすみたいな声でいう。はあ、とおれはこたえ、名簿の最後に有賀泰三、文学部ドイツ文学科、とつけくわえた。それがおれの、入学金をおさめたおれの学部学科である。ついでに、すきなバンドがあったらそのとなりにかいといて、と女がいう。これにはすこし思案した。なんとかいたものか、とっさにおもいつかなかったからだ。じつをいえばおれはAC/DCがだいすきだったのだが、こういうところにすなおにそうかいてしまうような人間ではおれはない。ほかの連中はなにをかいたのかと、ためしに名簿のおれのうえのやつのしるしたのをみると、ポリスとある。そのうえにはスライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンとある。そのうえはドアーズで、そのうえはジェフ・ベックで、そのうえはローリング・ストーンズだ。なるほど日本は戦争にまけたのだとおもう。さて、ならばおれはどうするかとかんがえた。ローリング・ストーンズだのレッド・ツェッペリンだのとありきたりなのはかきたくなかったし、だからといってだれもしらないようなバンドをかくのもイヤミである。かんがえるうちキッスをおもいついた。中学三年のときにキッスの真似をしたことがある。キッスのすきなやつがクラスにいて、さそわれてわけもわからずメイクをして、ついでに灯油をくちにふくんで火をぷうぷかぷうぷかと三度ふいた。ところが三度めに火をふきそこなって髪の毛に引火し、ひどい目をみた。焼けこげたアタマで家にかえるとそのアタマはなにごとかと両親にたずねられたので火をふきそこなったのだと説明をすると、父親はげんこつをくれ、母親はなんと馬鹿な子をうんでしまったかとあきれ、灯油の味はひどかったし、そんなこんなでメイクと火ふきはやめてしまったが、とにかく真似をしたことがあるくらいだからこれならノートにしるしてもどこからも文句はあるまい。そうかんがえてキッスとかいた。するとこれをみた女が、へえ、キッス、ととたんになれなれしい態度になって話しかけてきた。あたしも中学のときすきでさあ、ほら、あたしが中二のときだから、いまから八年くらいまえか、春やすみに来日したでしょ、あれいった? ときく。おれがくびをふると、ふうん、いかなかったの、おもしろかったよ、コールド・ジンって曲あるじゃん、あれがすきでさあ、としゃべりだした。きいてるうちにだんだんおれはキッスなんかすきでもなんでもなかったような気がしてきた。そもそもかんがえてみればキッスがどんな唄を唄ってたのかもしらない。コールド・ジンというのもいかなる曲かわからない。これはまずいことになったとおもったが女はおかまいなしに、あたしのしりあいの子でねえ、ジーン・シモンズにやられちゃった子がいてねえ、とひとりでしゃべってひとりで興奮している。おれはキッスの話などしたくもないし、だれとだれがセックスをしたなんていう話をききたくもない。こまっているとそこに男がふたり、はいってきた。なるほどロックの格好だ。髪をだらしなくのばし、きたない格好をしている。エアロスミスのようである。なんだオナコ、新入生か、とエアロスミスのかたほうの男がこえをかけ、そうなんですう、と女がこたえたので、女はオナコとよばれているのだとはじめてしった。楽器の機材があまりに場所をくうために、部室の定員は三人である。オナコさんはじゃあきみ、もういいよ、あしたの夕方六時から本館の1027で新入部員をあつめてミーティングがあるから、そこで自己紹介をしてもらってバンドも組んでもらうことになってるのね、だからきてみて、1027だよ、六時だよ、とおれをおいとばした。以上がおれがオパスにかかわることになったきっかけである。

[23,02,2000]