●むかし、小学館の

スピリッツネットというBBSがあって、ていうかいまもあるのかもしれないけど、とにかくかつてたしかにあって、わしがそこで2400ボーという通信速度でちんたらとパソコン通信をやらかしていたとき、そこに1Q3というハンドルネームの偉大な先輩がおられて、わしのような小便小僧はもう、ただひたすらにひれふすしかなかったんだけれども、この1Q3というのはもう、とことん悲惨なひとで、その書き込みの人気シリーズに「×回目の見合いに失敗した」シリーズというのがあって、つぎからつぎへと見合いに失敗しちゃうんである。それはもう、みごとに失敗しちゃうんである。そんで、そのてんまつを書き込んでくるんである。しまいにはもう、読んでるわれわれとしては、失敗するのをねがうほかない。「こんどは○月×日に見合いやります」と書き込んでくるたびに、1Q3の在住する方角をむいて、こんども失敗しますように、なんていのっちゃうのである。はは。え〜と、1Q3、読んでる? 読んでるわきゃないよね。はは。1Q3、フトドキモノがこんなとこでこんなこと書いてますよー。はは。でも、1Q3はエライひとだからきっとゆるしてくれるだろ。そんで、なんで1Q3の話なんかをいきなりおっぱじめたかというと、どういうわけかというか、あたりまえというか、この「1Q3」というハンドルネームを、ほとんどのひとが「IQ3」だとおもっちゃうんである。だっておれだってさいしょ、そうおもってたもん。「うわ、アイキュー3だって、すげえ名まえつけるよなあ。いくらなんでも3は低いよなあ」とか感心してたもん。たぶん、たいていのひとはそうだったんじゃないかとおもう。そんで、ある日、「I」ではなくて「1」だとしって衝撃をうけるんである。「アイ」ではなくて「イチ」。「アイキュ〜サン」ではなくて、「イッキュウサン」。まあ、一回おぼえればたいてい、もう二度とまちがえないから、おぼえちゃったひとはいいんだけど、この通信の世界というのは、あとからあとから新人があらわれる。場所は小学館のネットワークである。毎週毎週コミック雑誌で宣伝してるBBSである。あとからあとから新人があらわれる。もちろん新人だから、こまかいことまではわからない。そういうひとたちがみんなして、「IQ3」とかれをよぶ。1Q3も、ふだんはいいひとなんだけど、見合いにしっぱいして気ぶんがむしゃくしゃしてることもある。そんなときは「わたしはIQ3ではなくて、1Q3ですっ、いくらなんでもIQが3ではあんまりではないですかっ」とか怒ったりしちゃうんである。それでも、あとからあとから新人があらわれて「IQ3」「IQ3」とやらかすんである。キリがないのである。みずからまいたタネとはいえ、あれはアワレでした。ほんと、ナミダなしには語れません。だから、読むほうも、ナミダなしに読んではいけません。はは。とかなんとかいいながら、どうもこの「ぽいう」もあやしいらしいことに気づいた。「ぼいう」とひじょうににかよっているらしい。はは。おもしろいからこのままにしとこう。ええと、とうとつですがみなさん、「ぼいう」は許容します。カタカナの「ボイウ」も可。わたしはこころがひろいです。許容します。でも一線はひいとかなくちゃいけません。ということで、「ぱいう」および「ばいう」は反則とさせていただきます。そういうことでひとつ、よろしくおねがいします。ぱいうぱいう。

●芸名をつけようと

いう話になった。って、いきなりここからはじめたら、話になったもなにもないな。なんのことだかわからんな。ええと、ずいぶんまえなんだけど、娯楽でやっていたバンドで、ミュージッシャンたるもの、芸名のひとつももっていないようではイカンのではないか、というロンギがメンバーのあいだでたたかわされて、そうしてそれぞれが芸名をつけようという話になった。ほんとうは、ロンギもへったくれもなくて、ただたんに、ひまつぶしにそういう話をしただけのことである。まずサメジマくんが「おれはコバーン鮫島にしてくれ」といいはなった。そのこころは、と問うと、「コバンザメだ」とのことであった。むろんわれわれ一同ひっくりかえった。それからおれが「香港マサオにする」と宣言すると、そのこころは、と問われた。「香港マカオ格安ツァーだ」とジマンげにいうと、一同しんとしずまりかえった。うすらさむい空気がただよった。いまもバカだが、このころからおれはバカだった。それからギターのヤスダだが、こいつは問答無用で「西川口泣男」ということになった。西川口在住の彼女がいて、おまけに酔っぱらうと泣くからだ。「それはあんまりだよう」とナキオは主張したが、問答無用であった。さいごにボーカルの林くんだが、「おれは自殺にする。林自殺だ」といった。いきなりなんか、マジな感じになってしまって、その話はそれでおわった。林くんはときどき、そんなふうに、意味もなく「死にたい‥‥」とつぶやく男だった。自殺願望の男だった。この自殺くんが、一時期、たしかすきな女の子にフラれたかなんかだったとおもうけど、ひどく落ち込んでいた時期があって、くちをひらけば「死にたい」だの「生きていたってしょうがない」だのと、そんなことばかりつぶやいとる時期があって、つぶやきたいやつにはつぶやかしときゃいいのだが、そのうちバンドの練習にもあらわれなくなってしまった。メンバーのだれにもなんの連絡もない。音信不通のままである。そういえばこのところ、いつもの三倍ぐらいはくらい口調で「死にたい‥」とつぶやいてばかりいた。これは、もしや‥‥というかんじで、おれたちはかなりびびってしまった。そのころ自殺くんは所沢にすんでいて、おれは江古田にすんでいて、おなじ西武池袋線だということで、おれが自殺くんのアパートに偵察にいかされることとあいなった。これはものすごくイヤなニンムだった。ほんとに死んでたらどうしよう。第一発見者とかいって、警察につれてかれちゃうんだろうな。それいぜんに、ともだちが死んでるのをみるのって、どんな気もちなんだろ。どんな顔して死んでるんだろ。舌とかだして死んでたらやだなあ。夢にみちゃうよなあ。そんなことをかんがえながら自殺くんのアパートへあるいた。ゆううつな道のりだった。また、かれのアパートまでの道にはあちこちに竹ヤブだとかハヤシだとかがあって、なかにはいい枝ぶりの木もあったりして、いまにもそのへんで自殺くんが首をくくってそうで、林自殺とはよくいったもんだ状態であらわれてきそうで、こわくてしかたなかった。そんなこんなで自殺くんのアパートに到着した。無言だったらどうしよう、もし返事がなかったらそのままかえっちゃおうか、などとおもいなやみつつ、おそるおそるドアをノックをすると、自殺くんはそこにいた。幽霊ではなかった。生存しておった。ピンピンしておった。おまえ、バンドの練習にもこないで、なにやってたんだよ。たずねると、「え、練習なんてあったの? おれ、ずっとファミコンでゲームやってたよ。ドラゴンクエストっていうんだけど、これ、すげえおもしれえよ、えんえんやっちゃうからおもえもやってみ」とのことであった。自殺するまえにおれがキサマの息の音をとめてやる、ととっさにおれがかんがえたのは、あるいはむりもないことであったかと、こういう事情があるのだからということで、どうかおおめにみてください。ぽいう。

●そうしてことしも

この日がやってきた。12月4日はフランクザッパの命日だ。
●フランクザッパが死んで、6年がすぎた。死んだあともニューアルバムがぞくぞくでて、このまま死後10年たっても20年たっても新作がリリースされつづけるのか? と心配になったけど、とうとうことしはでなかった。とおもう。しらんけど。とりあえずおれはCD屋へいくとザッパコーナーを確認するのがクセになってるんだけど、おれのチマタでは、さいきん新作はでていない。
●かれが死んで6年もすぎたというのに、おれはいまだに、かれをかたろうとするときになんといったらいいものか、言葉がでてこない。生きてるときもそうだったけど、死んで6年もたつっていうのに、いまだに混乱しちゃうっていうのはこまったことだ。フランクザッパほど、なんと評したらいいものかわからないひともすくない。ともかく、ただひとつだけ、「かれは偉大だった」と、これだけははっきりとおもう。
●フランクザッパが死んだときかされたとき、これでじんせいの楽しみがひとつ、かくじつに減ったのだなあとがっかりした。でも死んじゃったものはしょうがない。とりあえずおれはきょうは、ザッパの音楽を聴いてすごしています。仏壇に「グランドワズー」とか「シークヤブーティー」とかザッパのCDをなん枚かそなえて、線香たててチ〜ンとひっぱたいておがんで、それからCDを5枚ほど聴きました。でもあと80枚くらいある。これだけとってみても、バカげてるほど偉大なひとだったなあとおもいます。
●追悼フランクザッパ。

●どうして映画館と

いうのはあんなにねむいんだろう。きょう、みちをあるいていたら映画館にでくわして、ポスターをながめたらちょうど開演時間のやつがあったので、ついふらふらとなかにはいってしまった。いちばんうしろの席にこしかけて、こしかけたとたんに「ああこれはやばい」と気づいた。「これはまちがいなくねむる」と確信した。そんなしょうもないことを確信してもますますどうしようもない。まさか券うりばにもどって「よくかんがえたらおれ、ねむかったんです、おかねかえしてください」とはいえない。覚悟をきめて運命にまかせることにした。あんのじょう、おれの記憶は予告編を3本みたところまでである。
●しかし映画館というのは、なんだってあんなにねむいんだ。そして、なんだってあんなに気もちよくねむれるんだ。きょうだって、2時間しかねていないのに、9時間くらい熟睡したようなメザメだった。1800円のモトはじゅうぶんとれたような爽快なメザメだった。「またぜったい映画館でねむろう」とこころにちかってしまうようなステキなねむりだった。そんなことちかってるからねむっちゃうのかもしれない。もう、条件反射みたいに。いぜんはそれほどでもなかったんだけど、いまはもうぜんぜんだめ。まともにさいごまで映画をみれる気がしない。きょうなんてとくにひどかった。席にすわったとたん、ねむくなっちゃったんだから。これからさきおれは、あたらしい映画を観賞できることがあるんだろうか。心配だ。それはもう、映画がおもしろいとかつまらないとかいう問題ではない。ていうか、おもしろいほうがかえってねむたいような気がする。気もちが映画に集中してると、かえってとろとろきてしまう気がすごくする。
●ぜったいダメなのがフランス語の映画。フランス語は催眠術だ。なんでフランス人はねむらずにフランス語をはなせるんだろう。おれはふしぎでしょうがない。フランスのひとたちよ、きみたちは日常会話のさいちゅうにねむったりすることはないのか? ぼくはきみたちの日常会話をきいているとかならずねむる。
●もちろん学生のころは、映画館でねむるなんて、かんがえられないことだった。おかねがなかったからね。だから、丸の内あたりの映画館にはいると、客はネクタイをしめたひとたちばかりで、そのひとたちの八割くらいはイビキかいてねむってるのをみるとフシギな気もちがした。でもいまはかれらの気もちはすごくよくわかる。なにしろ映画館でねむるのって、ほんと気もちがいいんだから。

●19歳といえば、

世の中の女の子たちは、みんななんていい子たちばかりなんだろうって気がついて、それでディスコいってナンパしてました。その印象がまずいちばんにある。おれなんかはもう、シタゴコロしかなくって、その場でしりあった女の子にたいして「どうやったら今夜じゅうにこの子とやれるか」とそれしかかんがえてなくて、「どうやったらこいつをうまくだませるか」とそれしかなくて、そのさいのおれの言動はすべてそこに結びついてたんだけども、おおくの女の子たちは、おれをぜんぜん疑ったりしなくて、ちゃんとだまされてくれました。みんな、なんていい子たちだったんだろう。そのときおれは浪人で、女の子をだますのなんて、大学受験よりもずっと簡単だとそういう実感をもってました。そうして性病になって、大学の入学試験シーズンに発病して、チンポコをうずかせながら試験をうけるという、われながら悲惨としかいいようがない状況におちいるのですが、それはまたべつの話。
●もちろんひとりでディスコへいくやつはいない。そのとうじのおれのナンパ遠征の相方はシンジくんだったわけですが、このシンジくんと三十ちかくなってから飲酒をしていて、かれがめちゃくちゃに悪酔いをしてしまったことがある。なきわめいて暴れてゲロはいて、さいごは生ゴミのようになってへたりこんでしまった。おまえどうしたんだよ、とあとでたずねると「十九のころじぶんがどんなひどいことをしたか、ひとずつ数えながら酒のんでたら悪酔いしちゃってさあ」といいだしました。ははは。ばかもの。そんなことしたらおれだって悪酔いしちゃうよ。
●「でもね」と、女の子にいわれたことがある。
「そのときの女の子たちがみんな、わざとだまされてたんだってことは、かんがえられない? ほんとうは、下心とか、ぜんぶ気がついてたんだけど、それでもだまされてあげてたんだっておもったことはない?」
●そうなのかもしれない。わからない。ともかくそれはおれにとってはおもいもよらない指摘だったので、かなり動揺した。そうなのかもしれない。でも、そうだとしても、やっぱりみんないい子たちだったなあとおもう。19歳のころにおれのまわりにいた女の子たちは。そうして、そういう女の子たちがひざをみせて道をあるいてるのに、それでも受験勉強をしなくっちゃならないなんて、それはムリな話だったよなあといまでもおもう。
●これがわしの19歳のあらすじ。ぽいう。

●こないだ女の子と

ヨウロウの滝で飲酒してたらむかしのフォ〜クソングの話になったのね。彼女の家にはクラシックギターがあって、そいつをひっぱりだしてきて、フォークギターの教則本をかってきて、イーマイナ〜とか、ジィ〜とか練習をはじめたんだって。ふうんなんて話をきいてたんだけど、そうしたら、どうしても演奏したい唄があるんだけど、唄本がみあたらないし、コードもわからないし、どうしたらいいんだろうとかいいだしたわけ。「なんの唄?」ってきいたら、「風」っていうのね。ああ、22さいのワカレかとおれがひとりでなっとくしてたら、「そうじゃないのよ、あのね『ささやかなこの人生』ってしってる?」とかいいだしたわけ。これにはおれもびっくりして、そのあとこんどはなんだかわらいがこみあげてきちゃってさ、それをおさえるのがひと苦労だったよ。それはおれが中学生かそれくらいのころの唄で、そのころのともだちにカズオっていうやつがいて、そいつの家でなんどもきかされたりしたのよ。カズオは風と吹雪ジュンとミス南極がすきで、そのころからなんだかさむそうな趣味のやつで、それがこうじていまは南極越冬隊員になっちゃったけど、というのはもちろんウソでいまはなにやってるんだかしらないけど、とにかくそのころのカズオの部屋のカベには風と吹雪ジュンとミス南極のポスターがはってあってさ、いやもちろんミス南極はうそだけど、ともかくそこで「ガッツ」とかひろげて、じゃんじゃこじゃこじゃこなんてギターをひいてたことをおもいだしちゃったんだけど、なんかあのころのフォークソングの話になると、なつかしいだとかせつないだとかいういぜんに、まずわらいがこみあげてきちゃうおれなのね、どういうわけか。んで、そんな二十年もむかしの、いまとなってはもはやわらうしかないような唄がどこからでてきたのか不審にかんじてたずねたら、なんか、むかしの、いわゆる四畳半フォークの特集をしたテレビ番組をさいきんみて、それできいて、いっぺんに気にいってしまったんだとかいうわけ。ささやかなこの人生をえらんだその番組も、それで気にいってしまったという彼女のセンスにも、わけがわからないものはあるんだけど、へえいい趣味してるよとかほめて、こころにもないんだけどね、いちおうほめて、それからためしにきいたのね、もしかして音源はもってるかって。そしたら、風のベストヒット集の音楽CDをかっちゃったっていうのよ。そんなら話ははやいからさ、おれがコピーしてあげるよってことで、うん、CDかりてね、ききましたよ、ささやかなこの人生。しかし、コピーするのに二回きく必要がなかったのはなぜなんだ? もしかしておれって、デビルイヤーだったのか? なんていっしゅんおもいあがりそうになったんだけど、もちろんそういうわけではなくて、ただたんに簡単なだけでした。中学生のころはまるでおもわなかったけど、こうやってききなおしてみると、ささやかなこの人生というわりにはたいへん大胆なこのコード進行であった。だいたい、きくまえからつぎにくるコードの予想がついてしまって、それがことごとくうらぎられないというのは新鮮だ。とくにこのSus4。伊勢やん〜〜、もうちっとなんかかんがえろよ〜〜などとつぶやきながら、でもそれはなかなかにたのしい作業でありました。ぽいう。

●せんじつ友人夫婦

(結婚4年め、子供なし)のとこに遊びにいってきました。けっこうひさしぶりだったんで、ま、ビールなんかをのみながら世間話をしてわらいころげておったわけですが、ダンナがちと席をはずして、嫁さんとさしむかいになりました。そのとき、「夫婦喧嘩」の話になりました。「やっぱり喧嘩したときは、ぶたれたりするの?」とわたしがたずねると嫁さんはいいました。
「ぶたれはしないんだけどね、なげられるのよ」
 ‥‥なげる? 意表をつく動詞がでてきたのでわたしはさらにたずねました。
「なげられるって、どんなふうに?」
「あのさ〜、ほら、あれ、なんていうの、でんぐり返って、あしのうらでなげるやつ。巴投げ、っていうんだっけ、あれをやられるのよねえ」
 巴投げ‥‥巴投げ‥‥? と、巴投げえええっ? いっしゅんわたしの脳裏を、その嫁さんが巴投げをやられてびゅう〜んとすっとんでゆく図がよぎりました。めまいがしました。
「そ、それって、ひどくないか?」とたずねると
「いいのよ、わたしもね、グ〜でなぐるから」と嫁さんがこたえたので、それでわたしは「‥‥‥」となってしまいました。世間では犬もくわないとされてる話をあれこれするのもなんですが、けっこう衝撃をうけました。インパクトありました。嫁さんがグ〜でなぐるというのもたのもしいですが、なにより、嫁さんに巴投げをするダンナというのが衝撃的でした。いったい、どうして背負いでも内股でも大外刈りでもなくて、巴投げなのでしょうか。「巴投げ」という、あえていわしていただきますならばこの、あまりにも非日常的(あたりめだ)なワザをくりだしてくるあたり、あなどれん夫婦、という印象をうけました。そして、こんどはわらいがとまらなくなってしまいました。なんだか考えれば考えるほどわらってしまう。だって、巴投げなんだもんなあ。なんでわざわざ巴投げなのかなあ。ほかにも技はあるだろうに、よりにもよって、巴投げ。ワハハ。

●ほんとにこのホー

ムページっていうのはいろいろあって、みんなああでもないこうでもないとなんだかんだやってるわけだけど、そんなとこにおれみたいに新人ていうか、右も左もわかんない状態でぽっとこのあそびをやらかしだすと、なにかネタをおもいついても「いやちょっとまてよ、こういうのって誰でもおもいつくよな、てことはもうすでにだれかがどこかでやってるな、なにもわざわざおれがやることないよな」とかんがえて、すぐにボツにしちゃうということがある。けっこうある。
●きのうね、ちょっといかがわしげな飲食店でビールをのんでぐだぐだしてたんだけど、そこは店内でテレビをかけっぱなしにしてるんだけど、そのうち「リング2」っていうのがはじまってね、それをながめていてふとこういう話をおもいついた。あのね、ある日、四人の若者がパタパタと死んじゃうのね。べつべつの場所で。それに興味をもった雑誌記者がしらべてくと、四人が一週間まえにおなじ場所ですごしてるのね。そこでインターネットしてたわけ。それでのぞいたページっていうのがなんかブキミなページで、おしまいに「このページをみたおまえは一週間後に死ぬ。死にたくなくば‥」っていってそのさきがきれてるのね。そんで、雑誌記者はもちろんそのページをみちゃったんで、死にたくないからなんとかして逃れるおまじないをさがすんだけど、そのおまじないというのがじつは、そのページにリンクをはることなのでした。とうぜんこの話のタイトルは「リンク」なのでした。‥あっ、いまひいた? ねえ。ひいた? すまんすまん。まあ、酔っぱらってるときというのはバカになってるから、こんなのでもおもいついた直後はよろこんでるんだけど、でも酔いがさめてから「これってだれでもおもいつくよな」と気がついて、それどころか「だいたいこんな話、なにがおもしろいんだ? おもいついたときはおもしろいとおもったけど、よくかんがえたらぜんぜんバカバカしいじゃないか」とかんじてきちゃって、それでこの話はアタマのなかのゴミ箱に捨てることになる。
●そういうのって、けっこうあるよね。

●「絶対にすててや

ほんだな.jpg るんだから」と彼女はおれの顔をみるたびにいう。いやべつにおれをすてるわけじゃありません、そこはまちがえないでください。じゃいったいなにをすてるのかというと、本です本。とくに雑誌。「結婚したら絶対にすてるからね」といきまく彼女の視線のさきには本棚があって、二十年くらいまえの宝島とかミュージックマガジンとかがならんでいる。「こんなにいっぱいためこんで、そもそもこれからさき、読み返すことがあるの? ないでしょ? だったらいらないじゃない」というのが彼女の主張である。「だいたい本ばっかりこんなにためこんで、家がかたむいちゃうでしょ、家が」とも主張する。たしかに読み返すことはないし、家はかたむくし、ついでに家計もかたむけてしまうかもしれないけど、でも、すてられない。そういうせつない男ゴコロというのは、だいたい女のひとは理解してくれないみたいである。ためしにたずねると、けっこうみんな似たようなおもいをしている。
「どうしてわからないかなあ、すてられないよなあ」
「うんうん、すてられないよなあ、モデルグラフィックス」
「おれも盆栽世界をためこんでてさあ」
「すてられないよね」
「たからものだからな」
「そうそう。なんでわかんねえのかな、この思い入れが」
 というかんじで、けっこうもりあがったりする。そこでどさくさまぎれに
「おれもすてられないんっすよ、デラべっぴんとか」とヒワマタくんがいったので、おまえそれはちょっとちがうだろうと後頭部をはたいておきました。

●ひとはなぜみずか

らの恥ずかしい過去をバクロしてしまうのか? こないだぐりちゃんとこのホームページにその手の話があって、それはともだちの女の子がとても恥ずかしい体験をして、だれかに聞いてもらわないと恥ずかしくてしょうがないんで電話をかけてうちあけてきたという話だったんだけど「だれかに聞いてもらわないと恥ずかしくてしょうがない」というのが、なんだかすごくよかった。「恥ずかしくてだれにも話せない」とか「だれかに聞かれたら恥ずかしい」とかいうのは、そんなのはまだまだなのだ。ほんとうに恥ずかしい体験というのは、恥ずかしくってひとりでは耐えきれないのだ。てあたりしだいにみんなにわけあたえなくちゃやってられないのだ。ちがう? ちがうかなあ。でもおれは、なんだかその気もちはわかる気がした。彼女もぐりちゃんみたいなともだちをもってしあわせだと思う。なにしろインターネットのホームページにさらけだして、全世界にその恥ずかしさをぶちまけてくれたのだから、これでやっと彼女も安心して、マクラを高くして眠れるだろう。よかったよかった。でも、コンドーム三箱はちょっと、多いかなという気はわたしもしました。ぽいう。
●ではここでわたしも、ひとりでは耐えきれない恥ずかしい過去をひとつ。題して「お化粧をする男子中学生」。
お化粧.gif

●きぶんが落ち込む

ということは、人間であるかぎり、たいていあることである。たぶん、ソクラテスにだってあったろうし、カントにだってあったはずである。加藤茶にだって、きっとあるはずだとおもう。もちろんおれにだって、どうにもきぶんが落ち込むということはある。そういうとき、ひとはどうするのか、よくしらない。おれの場合はどうしたかというと、十代のころはもっぱら火を吹いていた。灯油をくちにふくんで、空にむかってぶゎあっと火を吹いた。やったことがないひとにはわからないとおもうけど、これはかなりきぶんがすかっとする行為である。あんまりこういうことは奨励しちゃいけないとおもうので、公然とすすめたりはしないけど、きぶん転換にはそうとう有効な手法である。
●ということで、もしかしたらこうくるということは想像ついてたかもしれないけど、それはただしい。こうきます、たしかに。お化粧ときたらつぎはこれ。「お化粧をした中学生が火を吹く図」。
火吹き.gif

●「ぢ」というもの

が「でる」ものであるというのをしったのは、おれも二十歳をずいぶんすぎてからだったりする。‥‥あ。ごめん。なんのまえぶれもなく。ええと、とつぜんだけど、ぢの話です。とつぜんそういう話をされたので、これはもうとつぜんそういう話をしてかえすしかないと。はあ。そんで、それが「でる」ものだとおれに教えてくれたのは、やっぱり出産直後の女のひとだったりする。
ずいぶんまえに、しりあいの夫婦のところで子供がうまれて、おいわいがてらあそびにいくと、ドーナツ型のざぶとんがある。これなに? とたずねると、
「縫ったあとがいたくてタイヘンなのよう。オシリをべたっと床につけてすわれなくってさあ、しょうがないからさー、これ買ってきて、すわるときはいつもこれを敷いてたわよ」
と、なんだかはなはだ気になることを出産後のヨメさんがいう。縫ったあと? 縫うってなんだ? どこを縫うんだ? それはあまりにも気になってしまって、たぶん想像はつくんだけど、そうしてその想像があたっていたときにおれはなにかひとつ、たいせつなモノを失ってしまうんだけど、でもたずねずにはいられなくってきいてしまった。
「縫うってなにを?」
「ばかねー、そんなのきまってんでしょー。子供産むときにきるのよ、ばっちんって」
「ば、ばっちん‥‥」
「そ。ばっちん」
彼女は二本の指でハサミのマネをしながらおれにおしえてくれた。すでにそこでおれはもうナミダ目になりながらも、これはもう、さらにしつこくたずねずにはいられない。
「いたくないの?」
「それがぜんぜん痛くないんだよねー。陣痛でくるしくって、そんないたみは感じない。それよりさー、出産のせいで『ぢ』がでちゃうひとがいるんだよねー」
「そりゃそれだけくるしけりゃ、地もでそうだけど‥」
「‥‥? あんたなんか勘違いしてない? 『ぢ』ってほらあれだよ、あのおしりの」
「へ? 『ぢ』って、あの『ぢ』? 出産と『ぢ』って、なんの関係があるの?」
「関係あんじゃないの? だってあたしの病室には妊婦さんが四人いたけど、そのうちふたりが『ぢ』が出ちゃったっていってたもん」
「で、出ちゃったって『ぢ』ってでるものなの?」
「ほら、おもいっきりイキムから、そのせいで『ぢ』が出ちゃうんじゃないのかなー。だから出産のときって、お医者さんはずっと妊婦さんのオシリの穴に指をいれてるもんならしいよ。あたしのときはそうだった」
‥‥‥。
この日こうしておれはまたひとつ、なにかたいせつなモノを失ったのであった。でも、ほんというとじつは「お、おとこでよかった〜」と実感していたおれなのでもあった。ヒイヒイフウ。ぽいう。

●「ねえねえ、くり

たくんは男と女のどっちにうまれたかった?」
「女」
「なんでえ?」
「だって女だったら女風呂にはいれるんだぞ」
「ああ、はいはい」
「はいはいじゃなくて、だって、女風呂だよ、女風呂っ」
「もうわかったって」
「いいやわかってないっ。きみらはだなあ、女風呂にたいするおれのこの熱きおもいというか、あまずっぱい憧れというか、ほのかな恋心というか、そういうのがぜんぜんわかってないっ」
「わかるかそんなの」
「おんなぶろおおおっ。おんなぶろおおおっ」
「そんないうんなら、はいってくりゃいいじゃん。せっかく温泉きてるんだし」
「そうそう、はいっといでよ、うるさくなくていいし」
おけしょう2.gif 「そんなかんたんにはいれるかっ」
「はいったってわかんないって」
「わかるよっ」
「服ぬがなきゃわかんないよ」
「服ぬがなくてどうやって温泉はいるんだよ」
「じゃ脱衣所にいれば? やすんでるふりして。脱衣所だってじゅうぶんでしょ?」
「そりゃじゅうぶんだけど、おれは男だぞ」
「あ、そうだ、化粧すりゃばれないって」
「ばれるよっ」
「ばれないばれない。ぜ〜ったいばれないって、ほら、お化粧してあげるから」
「ほんとにばれない?」
「ほんとほんと。ぜったいばれない。ほらほら、じっとしてて」
「じ〜(わくわく)」

(文中の画像と本文とはなあんの関係もありません)
●「ドライブたのし

いねえ」
「たのしいわねえ」
「これからどこいく?」
「買い物いきたあい」
「う〜ん」
「どうしたの?」
「おかねないんだよね」
「そうか、おかねないのか」
「ごめん」
「しょうがないよ。またこんどにしよう」
「それにしてもカネがほしいよなあ」
「ほしいよねえ」
「そうだっ、ふたりで宝くじかってこようかっ」
「かおうかおう。もし当たったらどうする?」
「どうする? 一億円だもんなあ。うへへへ」
「うへへへ。ねえねえ、あたったらあたしにもくれる?」
「おう、やるやる。半分やる。あと、おまえにもすきなものを買ってやるよ」
「やったあ」
「もしおまえも当たったらおれにもちょっとはくれよな」
「へ?」
「当たったらおれにもちょっとちょうだい」
「なにいってんの? あげるわけないでしょ」
「なんで?」
「なんでって、そんなの、あげるわけないじゃない。常識的にいって」
「じょ、常識って、どんな常識だよ」
「だってあたしは女だもん」
「ちょっとまてよ、それはおかしいだろう。だっておれはもし当たったら半分あげるっていってんだよ」
「だってあたしは女なんだってば」
「そういう問題じゃないだろう」
「そういう問題だよ」
「わかったよ。じゃおれも、当たってもおまえには一銭もやんない」
ふみきり.gif 「えっっ。なんでっっ?」
「だっておまえだってくれないんだろ」
「なっ、なにをいいだすかな〜この貧乏人は」
「び、貧乏人っていうなああっっ」
「うるさい貧乏人んんっ」
「てっ、てめえっっ」
「ふんっ」
「ふんっ」


●けんかというのは、これはしてしまうものである。そうして、かなりムカムカするものである。どうかんがえても相手のほうが理不尽におもえるからだ。おまけに困ったことに、男と女のケンカというのは、恥ずかしくてひとにはなかなかグチをこぼせない。そういうのがおおい。だって、ケンカの原因はなにかとたずねられて、当たってもいない宝くじの分配についてもめてるんだとは、さすがにいえないよね。いえないけど、でもやっぱりムカムカすることには変わりない。困ったもんだ、まったく。
●というわけで、うちのほうの踏切にある看板をひとつ。どうもケンカしてるようにしかみえないんだけど、仲良くしようね。きみたちも。


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