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「しってんねんで」という言葉ほどこわい言葉はないです。そのことに五十年もいきてきて気がつきました。ほんとはまだ五十年もいきてませんが、めんどくさいのでこれからさき十年くらいは五十年いきてることにします。とつぜんですがそういうことにしますのでよろしくお願いします。ぽいうじんせい五十年。夢幻のごとくなりというか、まさしく夢幻としかいいようのない五十年でしたが、その夢幻がいっきにさめてただひたすらにうろたえてしまう魔法の呪文、それが「しってんねんで」。僕には秘密があります。ニョーボに対して秘密があります。世界に対して秘密があります。そりゃだれだって秘密くらいあるでしょう。ないはずがない。秘密というからには、そりゃうしろめたいものでなくちゃなりません。なにしろ秘密っていうくらいですから。だれにもうちあけられず、なにがなんでも隠蔽し、それはもうしぬるまで隠しとおし、墓場までもちこまなくちゃならない。それが秘密というやつです。そんな秘密を所有しているといううしろめたさが、あるときとうとつにニョーボに「わたし、しってんねんで」と話をきりだされたときに、ギクリとしてしまう原因なんです。この意見にはいま、ニョーボがいるひとはおおいに同感してくれとるはずです。ニョーボがいなくてこれからめとる予定があるというひとはだから、おおいに覚悟をしておいてください。「しってんねんで」、こんな血もこおるかとおもわれるせりふはほかにないです。たとえば、たとえばの話ですね、キミが会社の女の子と浮気というか、フリンつうんですか、それをやっていたとします。ニョーボにはもう、なにがなんでもしんでも内緒です。秘密です。そんなある晩、ニョーボとふたりでキミが晩めしをくっとるときに、あるいはマクラをならべてねようとしたときに、ニョーボに「わたし、しってんねんで」ととうとつに切り出されたりしたひにあアンタ、心臓とまりますよ? そりゃもう、心停止しますよ? わたしいま、フィクションとしてたとえ話つづっていましたが、たとえ話なのにものすごくドキドキしてきてしまいました。その場面を想像して、ドキドキドキドキドキドキドキドキとわたしのちいさな心臓はハヤガネのようです。ハヤガネってなんですか? よくしりませんが。とにかくやばいです。あともうすこし刺激をうけたらいまにもポックリいっちゃいそうです。いやほんと、やばいんだって。ドキっとするんだって。あんまりこれしょっちゅうやられてるとぜったい長生きしないって、わたし、そのことについては確信があります。だからさあ、その「わたし、しってんねんで」というところから話をはじめるの、おねがいだからやめない? たのむ。やめようよ。おねがい。などとこのうえなく内輪な嘆願陳情を、なかなかニョーボにはめんとむかってはいえないのでいっそインターネットの日記をとおしてしてみるぽいう人生五十年。おねがい。
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