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●うちのニョーボはテレビだと歌番組がすきみたいで、よくみている。必然的におれもそのかたわらでニッポンの大衆音楽およびその周辺をうごめく舞踊や舞台装置などをみることになる機会がおおいのだが、さいきんどうも気になるのは歌手のかたがたの手のうごきである。手というか指というか、そのへんのうごきなわけですが、あれはなんなんでしょうか。とくに平原綾香というひとのがすごい。手のひらをうねうねとあちらにかざしこちらにかざし、なにか念力とか怨念とかそういうものを全世界にむけて照射してるみたいにもみえる。さらに平原さんのばあいはなぜかときどき、すぐそばにちいさい子供がいて、その子にむかって歌いかけているみたいにみえることがある。そこにだれかいるのか? ほんとにだれかちいさな子供がいるのか? あんたにだけみえている子供がいるのか? と真剣にいぶからざるをえないような迫真の歌いかけぶりである。でもおれがその子供だったらいやだろうなあともおもう。そんな至近距離で平原綾香にめんとむかって歌いかけられたら泣いちゃうよ、とかおもったりする。そんなわけで個人的には彼女はホラー系の歌手に分類されている。オジーオズボーンとかアリスクーパーとかの系統ですね。たいへん余計なおせわですけど。ともかく平原綾香のばあい、おれにとってはその歌っているさいちゅうの一挙手一投足が気になってしまって歌どころではない歌手のひとりである。あとは森山直太朗なんかもテレビでみるともう歌どころではない。あの指がいつ天井をさすのか、その動きをおいかけるのに精一杯で、そのうちだんだん目がまわってきたりする。やっとひっこんでくれてほっとするまもなく、つぎにでてくるのは中島美嘉だったりして、こんなふうに集団ハンドパワーでたたみかけてこられると、こっちも心底つかれる。ジャニーズのひとらがでてくるとかえって一息つけたりする。かれらのばあいは動きは派手だけれどもそれらはすべてあらかじめ決められている振り付けをこなしているだけにすぎないわけで、やってるほうもけっこうテキトーにやってるので(たぶん)、だからこっちもテキトーに見物しててもばちはあたらない気がする。だいたい大衆音楽ってこの「テキトーに見物しててもばちはあたらない」というポジションにおさまっているべきものだとおもうんだけど、そんな弛緩したたるみきった見物というのをだんじてゆるしてくれないのがくだんの平原とか森山とかいった連中であって(だんだん呼び捨て)、わたしは真剣にやっているんだからおまえらも真剣にみろ、と強要されてるような気がしてしかたないのはなぜなのか。ねころがってクチを半開きでながめてるのがだんだん申し訳なくなってくるような、そんな気にさせられるのはなぜなのか。そんでおれもじつは根は素直なたちなので、連中の歌唱時のいれこみぶりについつられて真剣に手の動きだらなんだらを追いかけてしまい、あとになってぐったりと疲れてしまう。かんがえてみるとけっこうハタ迷惑な連中である。そもそもかれらは、いれこみすぎではないのか。たかが歌を歌うというそれだけの行為になんであんなに必死なのか。その必死さをつつみかくすどころか逆にアッピールしようとするのか。単刀直入にいって、おまえら陶酔しすぎじゃないのか。それともこれはおれの気のせいか。気のせいかなあ。わからんけど。なんていうか、単に歌うとか、普通に歌うとか、どちらかというとそういうのがおれはむかしからすきみたいです。せんじつなぜかたまたま、はしだのりひことクライマックスのCDをかって、ああそういえばおれはこういう歌い方をする女の子がすきだったんだよなあとあらためておもったりしました。こういう歌い方の女の子ってあんまり歌手としてデビューしないとおもう。個人的にはたいへん残念なことです。
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