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年配のひとばかりの職場に就職した女の子がいる。同僚の半数は六十歳をこえてるそうである。そんなところに大学をでたばかりの女の子がはいっちゃったんだから、これはたいへんである。なにがたいへんかって、言葉が理解できないのだ。たとえば、できあがった書類をもって係長(六十三歳)のところへいき「この書類はこれでいいですか」とたずねると「イーデス・ハンソン」とこたえがかえってくる。戦慄の老人ギャグである。けれども彼女には、それがギャグだなんてわからない。ただ目をまるくするばかりである。そうして、そのまま彼女は、おれがおしえるまで、イーデス・ハンソンとはなにかと一週間もなやんでいた。万事その調子でおじいさんたちにふりまわされてる彼女に、おれもできるかぎりの用語解説をしてきたのだが、とうとうおれにもわからん言葉がでてきた。ウシクダラである。「きみはどこからかよっておるのかね?」とおじいさんにたずねられて「牛久からです」と彼女がこたえると「ああ、ウシクダラか」といわれる。それも複数のおじいさんたちに「ウシクダラか」とやられる。彼女はいささか不安になった。なにしろ彼女はそれまで、そんな言葉はきいたことがなかったのだ。あるいはウシクダラをしらないということは牛久市民として、とても恥ずべきことなのではないか。彼女はおおいになやみ、おれにたずねてきた。でも、おれだってしらない。見当もつかない。ウシクダラ。おじいさんたちのだれもがしっていて、おれたちのしらない魔法の言葉。ウシクダラ。それともキミは、ウシクダラをしっているか。おれはしらん。彼女もしらん。おれはなやんでる。彼女もなやんでる。でもたぶん、イーデス・ハンソンみたいなものなんだろうというわるい予感はする。
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