とり  フミコさん

 家にかえるなりフミコさんが「ジロウさんがクルマにはねられた」とおれにつげた。はい? なんだって? おれはいっしゅんワケもわからずぽっかりとくちをあけ、フミコさんをながめた。ジロウさんというのはたぶんあのひとで、あのひとがクルマに‥‥なにいいっっ? クルマにはねられたあ? やっと事態をはあくしたおれがあわてて「いつ?」とたずねると、夜の九時ごろだという。時計をみると、十時をすこしすぎている。なんで一時間もまえにクルマにはねられたのにキミはここにいるのか、とさいどたずねると、みてきたから大丈夫、とわけのわからんことをいう。よくよくたずねると、駅まえでジロウさんがクルマにはねられて、その直後に連絡があって、すぐに事故現場にかけつけたのだという。ジロウさんはそこにいて、ジロウさんをハネとばしくさった運転手もそこにいて、これからわたしが病院につれていきますと運転手がいう。救急車をよんだほうがいいのでは、とフミコさんが提案すると「おれはヘイキだからきみは家でまってなさい」とジロウさんにいわれたので、はいそうですかと家にかえってきたのだそうだ。おれはアキレた。フミコさん、ちょっとここにおすわりなさい、とフミコさんにめいじ、それからしばらく説教をした。いいですかフミコさん、ジロウさんはあなたの夫でしょう? それも、もう四十年ちかくもつれそった夫でしょう? そのたいせつなじんせいの伴侶がクルマにひかれて瀕死でのたうちまわっとるというのに、それをみすてて家にもどってくるとはなにごとですか。なに? 瀕死ではない? ぴんぴんしとった? いや、わしがいいたいのはだね、そういうことではなくて、あなたもジロウさんのツマならば、そういうときはだれがなんといおうとジロウさんにつきそっててあげなければいかんでしょうということです。こういっちゃなんですが、あなた、ほんとうにジロウさんとそいとげるつもりがおありですか? いいたかありませんけどね、だいたいあなた、ちかごろちょっと生活がうわついているんじゃありませんか? そんなことだからおむかいのイノウエさんに「くりたさんとこのセンタクモノはさいきんハデだ」とかなんとか、よけいな噂をながされるんです。ご近所の目というものもすこしはかんがえてください。わたしはもうはずかしくって、ご先祖さまにかおむけできやしませんよ、と説教をした。ほんとうはあと、フミコさんの度がすぎた旅行癖にもちくりと釘をさしておきたかったのだけれど、あんまり説教をたれるばかりでもいけないので、そこそこにしておいて、それで、病院はどこなんです、ジロウさんのかつぎこまれた病院は、とたずねると「わからない」とフミコさんはいう。あなたは子供のつかいですかっ。さすがにわしもこれにはアキレはて、おもわず声をあらげてしまった。どこの病院にいくかもきかずにかえってくるひとがありますかっ。それじゃあもう、ジロウさんからの連絡がくるまで、わしらにはすることはなんにもないということですか。このままジロウさんがどこぞにつれさられて、あとになって身代金を要求されるようなことになったとしても、いまのところはただボンヤリとまっているしかないということですかっ。そんな話がありますかっ。とフミコさんをなじると、フミコさんはもうしわけなさそうなかおになって、みると足ががくがくしている。ああ、フミコさんだって不安なのだ、とおれはおもいなおした。あまりフミコさんばかりをせめるものではない。事故の現場にでかけてそのままかえってくるというのはたしかにあまりふつうじゃないけれど、でも、フミコさんはそういう、のんきなひとなのだ。それはもういまさらしかたのないことなのだ。わかりました、ともかく連絡をまつことにしましょう、とフミコさんに提案し、警察署の交通課に事故の報告がなかったか電話でたずねてみた。警察署には届け出ずみで、事故処理もおえて、被害者は元気でおられたようなので、あとは当事者どうしにまかせてかかりのものはいまもどってきました、と警察のかたがおしえてくれた。でも、どこの病院にいかれたのかはわかりません、とのことだった。事故の届け出があったとしって、そこは安心した。でも、病院がわからなくちゃやっぱりどうしようもない。やれやれ、とおもってフミコさんをみやると、しょぼくれている。なんだかあわれにみえて、フミコさん大丈夫です、ジロウさんが大丈夫といったのならきっと大丈夫です、とはげましていると、ジロウさんがかえってきた。はねとばされたクルマにのっかって、意気揚々と帰還してきた。たしかにぴんぴんしとった。ノープロブレム、とかおにかいてある。ぐわいはどうですか、とたずねると、こんなのへでもない、でもあしたもういっかい病院にはいっとくよ、そこのモトハシ医者でみてもらっとくよ、といつものギャグをとばした。「あすこは産婦人科ですっ」とフミコさんとおれがこえをそろえてつっこむと「ダメ? 産婦人科じゃダメ? あ、そう」とジロウさんはおっしゃいました。わたしの両親はこういうひとたちなので、わたしは苦労がたえません。

[30,11,1999]