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よのなかにはとしをとらないひとというのがいる。「としのわりに若い」とかそういう意味じゃなくて、ほんとうにとしをとらない。なんでかというと、本人がそうきめてしまったからである。「そんなばかな」とおもうけど、じっさいにそうなんだからしかたない。さがしてみると、身のまわりにもけっこういる。具体的にいうと、三十歳くらいの女のひとにおおいみたいである。
「わたしは今年からとしをとらないことにしたので、そういうことでよろしく」と、本人はいたってまじめな調子である。よろしくといわれてもこまるんだけど、こういう理不尽なことをいいだすひとは、さからうときっと理不尽な怒りかたをするので、しかたないのでつきあうことにする。おれいがいのひとたちも、しぶしぶそれにつきあわされる。そういうわけで彼女は、もうとしをとらない。不老不死の妖怪の誕生である。ボブ・ディランの唄で「六十四のくせして二十二だっていうんだよ、もううんざりだよ」とかいうのがあったけど、そういう世界である。妖怪の世界である。
もちろん問題もある。たとえば彼女たちはニンニクに弱い。十字架にも弱い。太陽の光なんて、もっとも忌みきらうものである‥‥というのはうそだけど、たとえば干支なんていうのは、そんなふうに年齢を凍結してしまった妖怪たちにとっては悩みのタネなみたいである。じぶんの子供を公園で遊ばせていたらよそのおばさんに話しかけられていて、なにを話してたのとあとでたずねると「ママはなに年うまれかってきかれた。だからトラ年だってこたえた」と子供が元気にいうので、たしかにそれは事実だがそれじゃ公称とツジツマがあわんではないか、と子供をきつく折檻したというお母さんがしりあいにいて、その子に同情の涙を禁じえなかったことがある。いかに我が子とはいえ、あんまりこう、むちゃくちゃなことでしかったりするのはいかかがなものかとおれなんかはおもうんだけど、まあよそのいえの子育ての話なんだから、軽々にくちをはさむスジアイではない。ていうか、おれだっていのちは惜しいので、うかつにくちははさめない。
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「子供のころずっと、ねこ年というのがあるとおもってたの」
という女の子がいて、びっくりしたことがある。
「だってお母さんがそういうのよ。お母さんはねこ年うまれなのよ、ねこ年うまれのひとは、三十歳からさきはもうとしをとらないのよ、だからお母さんはこれからさきずうっと三十歳なのよって。そういわれたとき、わたしは四つか五つだったから、もう素直にしんじたわよ」
そういうわけで彼女は中学校にあがるくらいまで、ねこ年というのが十二支のどこかにあるとしんじこんでいて、なかなかまわってこないなあと疑問におもっていたそうである。
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でも、もしかしたら、そういう年があってもいいな、とちょっとおもう。ねこ年。としをとらない女のひとのうまれる年。百年にいちどくらい、ほんとにそういう年があってもいいかもね。
謹賀新年。ことしもどうぞよろしく。
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