とり  -intermission-



休憩はじまり。


→どうしてそういう気もちになったのかわからない。ともかくそういう気もちになってしまった。誰にもそういう夏がある。はじめて体験する、ヌルヌルの夏ってのがある。デビューの夏ってのがある。
→十四歳の夏のことだ。電車にのってノースリーブの女の子の肩をみてるうちにヘンな気もちになってしまった。なんかこう、浮かれたような気もち。遠足の前夜みたいな、なんだか浮ついた気もち。電車に乗りあわした見しらぬ女の子の肩をながめてただけなのに、そういう気もちになってしまった。それまでのおれにはそんなことはなかった。すくなくとも、町なかで女の子をみてそんな気もちになることなんてなかった。その夏の日、はじめておれはそういう気もちを知った。いまになっておもうに、あれが古来からいわれてるメザメの季節ってやつだったんだ。
→松戸へ通ってたせいだとおもう。中学三年生のおれは、夏休みのあいだ、松戸の進学塾の夏期講習に通ってた。そのせいじぁないかといまになっておもう。たんぼんなかで長じたおれは、おとなたちの性欲によってつくりだされた夢のような通りを、そのときはじめてげんじつにこの目でみた。キャバレーのネオンがチカチカする通りのにおいをはじめて知った。昼間のたんぼ道しか歩いたことのないおれは、夜のソープランド街を通るとどんな気もちがするかをそのときにはじめて学んだし、おかしなネクタイをしめたおっさんがどんなふうにゲロを吐くかを学んだし、野良犬がどんなふうにそのゲロをなめるかを学んだ。じぶんでは気がつかなくても、そういうのはこころのなかでいろいろ影響をおよぼすものだ。それでおれの知らないうちにおれの♂はもりあがってきてたわけだ。きっとそのせいだとおもう。
→塾で仲がよろしくなった女の子がいた。はるばる土浦からきている女の子で、医者の娘だった。おれたちは、最初に顔をみあわせた瞬間から仲良しになってたような気がする。十四歳といえば、おたがいに知らない土地に住んでるってだけで胸がときめいちまうとしごろだ。彼女は塾ではいつもひとりぼっちで、それはおれにしてもおなじことだった。それでおれはいく日めかに彼女に話しかけた。
「ねえ、どこからきてるの?」
「どこだとおもう? あててみて」
彼女は首をすこしかたむけてほほえんだ。そんなふうにおれたちは友だちになった。
→授業は午後一時にはじまり七時に終わる。やがておれたちは塾のあと公園にたちよるようになった。みじかい時間だけど、そこでソフトクリームをたべながらたわいない話をした。その日の天気の分析にはじまり、気温の感想をへたのち、翌日の天気を占うていどの、ぎこちなくてたわいない会話だったけど、それでもおれはその時間がだいすきだった。
→どうしてそんな気もちになってしまったのかわからない。その日は特別な感じだった。その日はあさからずっとそんな感じだった。電車のなかで女の子のむきだしの肩をみてそんな気もちになり、ストリップ劇場のポスターをみてそんな気もちは増幅され、教室で彼女の胸や脚をみて、もはやわけがわからなくなっていた。わけのわからないまま彼女と夜の公園のベンチに腰をおろしていた。
「ねえ、どうしたの」
「なにが」
「今日のくりたくんて、なんかヘンだよ」
「いつもと同じだよ」
「ううん、今日のくりたくん、なんかこわい」
彼女のいってることは正しかった。そのときおれは、ずーっとよからぬことをかんがえていた。
→暑い夜だった。彼女の髪のにおいのする距離で、おれは、ヘンな気もちになっていた。そういう気もちについてうまく説明するのはほんとにむつかしい。そもそもなんでそうなってしまうのか、いまだによくわからない。そのときは、彼女の唇をながめてるうちにそういう気もちになってしまった。彼女の唇がうごいて喋るのが、なんだかとても不思議に感じられた。この唇に触れたい。そういう衝動がわきあがってきた。そんな気もちになるのははじめてのことだったから、ものすごくおれはとまどっていた。とまどってるうえに衝動はますます強くなるばかり。この唇に触れたい、唇に触れたい、彼女の唇、やわらかそうな唇、唇、唇‥‥。おれはもうなにがなんだかほんとうによくわからなくて、我慢の限界をこえそうになっていた。こえそうなまま、彼女の唇を凝視しつづけていた。もはや目をそらすことができなくなっていた。
「どうしたの?」
「‥たのむ」
「え?」
「たのむから喋らないでくれ」
「え?」
「喋らないで、口をうごかさないで」
「ねえ、ほんとに、どうしちぁったの?」
彼女はおれに顔をちかづけ、おれの目をのぞきこんできた。
→おれにはもうどうしようもなかった。おれの目のまえにその唇がある、すぐ目のまえにそれがある。きれいな、ぬれた唇、十四歳のおれには、もはやどうしようもなかった。おれは彼女の肩をにぎりしめ、彼女の唇におれの唇を押しつけた。おおくのはじめてのキスがそうであるように、おれの場合もまた、歯がカチっとオトをたててぶつかった。それでもおれは無我夢中で彼女に唇を押しつけつづけた。心臓が口からとびでるんじぁないかって、ほんとにそうおもった。
→彼女ははたしてどんな気もちだったんだろう。おれにはわからない。彼女は怒りもしなければ泣きもしなかった。逃げだしもしなかった。協力的でさえあったような気がする。唇を離してからおれは、作法どおり「ごめん」って謝ったんだけど、彼女は「気にしないで」っていうふうに首を横にふってくれた。よくいわれることだが、女の子ってのはわからない。
→それからおれたちはいつもとおなじように一緒に電車に乗り一緒に帰った。彼女ときたら、まるでなにごともなかったかのようだった。ほんと女ってのはわからない。おれときたら電車のなかでもあたまに血がのぼったままで、興奮しきったままで、なにも考えることができなかった。心臓はいつまでもどきどきしてたが、ともかく満ち足りた気ぶんではあった。
→家に帰り、風呂にはいろうとパンツを脱いではじめて気がついた。射精していた。
→いまだにおぼえている。その晩のねどこのなかでラジオをつけるとボブディランが唄っていた。電波のうえでボブディランが、例の調子でごちぁごちぁ唄っていた。見張り塔からずっと。女のごとく。大丈夫だよ、ママ。
→以上がおれのデビューのあらましである。はじめて女の子の唇を強奪した夜の話である。いいかえるなら、おれの災厄のはじまりである。


→中学のころからまるで変わらないっておれはときどきいわれるけど、このいいかたは正しくない。中学のころと現在のおれとでは、決定的にちがうことがある。中学生のおれにとって性交は想像上のものでしかなかったが、現在のおれにはそうではない。そのことがちがう。性交が想像上のものだったころ、おれは性交をしたくてしたくてしぉうがなかった。性交によっておれのまぬけなチンポコは救われるのだと、当時のおれは本気で信じこんでいた。性交によってすべてのチンポコは報われるのだとかたくなに信じこんでた。で、じっさいに性交をしたとき、どうなったか。おれのチンポコは救われたか? 報われたか? いかがですか、みなさん。
→そうさ、まるで報われてやしない。報われたりなんかするもんか。性交はなんの救済にもなりぁしない。それどころか性交は、さまざまな災厄のはじまりだ。まだおれが性欲をしらなかったころ、世界は不完全だったがおれは完全無欠だった。地球上でおれだけが完全無欠だった。ところが性欲を知り、性交を学習すると、世界は相変わらず不完全なうえ、おれまでも不完全になっちまった。地球上に完全無欠なものなんか、なにひとつなくなってしまった。あの夜のベンチでおれは、どこかのネジが一本ぬけてしまったのだ。そのネジはたぶん、もう二度とみつからない。
→いままで話してきた、それからもうすこし話しつづける浪人のころのいくつかの不幸な事故はすべて性欲に起因してる。こうやって話をしてると、世の中のあらゆる問題はすべて、せんじつめれば性欲に起因してるような気がしてくる。性欲のためにおれたちはみんな滅びる。そんな気がしてくる。そんな気がしてるのに、射精せずにはいらんない。射精せずにはいらんない。なんでなのかよくわからない。わかんないけど、たぶん、運命ってやつなんだろう。たぶんおれたちには、どうすることもできないんだよ


→休憩おわり。じぁまたくだらない話のつづきをはじめる。

[27,04,2000]