とり  備中

 似た二つの顔は、そのいずれの一つも別に人を笑わせはしないが、並ぶと、似ているというので人を笑わせる。

「パンセ」パスカル/津田穣訳


「みられる側の人間」というのと「みる側の人間」というのがいるとおもう、ただ闇雲に好きなようにふるまっていくひとたちと、それをながめているひとたちというのがいるとおもう。この件にかんしてうたったうたのモンクに「踊る阿呆に見る阿呆、おなじ阿呆なら踊らにぁソンソン」というのがあって、みごとな一行だ。こういううたを国歌にするべきだとさえおれはおもう。むかしのひとがバカだったわけでもないし、げんざいのひとがバカなわけでもない。いまもむかしも、かしこいひとがいて、バカがいた。かしこいひとはたとえばこういう一行をのこして、その一行は真理だったのでいまもうたわれている。「踊る阿呆に見る阿呆、おなじ阿呆なら踊らにぁソンソン」。その言葉に踊らされて、見る阿呆がためしに踊ったらどうなるか、どういうことになってしまうのか、というのがこの顛末だ。このいんちきな踊りの顛末をきいてくれるかメロス。きいてくれるのかメロスよ。そうかありがとう、では話そう。備中について。


「ハイホ〜。ねねねねねくりたくんてちかごろちぉとおかしいんだって? 彼女と別れちぁったんだって? どしてえ? ねえどしてえ? どおしてええ?」
おめえのせ〜だよ。
「わかれるもなにも、はじめっからそんな関係じぁなかったんだって」
「ま〜たまた。つらいのはわかるけどさあ、元気ださなきぁダメだよう。女の子はあの子だけじぁないんだから。つらいだろうけど、はやく忘れて、べつな子をさがすのが一番。そうでしぉ? つってもあたしはダメだよあたしは。いやねえ、あたしもねえ、ほらこないだくりたくんにいいよられたときにはちらっとココロ動いたんだけどお、よく考えたらやっぱ沖山くん、みすてらんないしね、だからこないだのことは一夜かぎりの夢だったんだって、そういうことにしといて。ね?」
たしかに夢だったよ。
悪夢だけどな。
「そゆわけでえ、じつは今日、つれてきてるんだ」
「なにを」
「ばっかねえ、女の子にきまってんでしぉ。あたしが高校んとき仲よかった子なんだけどさ、か〜わいんだから。あってごらんよ、きっとすきんなっちぁうから。いま白十字にいるから、はやくいこ。ほらほら、はやくはやく」
あいかわらずウムをいわせぬヒロポンにおれが予備校のそばの白十字って喫茶店であてがわれた女っつうのが今回の話なんだけどさ。
ヒロポンはちぉっとまえにおれとやることやっちぁったわけで、そんなのは棚のうえのいちばんうえにあげといておれにべつな女をあてがってこようってんだからもう、なにを考えてんだかわかんないよな。
そもそもこの女の貞操観念ていうのはいったいどうなってるわけ?
こういうバカ女がこれから社会にでて結婚して子供をそだてようってんだからもう、わが国の将来は終わってるよなあという気がしてきて、おれはだんだん暗くなってっちぁったんだ。
そういうバカ女が連れてくる女なんだから、ロクなもんじぁないだろうなあと想像はついてたんだけど、これがまた実際にあってみると想像以上にぜんぜんまともじぁないんだよ。
やたらちっこくってなにしろ発育不良でおまけにおそろしく顔色のわるい女で、ひとめみるなりおれは「こいつぜったい内臓かどっかに病気がある」って直感したんだ。
そのうえさらにその顔がまたやけにブキミで、ガイコツをまぬけにしたような、もうまるで完璧なホラー映画なんだよ。
おれなんておもわず「そのお面とれよ」っていっちぁいそうになったくらいさ。
「この子があたしの高校んときの友達なんだけど、ほらかわいいでしぉ? あたしと名字がおんなじでさーだから入学式で整列したときあたしのうしろにならんでて、それ以来なんかあたしの背中が気にいっちぁったみたいで高校時代はずーとあたしのうしろをくっついて歩いてたんだ。この子ちぉと気の弱いとこあってだからあたしがかばってやんないとどんどんみんなに取り残されちぁってさ。ほとんどあたしが保護者みたいなもんだったね。かわいいっしぉ? なかよくしてあげてね。あんたもほら自己紹介しなきぁダメだよいつまでもあたしに頼ってばかりじぁ。ほらこのひとがくりたくんだよ、こんにちはして」
‥‥○△□○△□
ヒロポンに無理強いされてはじめてその女はベープにやられた蚊のあえぐような声でなにか挨拶したんだけどぜんぜんおれのほうなんかみなくてさ。
だいたいそれは挨拶というよりもたんにくちから空気がスースーもれた音って感じで。
おまけになにがこわいのかカラダをぎぅっとこわばらせて、喫茶店のテーブルの上の、水のはいったコップをじーとかみつめたままなんだ。
その姿がなんだか念力をかけてる超能力少女みたいで、いまにもコップがパリーンとか音をたてて割れちぁいそうで、おれなんて気が弱いからちぉっとびびっちぁったよ。
「ほらもっとなんか話しなよじれったいな。気にしないでねくりたくんこの子ちぉと人見知りがはげしいんだよね。高校終えてあたしとべつな学校いって離ればなれになっちぁったんだけどなんかぜんぜん友達ができないとかいって毎晩あたしんとこに泣きながら電話してくんのね。高校んときはあたしが面倒みてあげられたけどいつまでもそうしてらんないしさ。いいかげんこの子もひっこみじあん直さないとそのうち苦労すんのは目にみえてんでしぉ。そろそろ男のひととつきあったりして世のなかを知る必要があんのよね。それにはくりたくんがピッタリなんじぁないかとおもって、この子はいやがったんだけどむりやり連れてきたってわけなんだ。やさしくしてあげてね」
うそつけパンツ女っ。
おまいはこないだおれと劣情のおもむくままチチクリあったのが沖山にバレたらまずいと考えて、そんでおれにべつな女をあてがってきただけだろうが、口止め料かなんかのつもりで。
そんな口封じの手みやげなんていらないっつうの。
イバラギのバ〜チャンが農協バスででかけた鬼怒川温泉みやげのまんじゅうのほうがまだうれしいっつうの。
そう考えておれはアタマ痛くなっちぁったんだけどね。
でも、なんだかんだいってみたところでけっきぉくはおれも人類愛なわけで、ひとだすけといわれては背なかをみせるわけにもいかない。
あんまり気はのらないけど、ま、そこまでいうんならすこし弱肉強姦の世のなかってやつを教えてやるよ。
「いいけど」
「やさしくしてくれるってさー、よかったねー。ほらべつにこわくなんかないんだからお話ししてごらんよ。ほら」
まるでみっつかそこらのガキをあやすみたいにヒロポンはいってきかせてんだけどその女はあいかわらずコップをみつめたままでさ。
「こわくなんかないってば」
「あたしがついてんだから大丈夫」
「いいかげん男の子と口きけるようになんないとあんた結婚できないよ」
「しっかりしなさいよ」
「ほら平気だからほら」
それでもその女はカラダをかたくしてコップをみつめてて、そんなコップ女をはじめはやさしくさとしてたヒロポンだったんだけどそのうちだんだん怒りはじめちぁったんだ。
「ほらっ。どうしたのよビッチューほらっ。しぁべんなよっ。こわくなんかないっていってるっしぉっ。あたしに恥かかさないでよっ。みんなみてんじぁないのほらっ。ビッチューほらっ」
ヒロポンがひとりでコーフンして大声をだしてるからみんながおれたちを注目してるわけなことはもちろんヒロポンにはわからない。
「ほらっ。ビィッチューっ。いいかげんにしなっ。あんたきこえないのっ。あたしのいうことがきこえないのっ。ビィッチューっ。ほらっ」
しかしあいかわらず女はコップをみつめたまんまなんだ。
だってこんなふうに怒られたらしぁべりたくてもますますしぁべれなくなっちぁうんじぁないかなあとおれなんかは思ったりしたわけなんだけどももちろんヒロポンにはわからない。
「ビイッチュっ。ビイイイッチュっ。ビイイイイイッチュウウウウウウっっ」
さすがにおれもみるにみかねてちぉっとヒロポンをしずめようと口をひらきかけたんだよ。
ところがそのとき、いきなりコップ女の目からするるーっと涙が流れだしちぁったんだ。
人形みたいにまったく顔の表情を変えることなく泣きはじめちぁったんだ。
ほんとにこれってお面なんじぁないかと疑うくらいに、顔はまったくうごかないまま涙だけが流れちぁったんだ。
おれはもうなにしろ人類愛で女の子の涙にはめっぽう弱いからうろたえちぁってさあ。
「えっ、どしたのどしたのっ? だいじょぶだいじょぶっ?」
とかあわててコップ女をあやして涙を止めようとしたんだけど声ももらさずに泣きながらコップをみつめたままでさ。
ヒロポンはヒロポンでもう完璧に怒髪天井をつっついちぁっててコップ女をギイイイっとにらみつけたまんまだし。
ったくおまえらはいったいなにしにおれの前にあらわれたんだよ。
泣きたいのも怒りたいのもおれのほうだよほんとに。
心んなかではそう思いながらも、おれは必死んなってコップ女を慰めつづけたんだ。
そのかいあってかそのうちやっと泣きやんでくれてさ。
あいかわらずしぁべんないけどおれのいうことに「うん」「ううん」くらいはクビをふってこたえるようになったんだ。
「ねえ、そんなうつむいてばかりいないでおれのほうもちらっとでいいからみてよ」
 ‥‥うん。
「やっと涙、とまったね」
 ‥‥うん。
「ほんとにこわがんなくったっていいんだぜ」
 ‥‥うん。
「おれのことこわい?」
 ‥‥ううん。
「こわくないだろ?」
 ‥‥うん。
「ねえ、きょうだいとかはいるの?」
 ‥‥ううん。
「そっか、ひとりっこなんだ」
 ‥‥うん。
「じぁ、おれのこと、おにいさんだとおもいなよ」
 ‥‥うん。
「家はどこ?」
 ‥‥‥‥。
イエスとノー以外はまだ無理ならしい。
「チバにきまってるよねー」
 ‥‥うん。
「じぁ大学はどこかよってんの?」
 ‥‥‥‥。
「私立?」
 ‥‥ううん。
「へえ、国立なんだ。どこかなー?」
おれたちのやりとりを「けっ」とかいう感じでソッポをむいてきいていたヒロポンがそこでぼそっと口をはさんだんだ。
「とーだい」
「へ?」
「とーだい」
「‥それって、東京大学のこと?」
「たりまえじぁん」
「‥‥‥」
おいおいおいおいおい、それのどこがあたりまえなんだよどこが。
これだから、これだからおれは世の中が信じらんないんだよ。
この露出狂女の背後霊みたいなコップ女がどうして東大なわけ?
なんなんだよもう。
だいたい浪人の男に東大生をあてがうかあふつう。
おれはこころから疲れちぁったんだけど、でもまあせっかくヒロポンのコーフンもおさまってきたみたいだしなんだか一段落ついたところでおれはさっきからギモンに思ってたことをヒロポンにきいてみたんだ。
「ねえところで、ビッチューってなに」
「あれまだいってなかったっけ。ビッチューってのはねえ、この子のあだななんだ。なんでそんなあだなついちぁったかわかる? ヒントは歴史の教科書の挿し絵だよ」
「わかんねえなあ」
「わかんない? わかんないかなあ? ソックリだと思うんだけどなあ。ほら、歴史の教科書にビッチューグワってのってたでしぉーほらー。よくみてごらんよほらー。ねーソックリでしぉーほらあああ」
まだ怒りがおさまりきってないのかヒロポンはそういいながらいじわるくコップ女のほっぺたを指でつついたんだけどさあ。
だって、ビッチューグワったら、百姓がハタケとかたがやすのにつかう道具だよ、道具。
いったいどこをどうみまちがえればそんなもんが人間の顔にみえてくるんだっつうの。
どうしてもおれ、チバのセンスって理解できない。
それともイジョーなのはイバラギのほうなのかなあ。
それともおれがバカで浪人だからなのかなあ。
わかんない。
だけど備中って呼ばれたこのコップ女はぜったいきずついてたと思う。
だって備中なんて、あんまりだよね。
顔色わるくて、口封じのイケニエで、コップじーで、備中で、なんかやたらとフビンな女だなーておれはあわれんだりしたもんなんだけどいまにして思えばそれがそもそものまちがいだったのかもしんない。
まなんにしてもこれがおれとチバ女3号備中とのであいだったわけなんだ。

[25,04,2000]