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いつものように風呂場で、浴槽につかりながら本をながめていたらそういう一節にでくわして、それでおれはかんがえこむことになった。星にはなにか、役に立つ事はあるのだろうか。あるいはふつう、ひとは、そんな疑問にかかずりあってる時間はないのかもしれない。だけどおれには、そういう疑問にかぎっては、かかずりあう時間がたっぷりある。そういう疑問にたちむかうのがおれのじんせいだとさえいえる。冗談だけど。まあとにかく、浴槽のなかというのはいろいろとくだらないことをあれこれかんがえる。そうじゃなくてもくだらないことをあれこれかんがえているおれは、ますますくだらないことをかんがえる。今夜の浴槽でおれは、天井をみあげて、天井のむこうにひろがっているはずの星空をおもいうかべて、星はいったいなんの役に立っているのかかんがえた。ずいぶんいぜんに手にしたテツガクの本に、「哲学とは星を眺めることである」という一行があったのをおもいだした。もしそれがほんとうなら、星は、すくなくとも哲学の役にはたっていることになる。星にはそんなつもりはなくても、そういうことになる。みんな、じぶんのしらないところでなにかの役にたっているものだ。だけど、幸か不幸かおれは哲学者じゃない。哲学なんて、地球の裏側でだれかの歯にはさまったデンタルフロスとおなじくらい、おれにはかかわりがない。じゃあいったい、哲学者じゃないおれには、星はなんの役に立っているんだろう? ‥‥ううむ、おもいつかない。じっさい星なんてあしたからなくなってしまったって、きょうとおなじにいきていける。いきてはいけるけど、どうだろう、こういうのもなにか情けない。すくなくとも、ロマンチックじゃない。ああそうか、たとえばロマンチックな、いや「ロマンチック」という言葉はちょっとあれだけど、たとえば星の似合いそうな十八歳くらいの女の子を想像すれば、星がなにかの役にたっているところをおもいつくかもしれない。そうかんがえておれは、星空のしたの十八歳の女の子をあたまのなかに登場させることにした。
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こんにちは、ぽいうさん。わたしは十八歳の女の子です。わたしにはつきあっている彼がいます。いいえ、哲学者じゃありません。哲学者じゃないその彼と、先日、夜の浜辺にふたりきりならんで腰をおろしていました。わたしたちは、ながいあいだそこで無言のままでいて、海を眺めながらおたがいの手をにぎりあっていました。星のきれいな夜でした。さわやかな潮風のふく夜でした。ながいながい時間がすぎて、それから彼がきゅうにわたしをみて「結婚しよう?」といいました。わたしも彼をみつめて、うなずくと、彼は上着の内ポケットから指輪をとりだしました。そして、わたしの左手をとって、薬指にそれをはめようとしました。ところが、指輪をはめようとする彼の手はふるえていて、指輪はわたしの指をするりとすりぬけて、砂浜に落ちてしまいました。すぐにわたしたちは指輪をさがしたのですが、なかなかみつかりませんでした。わたしたちはそこでいったん目をとじて、暗やみに目をならして、それからもう一度浜辺のうえをみまわしました。夜の砂のうえに光っているものをみつけたのは、ほとんどふたりとも同時でした。あわててそこに手をのばした彼とわたしは、おたがいの頭をぶつけてしまいました。わたしたちはおたがいにおでこをおさえて、いてて、とつぶやきました。それから彼は指輪をたいせつそうにつまみあげて、こんどこそしっかりとわたしの指にはめました。そしてわたしたちは、お星さまのしたで、ながいキスをしました。だからわたしたちは、あの夜のお星さまに感謝しています。もしあの夜の星がきれいじゃなかったら、もしかしたら、指輪がみつからなかったかもしれないとおもうからです。話をきいてくれてありがとう。では、さようなら、ぽいうさん。
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| [13,07,2000] |
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