[2000年7月10日] まずいラーメンの夜
菓子パン。(あさ)
定食。(ひる)
焼き魚。タマネギとピーマンのいためたの。めし。ビール。(よる)

「いやくりたさん、ほんっと、ほんっとにマズいんすよ、ほんとなんですって、どうしたら信じてくれるんすか」
とアワマツリ君がしつっこく食いさがる。
「いまどきマズイ食い物なんてあるかよ、どうせちょっとうまくないってだけだろ、食えば食えるんだろ、おまえらだいたいマズイマズイいいすぎなんだよ、うまくないってだけで、そんなマズイってほどのことじゃないだろ? そりゃ三十年まえなら世の中にそういうクイモノってのはいくらでもあったよ、ほんとにこれがクイモノか、こんなものを食っちゃって死なんのかと疑ってしまうような生命の危険さえ感じるクイモノがそこらじゅうにあったよ、だけどいまはもう二千年だぞセイレキ二千年、こんな、余ったクイモノをバンバカ捨ててる時代にだ、そんなマズいもんなんてつくってたら商売になんねえよ、マズイものなんかいまどき野良犬だって食わねえぞ、それともおまえ、いっぺんおれの親戚の農家いってみるか、あすこにいきゃいまでもほんとにマズイものが食えるぞ、食わされるぞ、そこにはジジイがいてな、どういうわけだか農家のジイサマというのは川魚をつらまえんのが大好きで、そりゃもうアコギなくらいに一網打尽に捕獲してくるのが大好きで、どうもあのへんのジイサマらには川面にゆったりと釣り糸をたらしつつ天下国家をおもうだとかオノが人生を振り返りさらには悠久の時の流れに身をまかすだとか、そういう小奇麗なことは金輪際ありえなくて、「キャッチアンドリリース」なんてのはどこかちがう星のできごとだとおもってるのはまちがいなくて、もう目の色かえて魚をつらまえんのしかアタマになくて、ようするにあのへんのジイサマつうのはトシはくってもアタマんなかは小学生のときと一緒だからな、おれの親戚のジジイもまさにそうで、ヒマをもてあますと利根川にでかけて利根川魚を一網打尽にしてくるわけだ。捕まえた魚は醤油で煮て晩めしのオカズにしてくう。くうのはいいんだけど、なにしろこれがもうただひとすじにマズイ。おれもマズイものってのはいろいろくったけど、あれくらいマズイものはないよなあ、だいたい人のカラダっていうのはクイモノじゃないモノを口にいれると「あ、キミキミ、これね、食べ物じゃないよ、だから食べちゃダメだよ」って教えてくれるものだけど、あの利根川一網打尽魚を口にいれるともうもろにそういう反応をおれのカラダは示してだ、だってさあ、味なんつったらもう泥の味しかしないんだよ、泥だよ泥、泥を醤油で煮て食ってんだからそらカラダだってびっくりしちゃうよな、ほんと、飲み込むのに苦労するんだけど、ところがジジイは平気でパクパクとこれをくらい、おれのハシがすすんでいないのに気づいて「どうしたマサオ。遠慮すんでね。もっとくえホレ、もっともっといぐらでもあっから」と皿に泥魚を三匹も追加されたひにぁ〜おれも親切の暴力とはこのことか、おれがわるかった、おれがわるかったからもう堪忍してくださいと謝っちゃうんだけど、おまえもいっぺんおれと一緒にアタマさげてくるか、ジジイにむかって「わたしが間違ってました、わたしがアマちゃんでございました」とアタマをさげてくるか、どうだ、え、どうなんだオイ」
と、これほどくちをすっぱくしていってきかせてもアワマツリ君はひきさがらない。
「だってほんと、ほんっとにマズイんすよ、んじゃマズくなかったらおれがオゴリますよ、だからためしに食ってみてください」
とアワマツリ君がイコジになるので、それほどまで主張するのなら食ってやるかとつれていかれたR市のラーメン屋でわたしはこないだ、マズイものを食べました。はあ。真にマズイラ〜メンというものを食べました。だいたい夜の八時という黄金の時間帯に客がおれたちのほかにいないというのがすでにマズイ店内に足をふみいれて席に腰をおろすと、おそろしく動作の緩慢なオバチャンが注文をとりにきた。どっかでみたことがあんだよな〜。どこでみたんだろう? 考え込んだけどおもいだせない。考え込みながらおれはビールとラーメンを注文する。さいしょにビールがはこばれてきた。とりあえずビールはビールの味で、一日のロウドウを終えたカラダにこれはまずかろうはずがない。それより気になるのはオバチャンの動作だ。のろすぎる。電池がきれたウォークマンみたいだ。もしかしたらオバチャンのまわりだけ時間がゆっくりながれてるのかもしれない。たしか「火星のタイムスリップ」っていう小説にそんな登場人物がでてたけど、あれなのかもしれない。しかしそれにしてもあの姿は、たしかにどこかでみたことがある。どこでみたんだろう? なんだっけなあ、う〜ん、おもいだせないや。などと考えているとむこうからおばちゃんがおれのラーメンを運んでくるのがみえた。のろい。いくらなんでものろすぎる。あれじゃメンがのびちゃうだろうが、べつに優香が水着で持って来いとはいわないけど、もうすこし動作の人並みなオバチャンを雇ったらどうなんだとはらはらしながら見守る。到着する。どん。ラーメンがテーブルにおかれる。しるをすする。「どうすか?」アワマツリ君が小声でおれにたずねる。目がわらってる。うむ、とおれはこたえてメンをたぐる。ずるずる。くう。「どすか? どすか?」アワマツリ君がしつっこくたずねてくる。ずるずる。またくう。「どすか? どすか?」二口ばかりくったところでおれはおもむろにハシをおき、アワマツリ君に耳うちする。「‥‥おれの負けだ」「負けっていうのはどういうことすか?」「マズイ」「え?」「マ・ズ・イ」店のひとがむこうにいるので我慢して小声でこたえたのだが、ほんとうは「マズイっ」といつもの三倍くらいの大きさでいいたくなるくらいにそれはマズかった。だいたいもう、うまいとかマズイとかいういぜんのシロモノだった。いや、味はある。たしかに味はある。そしておれはその味をしっている。味というか、においをしっている。カブトムシのにおいだ。しるをくちにいれたとたんにおもいあたった。子供のころクヌギ林でつかまえたカブトムシ、樹液をすするところをつかまえたカブトムシ、あのにおいとおなじにおいが口のなかにひろがっていた。ふたくちめ、カブトムシの香りはさらにくちじゅうにひろがり、目をとじればそこはもうクヌギ林だ。「おめえ、これ、なにでダシとってんだ? カブトムシじゃねえだろうな?」おもわずドンブリ片手に厨房にどなりこみたくなるくらいに、それはカブトムシだった。おまけにメン。おっさんのビールっ腹みたいなふやけてブヨブヨの太メン。おれはその形状をしっていた。ひとめみて、小学生のころに図書館の本でみた回虫の写真をおれはおもいだした。それも一匹や二匹ではなくて、死んだブタだかウシだかの内臓にたっぷりつまっていた大量の回虫。あれをおもいだしていた。三口くったところでおれはなんだか人生に身も心も疲れきってしまったみたいに、グッタリとなってしまった。「だめだ。おまえ食え」文字通りハシを投げてアワマツリ君にすすめると「いやいやいやいやいやいや、いいっすよオレ、ハラいっぱいっすよとんでもないっすよ」と馬みたいにクビをふってこたえる。くちもとはわらっているが、目は殺気だっている。ぜったいにくうもんか、とその目はかたっている。しばらく押し問答をしてあきらめておれはラーメンをえいやと一口でぜんぶ食ってやった。そしてビールで喉の奥にながしこんだ。「だめだよ、だめだよ、だめだってばあ」とおれの食道は悲鳴をあげてラーメンを押し戻そうとしてきたが、うるせえシノゴノいわねえで飲み込め、と無理矢理胃袋に押し込んだ。逆流してきた。そんなにイヤか、そんなに食うのがイヤなのか、と我が胃袋ながらいたましくおもえたが、ときには厳しく接するのも父親の愛情だ。獅子は千尋の谷に我が子を突き落としてどうこうと巨人の星にもあった。泣く泣くおれも我が胃袋を千尋の谷に突き落とした。胃袋がのたうっているのが手にとるようにわかる。な、なんつう凶悪なクイモノだこれは。つうかクイモノじゃねえよ、これは。ためしにこのラーメンを利根川にぶちまけてみろ、あたりいちめんに魚がプカプカ浮かんでくるぞこれは。なんでR市の保健所は取り締まらねえんだよ、死人がでてからじゃおそいぞおい。
「ね? マズイでしょ? ハンパじゃなくマズイでしょ?」
おれが腹に手をあててうつむいていると、アワマツリ君が話しかけてきた。
「む‥」
もはやしゃべる気もなくうなずくと、
「じゃ、おれ、おごんなくっていいんすよね?」
勝ち誇ったようにアワマツリ君がいう。無言でおれは伝票をひっつかみ、精算をする。あまりにマズイものを食った衝撃でアタマがふらふらする。ふらふらしながら精算をすませ、ふらふらしながら店をでてアワマツリ君のクルマの助手席に乗り込んだ。
「なっ、なんだありぁあああっっ。ふざけんじゃねえぞ、てめええっっ」
運転席のアワマツリ君にむかっておれは声をあらげた。
「なっ、なんすか、いきなり」
「いきなりもへったくれもあるか、まっ、マズすぎだありゃあっ。なんつうモノをひとに食わせんだおまえ、おれを殺す気か」
「だ、だからマズイっていったじゃないすか」
「マズイったってホドがある、ふざけんなてめえええ」
「ひいい、な、なにするんすかあ」
「うるせえ、てめえええ」
ラーメン屋の駐車場にとめたクルマのなかで、アワマツリ君にヘッドロックをかまして怒りをぶちまけていると、とんとん、と窓ガラスをたたく音がする。なんだなんだとみると、ラーメン屋のおばちゃんがたっている。おれたちをのぞいてる。顔のまんなかにあいたふたつの穴みたいな目でじいっとおれたちをみている。なぜだかしらないが、そのときおれは、ぞーっとした。いつからおばちゃんはそこにいたんだろう。穴みたいな目でいつからおれたちをみてたんだろう。なんだかおれはぞーっとしてしまった。
「ど、どうかしましたか」 びびりながらガラスをさげると、
「おきゃくさん、帽子、わすれましたよ」
という。みるとたしかに手に帽子をもっている。
「あ、すいません、どうもわざわざ」
ヘッドロックから逃れたアワマツリ君がオバチャンにあいそわらいをして帽子をひったくる。
「ごちそうさまでした、どうもどうも」
アワマツリ君もえたいのしれない恐怖を感じたらしい。かれはそれからただちにエンジンをかけ、タイヤをならしてクルマを発進させた。うしろもふりかえらずに。おばちゃんがおれたちのクルマの後ろをおいかけて走っているような気がして、おれもまた振り返ることができなかった。そんなふうに無言のままおれたちは、全速でクルマを走らせつづけた。
その夜おれは原因不明の高熱にうなされた。高熱にうなされながらおれは、夢うつつのなかで、おばちゃんがだれに似ていたのかおもいあたった気がしたのだが、よくあさ目をさますとすっかり熱はひいていて、おばちゃんがだれに似ていたのかもおもいだせなかった。いまもおもいだせない。そして、おもいだしたくもないこれがまずいラーメンの夜の話である。

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