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●なにごとにもモノゴトには終わりというものがあって、さびしいものだが、夏の終わりというのはまた格別にさびしいものである。
「わたしたち、もう、会うこともないのね?」
「おたがいに忘れよう。ぼくたちの恋は、夏の夜空をいろどった大花火菊五寸だったのさ」
「夜空を一瞬だけあかるくそめて、そして消えてゆくのね」
「そう。あとにはなにも残らない」
「さようなら、マサオさん」
「さようなら」
「まって」
「なんだい?」
「もういちど、顔をみせて。あなたの瞳のかがやきを胸にやきつけておくの。わたしがこの夏、いきたあかしに」
「………」
「うぷっ」
あ。しまった。吹き出してしまった。これじゃちっともさびしくないじゃないか。だいたい、そんなに簡単に吹き出すなよ、ミスサマー2000(だれだそれは)。
●ともかく、イメージには失敗してしまいましたが、夏の終わりというのはこれくらいさびしいものがある。では、どのへんでひとはさびしい夏の終わりをかんじるようになるのか。おれのばあいは、なんといっても稲刈りである。なにか、ミスサマー2000(だからそれはだれなんだ)のイメージとはずいぶんかけはなれてしまうけど、でも、これはかなりさびしいです。稲刈りのすんだあとの田んぼというのは、ああ、夏が終わってしまったんだなあとひしひしとかんぜずにはおれない情景です。稲刈りのすんだ田んぼをトンボが飛んじゃったりしたらこれはもう、ゆうや〜けこやけ〜の〜、なんて口笛ふいてうなだれてしまうくらいさびしい夏の終わりで、その稲刈りが、ウチのあたりではもうはじまっている。このあたりでは、お盆がすんだころからはじまる。農家のひとたちにしてみればこれから戦場みたいないそがしさになるわけで、夏の終わりがどうのミスサマーがこうのとわけのわからん感傷につきあってるどころじゃなくなるんだけど、でも、さびしいものはさびしい。あのさむざむとした情景をしっているだけに、あの情景があらわれたら夏が終わりなんだと実感としてもっているだけに、たわわに実った稲穂がコンバインで二条刈りされるようすなんかをみると「あああっ、なつが終わってしまううううっ、おれのなつがああっ、なつをかえせえええっ」という気もちになってしまう。おもわずコンバインを操作するヤンマーの帽子のじいちゃんをうしろからハガイジメしてしまいそうになる。しかしじいちゃんをハガイジメしようがばあちゃんをクビリころそうがウムをいわせず夏は終わってしまうわけで、こればかりはいたしかたない。まさか、それがいやで稲刈りの時期がおそい土地へひっこすわけにもいかないし。
●さよなら、ミスサマー2000。おれはビールのんでねるよ。
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