[2000年8月22日] めしくった作文
菓子パン(あさ)
カツカレー(ひる)
ラーメン。ぎょうざ。ビール(ゆう)

●「めしくった作文」とよばれる作文が、おれのチマタにある。これはなにかというと、ようするに、その日にじぶんが食べたものの献立を列記しておくという作文である。読むひとの興味なんかはかんがえない。じぶんの評判も関係ない。娯楽も教養もオチもへったくれもない。ただひたすらに、じぶんが食べたものをならべるのみだ。いぜん、そういうのをつづるひとがほんとうにいて、じぶんのその日の献立ばかりをBBSに書き込んでくるネットワーカーがいて、あんのじょうこまられていた。おまえはしょうがねえなあ、めしのオカズくらいしか自己主張のネタがねえのかよお、もっとなんかナカミのあることを書けよお、というふうにからかわれていた。それでもかれはそのスタイルをくずさず、定期的にしっかりとその日のオカズを書き込みつづけた。みんなに文句をいわれ、さげすまれ、うとまれ(それほどのことはない)、それでもかれはめげずにせっせと献立を記録しつづけた。そのかれの見当ちがいの労力にやがてメンバーは敬意を表すようになり、そうしてうまれたのが「めしくった作文」ということばだ。これはわれわれののうみその国語辞典に畏怖とともに収録されることになった。おれののうみそにもいまだに収録されている。ためしにひいてみると、その意味は「しょうもない作文」とある。「ほかに書くこともないひとが、それでもなにか自己主張しようとしてつづる作文」というふうにもつけくわえられている。
●といったアンバイで「めしくった作文」はとうじ、じつに不遇なあつかいをうけていて、おれはといえばむろん付和雷同が座右の銘なので、みんなといっしょに「めしくった作文ってほんと、しょうがないよね、ひとのめしなんて興味ないよね、ぽいうぽいう」みたいなことをその場ではいっていたんだけど、でもひそかにおれはそれがすきだった。興味しんしんで読んでいた。他人がなにをたべているかというのは、どうにも興味しんしんだ。もっとたくさんのひとが「めしくった作文」をすればいいのにとおもっていた。そして、じつをいえば、おれだってめしくった作文がやりたかったのだ。そんなわけでいまおれは献立を日付のしたに記している。
●しかしじぶんでやってみておもうんだけど、これってなんか、高級な食事をしてしまったときには書きづらいですね。一本三万円もするワインだとかを飲んでしまったときに、それを記すのはちょっとイヤミなかんじじゃない? それって困るよなあ、そういうときはやっぱりひとこと謝っておいたほうがいいのかなあ、でもかえって不自然かなあ、などとつねづね悩んでいるんだけど、そういったおれの心配をよそに、いまだにそういうイヤミな献立が記載されたことはない。とうぜんだ。イヤミな食事をしてないからだ。ホームページをはじめるいぜんからしていなかったし、いまだにしていない。たべてるものいえば、牛丼だとか冷やしたぬきうどんだとか、そんなのばっかりである。たまにはイヤミなものを食えよ。月に一回くらいならイヤミじゃないよ。ぎゃくに心配されちゃうよみてるひとに。
●しかし、まさかとはおもうけど、おれの献立をみて「こいついいモノくってんなあ」とひごろからうらやんでるひとはいないですよね。まさかとはおもうけど。いや、うらやんでもらえるとそれはそれでうれしいんですが、もしもそんなひとがいるとしたら、ちょっとまずいです。ちょっと食生活をみなおしたほうがいいです。よけいなお世話ですが。
●ところで、そのBBSにはもうひとり、間違った情熱をおもいきりぶつけてくるネットワーカーがいて、かれはなにを書きつらねてきたかというと、夢の話だった。「ぼくの夢はね、天文学者になって、ギアナ高地に天文台をおったててホシボシとともに暮らすことなんだ」と目にホシをかがやかせて語るあれではなくて、ねとるときにみた夢の話だ。「きのうはブタが空を飛んでる夢をみました。それも大群で空をとんでいて、そのときなぜかわたしは小学生で、夏休みの宿題の絵日記をつけていて、それをスケッチしていたら…」とかなんとか、ほんっとにもうロクでもない。オチもヒネリもなんにもない。おまけにやたらめったらながい。しかもまいにちまいにち書いてくる。これは迷惑でした。だれもよんでなかったけど。

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