[2000年10月12日] does
菓子パン(あさ)
かきフライ。ハンバーグ。めし(ひる)
すきやき。めんたいこ。めし(ばん)

●浪人のときに予備校でしりあった女の子にオブツというあだなの子がいて、このあだなをはじめてきいたときにはずいぶんびっくりした。よりくわしくいえばしりあったのはオブツとともだちだった女の子なんだけど、予備校でおなじクラスになり、すぐにうちとけて、あるひ、予備校の授業がおわっていっしょに教室から廊下にでた。あたりは予備校生でごったがえしている。そんななかで彼女が「あっ、オブツだっ、オブツうううっ」とむこうのほうをむいてさけんだ。さけばれたさきには女の子がいて「あっ、どうしたの、なんでこんなとこにいるのおおおっ」と手をふってこたえている。「オブツこそなんでこんなところにいるのよおおおっ」とこなたも手をふっている。はたできいていたおれはあっけにとられるばかりだったが、とうにんたちはなんともおもってないらしい。よぶほうも、よばれるほうも、オブツということばについてはとくにこれといった感慨はないらしい。あだなというのは、なれてしまえばそういうものなのかもしれない。
●たとえばおれが中学生のときの同級生にメンデルというあだなのやつがいて、メンデルは頭部が珍妙なかたちをしていて、ちょうど音楽室にあったメンデルスゾーンの肖像画とそっくりだったので、それでメンデルはメンデルとよばれるようになった。デルスでもゾーンでもなくなぜメンデルだったのかはわからない。とにかくメンデルとよばれるようになった。あだなっていうのはなんだかあんまりだなあとおもうのは、中学生のころにつけられた情け容赦ないあだなでも、それがどんなに情け容赦なかったとしても、一生涯それでよばれてしまうところで、そのころのともだちがあつまるといまだにだれもなんのまよいもなくかれをメンデルとよんでいる。メンデルもメンデルですこしはいやがればいいのに、もういいかげんメンデルはかんべしてくれないかなあ、とかなんとかいえばいいのに、なんの疑問ももたずにそうよばわれていて、お、メンデル、すまん、そこのショウユとってくれ、とかいわれて、おう、ほらよう、とショウユをてわたすメンデルをみるにつけて、こいつはこのまま六十になっても八十になってもメンデルなんだなあ、生涯いちメンデルとして、メンデルに生きメンデルに死んでゆくのだなあとメンデルの横顔をみつめながら感慨にふけったりする。たまたま音楽室にメンデルスゾーンのいんちきな肖像画があったばかりにかれはメンデル人生をおくっていくのだなあ、ひとのさだめとははかりしれないものだなあ、とさめたビールをのみほしたりする。ほんにんがとくにどうともおもっていないようなので第三者があれこれとくちだしをするべきことじゃないのかもしれないけど、でもさあ、メンデル、きみはそれでいいのか? ほんとに一生メンデルでいいのか? おまえ、来年あたりムスメが中学校だろう? いいかげんメンデルはよしといたらどうだ、なあ、メンデル。こころのなかでおれはメンデルにそうよびかけてみるのだが、もちろんメンデルはなにもこたえない。
●だけどメンデルというのはどちらかといえばまだましで、メンデルがメンデルとよばれだしたとうじメンデルと懇意にしていたやつでダズというのがいた。とうぜんいまだにそのころのなかまからはダズダズいわれてるわけだが、ダズというのは英単語のdoesのことで、そもそもダズは小学生のころ後頭部にコンドーム大のハゲがあって、コンドームといっても使用後ではなく使用前のやつなんだけど、それくらいのハゲがあって、小学生だったおれたちはかれをダツとよんでいた。だれがいいだしたのかはわからない。とにかくだれもがかれをダツとよんでいた。脱毛のダツだ。これがみんなで中学校にあがり英語の授業でdoesという単語をおそわったその日からダズにかわった。ダズヒーダズモウ? イエス、ヒーダズモウ。そのころおれたちはそういう問答をなんどもくりかえしてよろこんでいたのをおぼえている。すくいようのないバカさかげんだ。中学生といえばもちろんバカだが、それにしたってバカすぎる。で、かんじんのダズはそのごどうなったかというと、コンドーム大だったハゲがみるみるひろがりだして、中学のおしまいごろにはつるっぱげになってしまった。すべての頭髪がぬけおちてしまい、それでダズはひとめでそれとわかる妙ちくりんな七三分けのかつらをかぶるようになるのだが、あだなはあいかわらずダズで、このひとにめんとむかってみんなへいきでダズダズよんでいた。いまだにみんなそうよんでいる。なんだかあんまりな話だなあとおもう。

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