[2000年11月5日] 箱根に
すぶた定食(ひる)
がんもどき。めし(ゆう)

 彫刻の森美術館ってあるよね。あのフジサンケイグループのやつ。あそこに、どちらかというとつましい迷路があるんだけど、これがなかなかどうしてあなどれない。学生のころにおれはここにあそびにいって、おっかないおもいをしたことがある。迷路そのものは25メートルプールくらいのひろさしかないんだけど(ちがうかもしれない。ずいぶんいぜんの印象でかいてるので)、迷路に必要な条件をそなえてる。おれがかんがえる迷路に必要な条件というのは、
●ほかのにんげんの存在を感じさせないこと。
●壁はあつく、高いこと。
●ものおとひとつしないこと。
 以上のみっつなんだけど、ちゃんとこれらをクリアーしている。なにしろ壁が高い。壁があつい。おまけに、ほかに、まったく他人の存在が感じられない。たまたまその日の美術館がすいていただけなのかもしれないけど。みえるのは、狭い通路の壁と床と、頭のうえの細長い空だけ。ここで迷ってしまった。このときのこわさは本物でした。「もしかしたらおれは、この迷路にひとりぼっちでとり残されてしまったのではないか?」という不安と「もしかしたらおれは、この世界から一生ぬけでられないのか?」という不安と、さらにいうなら「もしかしたら、どこかよくない世界にまぎれこんでしまったのではないか?」といった不安とがごちゃまぜになって、ちょっととりみだしてしまうくらいびびってしまった。たとえばだれでも子供のころ、ひろいひろい宇宙のなかで、じぶんがたったひとりでとり残されるわるい夢におびえたことがあるとおもう。だれだって、それに類した恐怖にさいなまれたことがあるはずだ。そしてそれは、じつは本当のことなので、おれたちは本能的に、その恐怖にはしんからおびえてしまう。そのこわさを、まざまざとおれたちにおもいださせてくれるのが迷路なのだった。どうでもいいけどなんだか話がオオゲサになってしまい、われながらとまどっているのであった。
 ではさいごにこの話のおち。どんな話にもおちはつけとかなくちゃね。その箱根の迷路で迷ったとき、じつはひとりぼっちじゃなかったんだ。そのときおれは、女の子とふたりして「どっか温泉旅行にいきたいね」ということになり、それでてぢかな箱根に一泊旅行にでかけたのだ。迷路で迷ったときも、じつは、ふたりで迷った。そんで、あたりにひとがまったくいないことを確認したおれたちは、迷路のまんなかで、ながいキスをした。青空がみてたけどね。

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