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世の中にはコレクターとよばれるひとというのがいて、なにをするかというと、ものを集めるんである。あたりまえだ。しかしその集めるものというのは、あまりあたりまえじゃない。牛乳びんのフタだとか、けしごむだとか、どちらかというとしょうもないものを集めるんである。ハタでみているほうは、そんなものを集めていったいなにがうれしいのか、さっぱりわからない。そういうわからないものをちまなこになって集めるんである。ヒマと財力ととほうもないエネルギーをそそぎこんで集めるんである。それがコレクターである。かといって、集めるひとはみんなコレクターというかというとそういうわけでもない。おかねとか宝石とかを集めるひとはあんまりコレクターとはいわれない。基本的に、な〜んの役にもたちそうもないものを大量に集めるのがコレクターである。な〜んの役にたちそうもなく、じっさい集めてはみたもののな〜んの役にもたっていないものにかこまれてエヘエヘとよろこんでいるのがコレクターである。てなわけで、ここでむくむくとわきあがってくる疑問がある。なんだってひとはそんな、な〜んの役にもたちそうもないものを集めたがるのか。コレクトするこころとはいったいなんなのか。ひとはいかにしてコレクターへの道をあゆむのか。むくむくと疑問はわいてくるんだけど、ほんとうのところはおれにもよくわからない。わからないままにおれも、じつは、コレクトしてしまったことがある。ちまなこになってコレクトしまくったことがある。なにをコレクトしたかというと、ヘビである。
小学生のころ仲がよかったやつでカズオというのがいて、カズオとおれはいつもいっしょにいたのでともだちからは「スレスレ兄弟」とか「スレスレコンビ」とかよばれていた。なににたいしてスレスレだったのかはいまもってしてわからない。しかしとうじはなんともおもってなかったけど、いまにしてかんがえてみるとろくでもないいわれかただな。ほんとにおれってスレスレだったんだろうか。しらないけど、そういえば寝小便は二十歳くらいまでしてました。はあ。してました。って、こんなことを白状するためにおれはこの作文をはじめたんじゃなくて、とにかくこのカズオとおれは小学生のころいつもいっしょにあそんでたのね。そんで、五年生から六年生になる春休みが終わって学校がはじまった直後、その日は昼ごろに学校はおわってしまって、カズオとおれは川の土手をすることもなくふらふらと風にふかれてさまよっていたんだけど、ところがそれはちょうどヘビが冬眠からさめる日だったらしくて、あいつらはいっせいに冬眠からさめる習性があって、きのうまで一匹もいなかったのに、とつぜんうわっとそこらじゅうにヘビがのたくる日というのがあって、ほんとうにもう、そこらじゅうにヘビがいる。このうちの一匹をつかまえたカズオがなにをおもったのか、たまたまそこに落ちていた一升ビンのなかにぐい、ぐい、ぐい、とこれを挿入しはじめた。ヘビにはうろこがあるから、しっぽのほうからははいらない。まずアタマをいれて、あとは胴のところを、どこからどこまでが胴なのかしらないけどまあたぶん胴なんだろうな、これをわしづかみにしてぐいぐいぐいと順ぐりにビンのなかにつっこみだした。そうしておしまいまですっかりいれてしまうと満足したみたいで、ビンのなかのヘビをながめてよろこんでいる。なにやらウットリとした目つきになっている。ヘビもせっかく冬眠からさめたとおもったのにいきなりビンのなかにつっこまれてるんだからたまったもんじゃないけど、なにしろ子供だからなにをされてもしょうがない。それからカズオはたいせつそうに一升ビンをもちあげて、これを手にしたままおれたちはふたたび土手をさまよいはじめた。するとここにまたなんの罪もない一匹のヘビがあらわれた。こんどはおれがこれをつかまえて、ためしにおなじ一升ビンのなかにぐいぐいぐいとヘビを挿入してみた。二匹のヘビはビンのなかでぐにょぐにょとからまりあいうごめいている。カズオはそれをながめてますますウットリとしている。たぶんおれもウットリとしてたんじゃないかとおもう。もしかしたらおれにとってはこれが粘膜というものへの目覚めだったんじゃないかという気がする。いや、ほんと、しちゃったんだよなあ。ウットリと。おまけにえたいのしれないシルみたいなのが分泌されてて、ながめてるだけでなんかこう、粘膜的な快の世界というものにいざなわれてしまったんだよなあ。てなわけで、それからあとはもう、コレクトするだけでした。その日の午後じゅうをかけてコレクトした結果、数匹のヘビがなかでからまった一升ビンが三本ほどできました。こうなるとなんかもう、すてるのがもったいない。そのまま家にもってかえり、使われていない小屋が庭のスミにあって、マデヤっていうんだけどね、このマデヤの棚にビンをならべてカズオとふたり、ウットリとしてながめてました。ただひたすらにウットリとしてました。そのときすでにカズオとおれは変態ヘビコレクターとなりはてていました。つぎの日からはもう、雨の日も風の日もやすまずにカズオとふたりでヘビ収集の毎日です。一升ビンをぶらさげてヘビをつめこむ毎日です。いまおもいだすともちろん気色悪いですが、そのころはぜんぜんそんなことはおもいもしませんでした。とりつかれたようにヘビをつかまえてました。たのしい毎日でした。日に日に一升ビンがふえていくのがうれしくてしょうがありませんでした。コレクトするこころ、およびヘビ皮のこころというものに開眼しました。うすぐらいマデヤにずらりとならんだヘビ詰めの一升ビンをふたりしてながめては、よだれをながさんばかりによろこんでました。そんで、このすばらしき粘膜の日々がどうしておわってしまったのかというと、あるうららかな日曜日のひるさがり、マデヤの方角から悲鳴がきこえてきました。なあんもしらないおれの母親がマデヤにあしをふみいれて、そこにずらりとならんだヘビで満タンの一升ビンをみてあげた悲鳴でした。半狂乱になった母にわたしはさんざんののしられ、父にはどつきまわされ、一升ビンをただちに捨ててくるようにとめいぜられました。一升ビンはすでに三十本ほどありました。ヘビは百匹くらいになってました。なくなくわたしはこれをリヤカーにつんで、捨てにいきました。とちゅうでカズオの家によって、カズオとふたりで泣きながらリヤカーを押しました。ヘビ入り一升ビンを山ほどつんだリヤカーを押して町をねりあるきました。やっぱりこれじゃスレスレといわれてもしょうがなかったかもしれません。でも、なんだかひじょうに悲しい気もちでした。おれたちはリヤカーをおして川へいき、川に一升ビンをざぶん、ざぶん、とほうりなげました。それから石をなげて、ビンを割りました。ヘビはまだみんな生きていて、ビンが割れると水のうえをするするするするとおもいおもいの方角に泳ぎさりました。水のうえを放射状にひろがってすべってゆくヘビたち。ちょうど夕陽のしずむ刻限で、それはなんだか幻想的な光景にみえました。さようならヘビたち。さようならぼくたちのコレクション。ひとはこうして大人になっていくんですね。ぽいう。
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