[2001年01月21日] ストラグル
イタリア。ビール(ゆう)

 「struggle」という英単語があって、「泥のなかでもがくように悪戦苦闘する」という意味でつかわれたりするんだけど、泥のなかでもがくというのは、それはたしかに苦しいものだ。そういう経験はおありだろうか。おれにはある。
 高校生のとき、春のおわりというか、夏のはじまりくらいの時期のある日、しりあいから単車をかりてのりまわしていた。赤いタンクのスズキのGS400というやつである。これをあちこち乗りまわして、いったん家にもどり、また単車にまたがって発進させようとキーをまわしてエンジンをかけたとき、異変がおこった。ギアがはいったままだったのだ。単車というのは、エンジンをかけるときにはギアはニュートラルにしとかなくちゃいけない。単車にかぎらずたいていそうだけど。そうしないと、いきなり発車してしまうのだ。ひとから借りた、ふだん乗りなれていない単車をいい気になって乗りまわしてまいあがってたせいだろう。どうもそのまえにエンジンをきったときに、ギアがいれっぱなしだったらしい。そしてそうとはしらずにエンジンをかけてしまった。もちろんそのときおれは単車がいきなりうごきだすなんて予期していない。ハンドルさえにぎっていない。この単車がえらいいきおいで発車したんだからたまらない。あわててハンドルをおさえようとしてももうおそい。単車はおれのことなんておかまいなしにどこかをめざしてつきすすみ、おれはなんとかそれを制御しようとし、カウボーイのやるロデオみたいな数秒があって、そしてつぎにおれがわれにかえったとき、なんだかわけのわからない、ただしたいへん困難な状況におちいっていた。すなわち、単車は田植えのすんだ泥田に平行になってそこへ落ちゆかんとし、田んぼにしっかりと両足をふみいれたおれがそうはさせじとそれをささえ、こらえているという状況である。ことばできちんと説明するのがめんどくさいのでいっそ図を描くからそれをみてもらおう。ホームページというのはこういうことができるから便利である。おれみたいな、日本語がちょっと不自由なにんげんには便利である。
bike
 というわけで、なんの因果かこんなことにわしはあいなってしまった。まさかとはおもうがことわっておくと、わしはダースベイダーではない。たんにヘルメットをかぶっているだけだ。しかし、みればみるほど絵に描いたような悲惨な状況である。じっさい絵に描いたんだけど。悲惨な状況である。ふだん見慣れたなにげない風景も、いっぽまちがうと地獄と化することがあるという好例である。ここにいたるおれの敗因は、なにしろギアがいれっぱなしになっていたことが最大のものだが、もうひとつ、とうじのおれの家が田んぼのなかの一軒家で、四方八方を田んぼにぐるりととりかこまれていたことにももとめられよう。いっぽ道をはずれるともうあとはどっちへいっても田んぼしかない。それを単車はおもいきりめざしてしまったので、あわてたおれは単車をとびおりてこれをいさめようとした。ところがそのためにはおれは田んぼにはいるしかなかったというわけである。このザマは、ハタからみたらかなりわらえる状況である。いまとなってはおれも他人事なのでわらえる。でもこのときのおれにはわらいごとではなかった。なにしろもう、単車というのは重たいんである。400CCともなると、これはもう、はなはだ重たいんである。たしかに、道にたおれた単車ならば、ひとりで起こすことができる。コツがあって、それさえつかめば造作もない。けれどこの場合のおれは、図をみればわかるとおり、単車よりひくい位置にある。ここで単車を立て直すというのは、単車を起こすというより、持ち上げるというべき行為である。ひとりで単車を持ち上げられるやつなんて、まずいない。すくなくともおれにはぜったいに無理だ。ありったけのちからをだしても、支えているのがやっとだ。しかも、足下は田んぼなんである。泥なんである。ふんばるどころか、ただ支えているだけで、ズブズブズブズブズブズブと底なし沼みたいに沈みこんでってしまうんである。ああ、おれはこのまま単車もろともどこまでも沈んでってしまうのかと恐怖させられてしまうんである。かといってこうなってはもう、ひとりではどうにもならない。そこで単車をささえながらヘルメットのなかのクビをふってあたりをみまわすと、むこ〜のほうやもっとむこ〜〜のほうやもっともっとむこ〜〜〜のほうや、あちこちの田んぼで平和にトラクターをはしらせてるじいちゃんや草をむしってるばあちゃんがいる。声をかぎりにさけんでいちばんちかくにいたじいちゃんをよぶと、やがてじいちゃんは気づいて、ふざけてんのかとおもうくらい緩慢なあしどりでおれのところまできてくれた。すでにおれの両腕両足は疲弊しきっていて、けいれんしはじめている。刻々と事態はのっぴきならない状態に突入しつつある。ところがじいちゃんはそんなおれの極限状況などおかまいなしで、余裕をかましつつやってきて、「どうしたんだや〜?」と問う。どうしたんだやもこうしたんだやも、おめ〜、みりゃわかんだろうっっとおれは叱りつけたかったが、じいちゃんのご機嫌をそこねるのだけはさけねばならん。そもそも、そんな元気はもはやおれにはない。「たっ、たっ、タスケテ」とナミダぐみながらやっとそれだけをうめくと、じいちゃんは「やっこらせえ」と田んぼにはいっておれといっしょに単車をささえてくれた。おかげでおれはおおいにラクになったが、まだ単車を起こすまでにはいたらない。ふたりではパワーがたりない。じいちゃんもそのことに気づいたらしく、むこ〜のほうにいるべつなじいちゃんにむかって、「おおい、おおい、ちっとこごさきてくれええ」と手をふって呼びだした。それはいいんだけど、いきなりじいちゃんが単車をささえるのをやめて手をふりだしたもんだから、またしても単車の重量がおれひとりの細腕にかかってしまい、両足はずぶずぶとさらに田んぼに沈みこんで、「まふう」とかなんとか、LedZeppelinのWholeLottaLoveのでだしにはいってるみたいなあえぎ声をおれは漏らすことになった。けっきょく、どうにか単車が路上に、あるべきカタチで自立したのはそれから十分かそれくらいしてからである。農家のじいちゃん衆は六、七人くらいになっていた。わけもわからずつどってきたばあちゃん衆も五人くらいいた。この衆のまんなかで、すでに疲労の極みたっしていたおれは立つことさえままならず、地面にへたりこんで「だうもはりがとうございましたははあああ」とくりかえし感謝した。なんだか土下座してるようなポーズでへろへろつぶやきつづけていた。
●この話のありがたい教訓
 人間は、ひとりではいきてはいかれません。

沼の目次