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→どうもいぜんからよくわからないもののひとつに、衣類だとかカバンだとか腕時計だとか、そういった身につけるものの値段ていうのがある。たとえば春物のセーターひとつとってみても、ある店で1980円でうられているものもあれば、べつな店では19800円だとかでうられているものもある。39800円でうられてるものだってきっとある。ぜんぶおなじ春物のセーターである。それがいったいどうしてこんなにかわってしまうんだろう。たしかに原材料だとか製造過程だとか流通のしくみだとか販売戦略だとかによって値段に多少の差がしょうじるのはとうぜんだ。でもおれが理解できるのはせいぜい三倍くらいまでで、それいじょうとなるともうよくわからない。いったいこの差はなんなのか。いったいどうしてそんなとほうもない差異がしょうじてしまうのか。そのリクツがどうもわからない。あるいは両者をならべて、じっさいに手にとってこまかく検分すれば、やすいほうはそれなりだし、たかいほうはなるほどそれだけのことはあるなと感心させられるのかもしれない。でも、それにしたって差がありすぎだとおれはおもう。卑俗な例でもうしわけないんだけど、たとえばソープランドの値段というのはだいたいきまっていて、相場の二十倍だとか三十倍だとかいったことは基本的にありえない。二十倍だとか三十倍だとかいったソープ嬢というのは、例外的にはありえても、基本的には存在しない。もし存在したらいちどみてみたい(みるだけです。みるだけ)とはおもうけど。でも存在しない。そしておれはそれがあたりまえだとおもう。にもかかわらず、どうしてそういった、おなじようなモノなのに、片方はもう一方の二十倍だとか三十倍だとかの値段がついてしまう需要曲線と供給曲線があるのか。おれからみたらあたりまえのことを平気で無視して、しかもそれが当然のこととしてうけいれられている世界があるのか。おれにはわからない。諸君、世界は謎でみちている。
→じっさいにその疑問を世界にむかってなげつけてしまったことがある。もうものすごくいぜんのことなんだけど、マルイでシャツをみていた。その値札には、おれにしてみれば天地がひっくりかえったような、とほうもない、天文学的な数字がついていた。‥いや、さすがにこれは表現がおおげさか。ジャロにおこられるか。でもまあ、とにかく、それほどのことはないですけど、それでも「いったいなんでこんなたかいんだろう?」とおもってしまうような値段がついていた。シャツそのものは、こういっちゃなんだけど、なんの変哲もない、ありきたりなシャツだ。おれとしてはもう「なんで?」とおもわざるをえない。ちょうどたまたまそこに売り子のおねえさんがいて、おもわずおれはそれをたずねてしまった。シャツを手にとって彼女にみせて「これ、どうしてこんなにたかいんですか?」ときいてしまった。かんがえてみるとこれも失礼な質問だけど、なにしろおれもわかかったし、そもそも疑問におもったことはたずねたくなる性分なのでそうたずねてしまった。おねえさんはすこしだけムっとしたみたいで、それからかえってきたこたえは「お客様。このお値段でおたかいとおもわれるようでは、マルイではお買い物はできませんよ」というものであった。なかなか示唆に富んだ回答である。そういうわけでそれいらいおれはマルイでお買い物をしたことはない。それいぜんにもなかったけど。
→それとおなじころ、しりあいとふたりでカメラのさくらやで、商品棚にならんだカメラをみていたことがある。われわれのしらぬまにカメラというのはおそろしくやすくなっていて、価格革命とはすごいものだ、ながいきはしてみるもんだと、しりあいとおれは感心しあいながらあれこれみてまわっていたんだけど、とうとう感激のあまりおれはそこにいた店員のおにいさんにそれをたずねてしまった。おれからしてみたらしんじられないくらいやすいカメラをゆびさして、「なんでこれ、こんなにやすいんですか?」とたずねてしまった。ハッピを着た店のおにいさんはたじろいで、いっしゅん「え?」という顔になったが、すぐに気をとりなおし、胸をはって「それは、カメラのさくらやだからですっ」と元気にこたえた。あまりに出来すぎたこたえにしりあいとおれがこらえきれずにわらいだすと、店員のおにいさんもじぶんでこたえておかしかったらしい。すぐにいっしょにわらいだした。それからしばらく三人でこえをあげてわらってしまった。
→さくらやはえらい。
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