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●ロックというのは不自由な音楽である。不自由っていういいかたはよくないかもしれないけど、おやくそくみたいなものがたくさんある。それがいいかわるいかはまたべつな話として、おかげでコピーするぶんにはかなり楽である。たとえばこれがジャズなんかだと、おやくそくとかパターンというのはもちろんあるんだろうけど、おれみたいなロックのひとからみるともう「なんでもアリ」にみえて、なかなかコピーできない。そもそもやる気もおきないけど。いちばんとんでもないのはクラシックというやつで、いっけんおやくそくだらけでがんじがらめになってるようにみえて、じつは音楽的にはもうあれこそ「なんでもアリ」である。テクニック的にもとんでもなくて、おれからみるともうふしぎいがいのなにものでもない。オーケストラ音楽のテレビ中継なんかをみてるといつもふしぎになる。だいたいなんでドラムがいないのにみんなして音をあわせられるんだ? ほんとに指揮者の指揮棒というのはなにかの役にたってるのか? シンバル係のひとはシンバルだけでそれでうれしいのか? じんせいに懐疑的になったりしないのか? などなど、クラシックのオーケストラのコンサートというのをたまにみると、疑問はつきない。しかもクラシック音楽のかなしいのは、あんなにとほうもない技術と才能をそなえたひとたちがあつまって演奏してるのに、きいてるとだんだんねむたくなってしまうことである。あ。ごめん。いま本質をついてしまったろうか。それはいわない約束だったんだろうか。ごめんごめん。でも天国的な音楽っていうのは、宿命として、ねむたくなるという問題をかかえてる。これはもう宿命なんだからしょうがないよね。それとも音楽っていうのはもともと、子守歌をめざしてるのかもしれない。「すべての音楽は子守歌である」なんて、むかしのバッハとかだれかがいってたらそれらしくない? しらんけど、とりあえず、クラシックのコンサートっていうのは、そこらじゅうでいねむりしてるひとはいるようです。あんまりいったことないけど。
●というような話をしようとしていたのではぜんぜんなくて(すまんすまん)、いまはクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングの「デジャ・ヴ」っていうのをかけてる。ロックの名盤というとかならずでてくるやつで、ジャケットからしてもう名盤のふんいきがぷんぷんとただよってくるんだけど、でだしに『キャリー・オン』ていう曲がはいってて、これのギターがなかなかコピーできなくてずいぶんとくるしんだおぼえがある。そもそもおれはコピーがにがてだというめんはあるんだけど、それにしたってこんな大昔の、フォークギターをじゃこじゃこやってるだけの曲がコピーできないなんてそんなはずないだろうとおもうんだけど、ぜんぜんわからない。でだしのコードからしてもうわからない。変則チューニングなのはとうぜんとしても、どう変則なのかがわからなくて、そうやってこの曲をコピーしたいなあとおもいながらもできないままに十年以上もすぎたあるひ、たまたまはいった楽器屋の譜面コーナーで、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングの輸入ものの楽譜をはっけんしてしまった。うわ、とよろこんで『キャリー・オン』のページをひろげておれはそして、しんからたまげた。そこにはギターのチューニングはこうです、というのがのってたんだけど、それがあまりにとんでもなかったからだ。ぐたいてきにいうと、1弦からじゅんばんに、Eb、Bb、Eb、Eb、Eb、Ebなのであった。ようするに、2弦いがいはぜんぶおなじ音なのであった。めちゃくちゃである。めちゃくちゃにもホドがある、というくらいにめちゃくちゃな気がする。とりあえずチューニングだけおぼえて、そのチューニングができるようにギターの弦をかって(そう、この曲を演奏するには弦をはりかえるところからはじめなければならない)、そしてやっとコピーすることができた。それはそれで感激はしたけど、こまったのは、そのギターでは『キャリー・オン』いがいに演奏できる曲がないことである。というわけで、その日からずうっと疑問におもってることがあるんだけど、このチューニングは、もともとあるパターンなんですか? クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングいがいではきいたことないんだけど。それともこれはかれらのおもいついたチューニングなんですか。だとしたら、これをおもいついたときかれらは、なにをかんがえていたのでしょうか。いったいふだんなにをかんがえて生活していると、こんなばかげたチューニングをおもいつくのでしょうか。謎だ。しかもたんなるでたらめというわけではなくて、この曲をこのギターで演奏すると、すいこまれるくらいかっこいいんだからたまらない。なんでこんな曲ができるんだろう。曲っていうのはコピーしてみるとときどきおどろくことがあるんだけど、そのうちでも最大のおどろきのひとつにこの曲があります。
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