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●おれがだいすきなランディーニューマンのアルバムというと『グッドオールドボーイズ』というやつで、おれはいえでこうやってパソコンにむかってなにかをやるときにはたいてい音楽をかけてるんだけど、このCDをかけてるとおもわず手をとめて、頬杖をついて曲にききいってしまう。ききおえて、うんうんとうなずいてしまうような、そんな曲ばかりがならんでて、とくに『ルイジアナ1927』という曲があって、1927年にルイジアナで洪水があったよ、っていう歌なんだけど、なんでそんなできごとを歌にしちゃうのかは謎だけど、とくにこれがすきです。「クーリッジ大統領が鉄道からおりてきた。ちびのふとった男がノートパッドを手にしてついてくる。大統領はそいつにむかっていったんだよ、『なんてこったい、このバカどもの土地に、川はなんてことをしてくれたんだ』」いまそれがかかってる。洪水がおれの魂にまでおよんでくるようだよ。
●しばらくまえにCD屋でランディーニューマンの新譜を発見して、そのジャケットにびっくりした。新譜がでてうれしいな、とかなんとかいうよりもまず「だっ、だいじょうぶなのかこのオヤジわっ?」とふあんになってしまった。「いったいきみのじんせいになにがあったんだ?」とそこまで心配してしまった。それが右の画像で、ランディーニューマンの最新CD(たぶん)のジャケットです。ひだりはかれの若かりし日のデビューアルバム(たぶん)のジャケットで、こうやってならべてみるとほんと、この若者にもいろいろあってやがてこんなオヤジになってしまったのだなあと感慨ぶかい。というか、けっこうこわい。じんせいの『使用前』と『使用後』だといっちゃったらいいすぎだろうか。ごめん。でもそれくらいこわい。おもわずためいきついてぢっと手をみずにはおれなくなるような、そんなうつろなめつきのジャケットだ。
●だけど、かんじんの中身のほうはどうかというと、あいかわらずランディーニューマンでそれは安心した。CDをかけたとたんに歌詞の一行目でわらわされてしまった。よかったよかった。やあ元気かい、ランディー。おれも元気だよ。まあおたがい元気でなによりだ。なにしろおれはピアノをきいて演奏してるのがだれかをあてられるのはいまはもうきみしかいないんだから、そうかんたんにいなくなられてはこまる。たのむぞランディー。それから、ひとつだけ忠告していいかい? そのめつきはないんじゃないかな。うん。
●かれの歌をきいておもうのは、こういうひとがずうっと活躍できるんだから、アメリカというのはえらいなあということです。ちかごろはよく映画の劇中でながれたりする。日常生活のとある場面でかけられたりする。それがまたいつもぴったりで、ランディーニューマンの音楽はアメリカの日常生活をぴったりえがいてるということなんだろう。しかも、詩的だ。かれの歌にはドラマティックな事件はなにもない。おきまりの六月と月とスプーンすらない。ただありふれた日常があるだけで、「ヨメさんもらってたのしくやってるよ、裏庭ででっかい黒犬をかっててね、まあここはいい土地だからいちどあそびにきてくれよ」とかいうかんじで、詩的なものからはもっともかけはなれているようにみえる。ところが、にもかかわらずかれの歌は詩的だ。かれが「おれのじいさんは九十四まで新聞配達だったんだぜ」とうたいながらぽろんとならしたピアノのほうが、どんな詩よりも詩にかんじられる。そしておれはしんみりとして、なみだぐみそうになっちゃったりすることだってある。
●ランディーニューマンはピアノはあまりうまくない。ニールヤングよりちょっぴりうまい程度だ。たぶん。歌もぜんぜんうまくない。ニールヤングといい勝負だ。たぶん。けれどもかれにはたしかに才能があって、うんうんとうなずきながらききいってしまうような才能があって、こんな流行だとかコマーシャリズムだとかとはかけはなれきった歌ばかりつくってきたのに、ちゃんとかれをみとめてきたアメリカはえらいなあとおもう。感心はしないけど、感激はするというタイプのひとをちゃんとみとめてきたのでえらい。たとえばランディーニューマンといえば『ショートピープル』がまっさきにでてくるけど、あれにしたって、ようするに身長のひくいひとをバカにした歌で、とんでもない歌だけど、あんな歌がヒットしちゃうんだからアメリカのひとはえらい。たぶんえらいんじゃないかな。わかんないけど。
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