[2001年08月22日] とつぜん野球についてかたりだす
菓子パン(あさ。なまえはわすれてしまった)
しょうがやき定食(ひる)
とんかつ。さといもとこんにゃくとごぼうとにんじんととりにくのにたの。やきなす。めし(ゆう)

 野球。ああ、なんと甘いひびき。野球。そこには、完成されたシステムだけがもちうる美があります。ところが、この野球の魅力を決定的にそこなってしまうばかげたルールや習慣がいくつかあります。しょせんはアメリカ人の発明したあそび、アメリカ人にならとうぜんのことなのでしょうが、どうもわたしのようなニッポン男にはなじめない、うけいれがたいルールがたたあって、ゲームのたのしみをいちぢるしくそこねてくれます。たとえばそのひとつがあの、選手交替というやつです。一回表、ビジターチームの攻撃、先頭打者ホームラン、二番打者左中間二塁打、三番打者四球、四番打者スリーランホームラン。スタンドからはとうぜんブーイングがわきおこります。しかし。しかし、ここまではなんの問題もありません。問題ないといういいかたも変かもしれませんが、これだけ野球の試合があふれている季節なんだから、なかにはそういう試合もある。そううけとめることにしましょう。問題は、ここからです。このあといったいなにがおこるか? そう、たまらなくなったビッチングコーチがマウンドにあゆみよる。ベンチでは監督が深刻な顔をしてブルペンに電話をかけている。そこではリリーフピッチャーが猛然と肩をつくりはじめている。そして、それから数刻後に、リリーフピッチャーの名前がつげられるのです。リリーフピッチャー。わたしはそれが嫌いです。だってそうでしょう。なんで最後まで投げさせないんですか。最初に先発投手をきめたのなら、最後までそれでとおすべきじゃないですか。投げてみて、すこしばかり調子がわるかったからといって、すこしばかり点をとられたからといって、すぐにあきらめてひっこめてしまうなんて、そんなこっていいんですか。いったん投げはじめたのなら、試合の最後まで、27人の打者をうちとるまで投げぬくべきじゃないですか。そんな、すこしハタイロがわるくなったからといって、途中で職場放棄なんてさせてはいかん。そうおもいませんか? わたしは、プロ野球のテレビ中継で、投手交代でコマーシャルに画面がきりかわるたびにそうおもいます。もう、いっそ、ルールとして、選手交替を認めないことにしちゃえばいいんです。代打も守備固めもダメ。代走も代筆も運転代行もセックス代交も、とにかくいっさいの交代禁止。いったんグラウンドにたったなら、試合が終了するまでは決死の覚悟をもって最後まで戦いぬくべし。不慮の事故等で選手に欠員がでたばあいは、すくないメンバーでその後の試合にのぞむ。ひとりへったら八人で守るし、ふたりへったら七人で守る。攻撃になって、その選手に打順がまわってきたときは、自動的にアウトカウントがひとつ加算される。このルールが実現したとき、ベースボールは野球道への栄光の一歩をふみだすのだとわたくしは考えます。野球道。そう、じつはわたしが主張したかったのはそれです。日本の野球は野球道へむけてつきすすむべきだとわたくしは断固もうしあげたい。野球道においてはたとえば投手はすべてストライクをとりにゆかねばならない。そういう投球をしなければならない。「打者とのかけひき」といったまだるっこしいものはいっさいしてはいかん。肝心なのをいいわすれてましたが、むろん変化球は禁止です。投手はつねにどまんなかをめがけて直球を投げこみ、打者はもちろん選球などはせず、すべての投球をおもいきりひっぱたかねばならない。そもそもそのまえに、バッターはバッターボックスにはいるさいに一礼をするのを忘れちゃいかんです。それからおもむろに投手の方向にむきなおり、投手と呼吸をあわせて端然と礼をする。そこで審判がこえをかける。「はじめいっ」。ここでおもむろに、いずこからともなくひびく陣太鼓。腹の底までひびきわたる陣太鼓。どおおおおん。‥‥ああ、想像するだにすばらしい。しかり、しこうして一切の邪念は打者の胸中よりさり、ただひたすらにバットをみつむれば、神気浩蕩、寂にして巌、おのずとこころはすみわたり、すみわたりたるまなこにて彼方をみわたせば、おお、あれにみゆるは彼岸の境地、って、なにがなんだかじぶんでわかっていませんが、とにかくこれが野球道です。このすばらしい野球道実現のために改正してほしいルールはほかにもごまんとあります。「牽制球禁止」「バント禁止」「いっさいのサインプレーの禁止」「タイム廃止」「雨天決行」「審判への抗議は球界永久追放または切腹」「攻守交代時もふくめつねに全力疾走、これをおこたったものは切腹」「つねにヘッドスライディング、これをおこたったものは切腹」「いつでもかならずダイビングキャッチ、これをおこたったものは切腹」「そのたとにかく切腹」などなど。そんなに切腹ばかりしていていいのかって、もちろんいいんです。野球道とは死ぬこととみつけたり。グラウンドにて死に花を咲かせることこそもののふのほまれ。だいたい牽制死だの本塁憤死だの腹上死だのと死屍累々の二死満塁なのが野球なんだから、いまさら切腹がこわくて野球がやれますか。さもなきゃ、もういっそ、アウトになったら切腹したらどうでしょう。これはいいかも。そんな、アウトになったあとも生き恥をさらすような武士はわが藩にはいりません。アウトをくったらただちに腹かっさばいてみせる覚悟をもってのぞんでこそ、うそいつわりのないまことの勝負。ここにいたってアウトを死と訳した先人の真意があきらかになります。一死。二死。併殺。挟殺。二重殺。三重殺。こういったかずかずの表現がにわかに不吉な現実味をおびてわれわれのまえにあらわれるのです。このルールが実現されたとき、ベースボールはついに野球道に昇華されその真の姿をわれわれのまえにあらわすのだと断言いたしましょう。なんとすばらしい野球道。ああ。って、すばらしいのはいいんだけど、でも、ここで問題なのは、やりたがるひとがだあれもいないだろうなあというのも断言できることです。
余談:どうもちかごろアメリカのMLBの情報がずいぶんながれてきて、シアトルマリナーズの試合なんてほとんどまいにちのように衛星放送でテレビ中継されていて、先週わりとおれもみたりしてたんだけど、なるほどほんまもんはちがうなあとおもって、日本野球はもういっそここでひらきなおってみたらどうかとおもいついて、三割くらいほんきでいってるんだけど、どうですかね。

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