[2001年09月03日] よいではないか
菓子パン(わすれてしまった)
冷やし中華(ひる)
めし。しる(ゆう)

●夏の夜というと夏祭りだとかハナビだとかボンオドリだとかでユカタ姿の女の子がいかにもあるきづらそうにまちをあるいていて、あれはなかなかそそるものがある。という表現はちょっとダーティーか。いやいやしかしそんなことはなくて、十代のころからユカタ姿の女の子をみるともうたまらなくなってしまった。ってぜんぜんフォローになってないじゃないか。う〜ん。いいよもうめんどくさい、正直にいうよ、やりてえよっっ。っていくらなんだってそこまでひらきなおることはないだろう。ええと、すいません、ふざけただけです。いくらなんだってねんがらねんじゅうそんなに欲情してるわけじゃありません。おねがいだからそんなけがらわしい目でみないでください。あぶない日でもあんしんな好青年といわれています。よかったらもうすこしここにすわって話をきいてください。そんで、どんどん話がおかしな方向にすすんでいくのでさいしょにもどるんだけど、ユカタ姿の女の子というのはなにがいいかって、あれを身につけただけでこう、花もはじらうつつましげな姿になってしまうところがもちろんいいんだけども、しかし、このユカタの魅力を激減させてしまっているのは、つねづねいかんとおもうのは、みんなユカタのしたにパンツをはくんである。ひとりひとり実況検分をしたわけではないのでさだかではないんだけど、たぶんはいてるんである。それは台無しというものである。やっぱりユカタのしたにはなんにも着用しちゃいけないのであって、すかすかのこころもとない気ぶんをあじわうべきなのであって、その緊迫感緊張感というやつがいよいよユカタむすめの魅力を大爆発させるのであって、だいたいそもそもパンツなんつうものはむかしはなかったのだから、そういうめんもふくめて伝統にのっとってただしくきこなさねばおくゆかしい日本の偉大な民族衣装であるところのユカタにたいして失礼というものである、そうはおもわんかね日本国民諸君っ。と、つねづねことあるごとにおれはそう力説をしてきたんだけど、ちっとも日本国民に浸透するきざしはなくて、なかにはちょっとほんきにしてくれるユカタむすめもいるんだけど、その場ではちょっとほんきにしてくれるんだけども、あとで家にかえっておかあさんだとかに確認をして、やっぱりうそじゃんか、はかなくっちゃだめだっておかあさんいってたよ、といわれたりしてがっかりする。なんでもむかしむかし、大正時代とかそれくらいにビルの火災があって、うえのほうの階にいた女のひとたちがパンツをはいていないものだから窓から逃げられなくて、だってしたにいるやじうまにみられちゃうからと窓から逃げるのをこばんで焼けしんでしまって、それいらいみなさんキモノのしたにパンツを着用なさるようになったのだという話をきいたことがあるんだけど、まったく火事というのはおそろしいものである。みなさん気をつけましょう。という話ではなくて、なんだかすごくがっかりだよ。
●ところでいぜん、ユカタの話をしていて、ひとりの女の子が「わたしっていつもあれ迷っちゃうんだよねえ、ほら、みぎがわのエリをうえにするのか、ひだりをうえにするのか、わからなくってさあ」といいだして、ちょっとびっくりしたことがある。まあいろいろとひとにはそれぞれモノオボエのエアポケットみたいなものがあって、そういえばおれだってときどきおはしとお茶碗はどっちの手でもつものだったかいまだにまようけど、とにかくいったん迷ってしまってえんえんと迷いつづけてしまうことがらというのはある。ところがそこで「時代劇をおもいだせばいいんだよ、ほら、殿様がキモノ姿の女のひとの背中から手をまわして、よいではないか、よいではないかっていいながらエリのスキマに手をさしこんでいくだろ、とうぜんたいてい右利きだからさ、右手をさしこんでいくわけだ。そのときに、さしこめるようになってればいいんだよ」と説明をしだしたやつがいて、ものすごく感心した。こいつ、天才じゃないかとおもった。いやほんとに。こういう説明というのはなかなかおもいつくものではない。ちょっと尊敬にあたいする説明だとおもう。よくかんがえるとこんなの尊敬していいのかという気もするけど。でも、たしかにそうやっておぼえればきっと、もう迷うことはないだろうとおもう。もしこの文章をよんでるひとのなかにこれまでその件で迷ってるひとがいたなら、ぜひ「よいではないか」とおぼえるといいとおもいますという、ほんじつの暮らしに役立つひとくち情報でした。ぽいう。

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