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こんなふうに二足歩行があたりまえの生活になってしまって、じめんから1.7メートルのあたりにある目だまからよのなかをみまわしてるとわすれてしまいがちになるんだけど、かつてはおれにもじぶんひとりではあるけない時代があった。たつことさえできない時代だってあった。くえるものとくえないものとのみわけもつかず、だれかに飼育してもらわなければ三日でヒモノになりかねない、なさけない時代だってあったのだ。そのおれがどうしていまだにヒモノにもならず、冷凍庫にいるわけでもないのに腐敗もせず、こうやって満腹した胃ぶくろをかかえてスパスパとタバコをすいちらしながら作文をかいたりなんだりができているのかといえば、これはひとえにかつて父や母や祖父や祖母やご近所のていらや親戚一同のていらやそのたもろもろの皆の衆がせっせとおれの世話をしてくれたおかげにほかならないのであって、ところがまちのなかをすたすたとはやあしであるく日々をなん十年もつづけてるとそれがあたりまえのことのようにかんじられて、まるでうまれおちたときからそうであったかと錯覚してしまい、たとえば道をいそいでるときにヨタヨタとまえをゆくバ〜サマがいたりすると「じゃまだぞオラオラ」などとフトドキなことをおもってしまったりするありさまなのだが、やはりこういうのはいかんとおもうのだよ。やはりにんげんときにはじぶんにも、自走することのままならなかった時代があったことをおもいだして、世話になったみなさんに感謝しておかねばいかんとおもうのだ。まいにちはめんどくさくてとても感謝していられないけど、たまにはそういう感謝をささげる日があってもバチはあたらないんじゃないかとおもうのだ。そんなわけできょうは、ここでこの場をおかりしてあのときはお世話になったみなさんに感謝の言葉をのべさせてもらってわたしからのしんねんのご挨拶の言葉とかえさせていただきとうございます。どうもどうも。どうもどうも。おかげでヨメをもらうことになりそうだよ。どうも。とくに、じ〜ちゃんば〜ちゃんには世話になったよなあ。ば〜ちゃん、テレビでスモウをみてるときに窓ガラスをつきやぶってきた野球のボールがテレビを直撃したときはびっくりしたろう。あのときはごめんよ。じ〜ちゃん、ネタキリになっちゃったときにフトンのなかにヤマカガシをほうりこんでごめんよ。すごく反省してるよ。ごめん。あとありがとう。雲のうえの神さま、おれのじ〜ちゃんとば〜ちゃんをよろしく。そのひとたちはわるいひとじゃないです。
謹賀新年。
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