[2002年04月01日] ハナミ
調理パン(あさ)
みそラーメン(ひる)
おさしみ。めし(ゆう)

 おもいだせないのであった。
 土曜日は上天気でついフラフラと招かれてもいないのにずうずうしく花見にでかけてしまったなどとたまにはココロをいれかえて日記みたいなことをつづってみたりするんである。いやふだんからつづってるか。とにかくでかけたんである。でかけたのはネットの花見である。なんかさ〜、いい天気で、こんな日に花見だなんていいなあとおもったらいきたくなっちゃったんだよね〜。そんで花を見てしこたま飲酒をしていい気になってへろへろとかえってきて、みなさまどうもありがとうございましたとお礼をもうしあげておかねばとパソコンにむかったところで、はたと気づいたのであった。だれがだれなのかよくわからなくなってしまっているのであった。たしかに、着座するなりただちに飲酒を開始してしまったというめんはある。数刻で夢見心地となってあとはもう何がなにやらという境地にいってしまったというめんはある。しかし、それにしたってこれじゃ失礼すぎるだろう、ついにここまでおとろえたかおれの脳よ。とあきれはてようとしたところで、しかしここでさらにかんがえてみるとそもそもむかしっからおれはひとのハンドルというのがちっともおぼえられなかったのであった。いやほんと、今回はけっこうましなほうだとおもう。九割くらいはおぼえてるもん。それはいいすぎか。でも八割はおぼえてるよ。うん。きっと。十年くらいまえにやっぱりネットの宴会というか、オフにいったときなんか、もっとぜんぜんひどかったときがある。なんのめぐりあわせなのか、にたようなハンドルのひとばかりで困ってしまったことがある。「るんるん」だとか「とんとん」だとか「みんみん」だとかなんだとか、こういうひとが五人くらいいて、ちっともおぼえられないのだ。それいぜんに、もう、おぼえる気力がおきない。ものすごく申しわけないんだけど、きいてて「みんなおなじじゃないか」とおもってしまう。「もう、なんだっていいよ、そんなの」とさえおもってしまう。このときつくづくかんじたのだが、やはりハンドルというやつも、あるていどオリジナリティーというものはあってしかるべきなのではないかと。十人にひとりくらいそういうひとがいるのならぜんぜんかまわないんだけど、十人に三人くらいいるとちょっと困る。五人いたらお手上げである。十人みんなそうだったらしっぽをまいて逃げてくるしかない。ハンドルというのもそうかんがえるとなかなかあなどれないのであって、オフのときのことなんかもいちおう考慮にいれて、それぞれがちょっと個性をだしてみる必要がありそうである。「ぽいうがなにをいうか、ぽいうが」という意見はこのさいきこえないこととする。そんな、だってわたし、個性なんてないんです、なんのとりえもないし、クラスでもいつも目立たなくて、そんなのおもいつきません。というひともいるかもしれない。そんなひとのために、ためしにおれがいくつかかんがえてみよう。たんにインパクトだけでせめるのであれば、たとえば「マンコカパック」なんていうのはどうか。いちおうこれはむかしインカ帝国だかにいた王様のなまえなのだそうだが、こんなハンドルのひとがいたらもう一発でおぼえさせていただくと約束する。マンコカパックさん。じゃなかったらいっそ基本にたちかえって「コーマン」なんていうのもかえってさわやかである。これはいちおう映画プロデューサーのロジャー・コーマンにちなんでいる。ちかごろではロジャー・コーマンは映画学校なんかもつくったりして、そのものずばり「コーマンスクール」とよばれてるんだそうである。もはや入学願書をとりよせずにはおれないようなスクールである。ちょっとひねってみたいというのなら「グッチョーネ」などもいかしていよう。ボブ・グッチョーネ、いわずとしれたペントハウスのオーナーである。きみもひとつどうかネ。グッチョーネ。ただし、そうなのるいじょうは、公衆の面前でそう呼ばわれるかもしれないという覚悟だけはきめておかねばならない。「ほらほらマンコカパックさん、グッチョーネさんに一杯おつぎして」とかなんとかやられてしまうのだけは覚悟をしておかなければならない。ってぜんぜん話がそれちゃってるのでここでむりやりもとにもどすんだけど、そもそもおれはこんなバカな話をしにきたんじゃなくて、えと、花見でごいっしょさせていただいたみなさん、よんでおられるかどうかわかりませんが、とにかくみなさん、どうもありがとうございました。どもども。夢のようでした。それはもう、おもいだせないくらいに。

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