[2004年10月02日] どうしてまいにちこんなにねむいのか

●ねむい。さつじんてきにねむい。まいにちまいにちただただもう、ひたすらにねむい。たしかにふだんからねむたいおとこではあったが、いよいよもってねむい。二週間くらいまえの休前日のゆうがたに、とつじょとしてとてつもなくねむたくなり、ゆうがた6時半だか7時ごろにいえにかえってきてすかさずねむり、よくじつのひるすぎまでだから何時間ねたんだろう、二十時間くらいか、それくらいこんこんとねむり、それだけねたんだからさぞスッキリしただろうとおもいきや、起きたらもっとねむくなっていた。どうもそれでねむりのスイッチがはいってしまったらしく、いらいえんえんとねむい。ふと気づくとうつらうつらとしている。会社で少人数でうちあわせしているときにねむっていたりする。さすがにこれはまずいとおもい、今週は水曜日に会社をやすんでまたこんこんとねむった。私用ですとことわってやすんだのだが、まさかねむるためにやすんだとおもってるひとはいないだろう。すまん。オレ、ねるためにやすみました。そこでまたカラダがあさっての方向に傾いてしまうくらいねたんだけど、でもちっともおさまらない。ねむい。えんえんと何十年もねむりつづけるおとこの映画があったが、おれもああいう事態におちいりつつあるのだろうか。そうなったらなったでおれとしてはぜんぜんかまわないんだけど、ニョーボと親にわるいなあ。
●どうでもいいけど植物人間て、アメリカ人はたんにプラントとよんでるみたいで、なんだかすごいとおもう。「植物人間」ならまだ人間なのだという気がするが、たんに「植物」といってしまうのはすごい。いぜん知人が「ねたきり女子高生」という短編小説みたいなのをかいて、副題が「She is a plant.」だったので、なんだかなあとおもいました。

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