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せんじつ、「ジブンはこどものころどんな夢をもっていたのか」とニョーボにとつぜんたずねられて、返答にきゅうしてしまった。夢? ハテ? こどものころの夢ってどんなだったろう? たぶんあったとおもう。さすがに。なにかしらはあったはずだ。しかしまったくおもいだせない。だいたいまえの日の晩ごはんのおかずさえおもいだせないのに、35年もまえにかんがえたことなておもいだせるはずがない。ような気はする。でも、コトが夢だけに、夢っていうのはそんな簡単にわすれてしまっていいのかどうか、そんな簡単にわすれてしまえるのなら、たんに時間がすぎればわすれちゃうのなら、そんなのは夢ではないのではないか。してみるとおれは夢さえみれない少年であったのか。それっていうのはひととしてなにかなさけないのではないか、といろいろおもいだそうと努力してみるのだが、なかなかうかばない。モンモンとした日々をすごしていたのであるが、きょうのよる、近所のスーパーにでかけてお菓子売場をとおりかかったさいに、はっとおもいだした。夢。そう、こどものころ、たしかにおれには夢があった。夢見る少年だった。その夢とは、チョコベビーをくちいっぱいにほおばることである。たしかにげんざいおれはみずからに厳しくひとには優しい、万人がみとめるところのまことにできたにんげんで、おかしなどといった食品はじぶんをダラクさせるものだとかんがえてくちにしないようにつとめているのであるが、こどものころはまだそこまでゆきとどいてはおらず、チョコレートなんかもだいすきであった。とくにチョコベビーがすきで、くちいっぱいにほおばりたいなあとおもうのだがもったいなくてそれができず、一日一粒ずつたべていた。ときたま清水のブタイからとびおりるくらいの決心をして三粒くらいくちにいれてみたりするのがとうじのおれにとっての最高のぜいたくであった。大盤振る舞いであった。そして、いちどでいいからチョコベビーを百粒くらいいっぺんにガーっとくちにながしこんで、もしゃもしゃとたべてみたい、もしこの夢がかなうなら悪魔に魂をうってさえいいと、そんなふうにおもっていたのをおもいだした。おれはスーパーの棚にならんだチョコベビーをつまんで、しゃかしゃかとふり「シェケナベイベ」とつぶやいた(いみはない)。少年時代の夢が、いまならかなえられる。いまならそれができる。ひとつといわず、三個くらいかって、いっぺんにくちのなかに流し込むことだってできる。それをもしゃもしゃとかみくだいてのみこみ、まっくろい小便がでるくらいにすきなだけ食べることができる。でも、とおれはかんがえて、チョコベビーを棚にもどした。いつでもそれができるとおもったら、いまそれをする必要なんてない。したくもない。ぜんぜん興味もない。そうだ諸君、少年の夢は、かなわないから夢なのであって、いまとなっては夢でもなんでもない。なにか、悲しいことだとおもわないかい? ……あ、おもいませんか。そうすか。しつれいしました。ねます。
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