[2005年06月04日] だれかコーラをコークとよんであげたやつはいるのか

きょうもまたヒマをもてあましてしまったので、土浦にできたという激安の殿堂ドンキホーテにニョーボといっしょに意味もなくでかけてみたのであった。用事はまったくない。たんなるドライブがてらの物見遊山である。ヒマにもホドがあるとじぶんでもおもうが、じっさいヒマなんだからしょうがない。そんで、じっさいにいってみて気づいたのだが、あれってみなさんドンキってよんでるじゃないですか。でもただしくいうと「ドン・キホーテ」なので、ドンとかキホーテというならわかるんだけどドンキはおかしいじゃないですか。そうおもいませんか。おれはおもう。そんなことでいいのだろうかとおもってたんだけど、じつはそもそもドンキホーテ自身がみずからをドンキとよんでるんです。世間もまたそうよぶようにしむけてるみたいなんです。ドンドンドンキ〜などとのうてんきな歌までえんえんと店内にかかってるし。なんてこったい。だってきみはあくまでドン・キホーテなのであって、ドンキ・ホーテではないじゃないかとわたしはつよくだれかに訴えたい気もちになりましたが、すぐにどうでもよくなりました。もうなんだっていいや、という気分になりました。ひとをそういう気分にさせるなにかがあそこには充満してるみたいです。ちなみにわれわれはドンキにでかけようと出発したものの、じつは正確な所在地はおたがいまったく把握しておらず、テキトーにいってみりゃあるだろくらいの気分でいってみたら案の定道に迷い、土浦市内をえんえんとさまよったあげくびっくりドンキーの看板をみて「あれとはちがうよな」「たぶんちがうやろ」と語り合ったり、やっと看板をみつけていってみたら中古車屋ドンキホーテだったという、とんでもなく低レベルなギャグをしかし本気でかましてしまったのがほんじつのささやかなエピソードです。そんで、ドンキはまだほんにんもドンキといってるくらいだからいいとして、おれとしてはどうしてもゆずれなかったことがあります。マクドです。なんだマクドって。マックだろそれ。マックにきまってんだろ、とつねひごろからくちをすっぱくしておれが主張しているにもかかわらず、いまだにニョーボはまったく認めません。マクドにきまってるやろ、とその一点張りです。きょうはドンキのことでなにかフにおちないものを感じていたこともあり、かえりの車中でマクドナルドの看板があるのをみて、あれはマックだろう、となんどめかの論争をニョーボに挑んでしまいました。だってあれはマクドナルドであるのだから、エムシードナルドであるのだから、とうぜんマックであるべきだと、これまでもなんどいいきかせてきたかわからない正論をきょうもまた展開したのですが、ニョーボはまったく聞く耳をもちません。マクドにきまってるやろ、と、それでおわりです。リクツもなにもありません。じゃあなにか、肉豆腐なんかもきみはニクドというのか、ときくと、ニョーボは一瞬だけうっと言葉につまったようでしたが、そんならジブンは肉豆腐を「ニック」とよぶんか、と、こうです。ああいいよ、それでなんの問題もないじゃないか、じゃあこれからおれは肉豆腐を「ニック」とよぶことにするよ、とこたえると、ニョーボも「じゃあわたしもこれからはあれをニクドとよぶで」と応戦し、話はこじれるばかりです。これまでマクドナルドだけの問題であったのが、これをさかいに肉豆腐までまじえた大問題に発展し、いまだに解決のめどはたっていません。でもおれは、どうしてもこれだけは、なぜかゆずれないんです。たいていのことはニョーボにゆずってきたつもりです。でも、どうしても、マックだけは、だってあれをマクドといってしまったら、そうしたらもう関東人のアイデンティティーというものはどこにもなくなってしまう気がするんです。関東のさいごのトリデというか、よりどころというか、これまでなれしたしみ育んできた関東文化というもののいっさいが失われてしまう気がするんです。わたしはこの件については、とにかくさいごまでたたかうつもりです。徹底抗戦あるのみです。つうかマックだろ。それ。

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