とり  シンシア

 テン・フォーという名前のバーがどこかにあって、寺山くんはそこでギターの弾き語りをしている。アリスだとか、かぐや姫だとか、そういうのを演奏してる。寺山くんの歌はそんなに悪くないとおもうんだけど、聴いてる客はひとりもいない。
 寺山くんはことし二十九歳になる。彼女はいない。その寺山くんに、ファンができた。二十代前半の、綺麗な女の子だ。彼女はひとりで店にあらわれて、すみの席にすわり、寺山くんが演奏する姿をみつめている。リクエストを紙に書いたりもする。吉田拓郎のシンシアという曲だ。寺山くんはそれを演奏する。なんどもリクエストされたので、やがて寺山くんはシンシアが得意になった。
 演奏の休憩時間に寺山くんは、勇気をだして、彼女に話しかけた。
「シンシアがすきなんですね」
「わたしじゃなくて、つきあってるひとがすきなんです。仕事で沖縄にいってしまって、一緒にきてほしいと誘われて迷ってるんです」
 寺山くんはショックをうけたが、気をとりなおして彼女を説得した。
「迷うことなんてないです。あの歌がすきなら、そのひとはいいひとにきまってます。沖縄へいくべきですよ」

 彼女が沖縄へいく決心をして、最後にテン・フォーにあらわれた夜、寺山くんは彼女のためにシンシアを歌った。めずらしく、客が寺山くんの歌を聴き、歌がおわると拍手をした夜だった。彼女は涙をながし、演奏のあと、店の裏で寺山くんも泣いた。
 いまおれはなつかしいレコードを棚からひっぱりだしてきて、シンシアを聴きながらこの作文をしてる。
 がんばれ寺山くん。

[01,11,1999]