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成人式というものがいかなるものなのか、おおよそのことは見当がついてはいるが、くわしくはしらない。それでも、じぶんが成人式を迎えた日のことをおれはかなりはっきりおぼえている。どんな気もちで、どんなふうに過ごしたかをおぼえている。おれはその日、ともだちと三人で夕方まで寝て過ごした。四谷三丁目にあったうすぐらいアパートの部屋で、ふてくされて寝ころがっていた。目をさますと、あとのふたりがこたつで眠っている。目のまえのコップの安いワインをひとくちのんで、おれもまたこたつにもぐりこんで眠る。その繰り返し。みんなが目をさますまでだらしなく眠りつづける。けっきょくは、空腹でどうしようもなくなるまで眠りつづける。その冬のおれたちは、そのようだった。その冬の成人の日もそのようにすごした。おれたちはその日そろって成人を迎えたが、成人式にはだれも出席しなかった。そのときいっしょにいたともだちがどういうつもりで成人式に参加せず、釣りあげられたマグロみたいにおれと寝ころがっていたのかはしらない。ともかく、おれは、成人式から逃げだすつもりでいた。たぶんそう決心していたんだとおもう。そして、じっさいに逃げだした。最低の、うちひしがれた気ぶんでその日をすごした。はじめおれは成人式に参加するつもりでいた。そのとうじおれの住民票は豊島区にあったが、おれは茨城県で長じた人間だ。そのために、茨城の成人式に参加できるようにと、わざわざ長じた町の役場へいって手続きをすませておいたりもした。おれは成人式を同窓会のようなものだとうけとめていた。すこしだけ懐かしくなってしまった中学時代のともだちや女の子たちとあえるのをたのしみに待っていた。それでもおれはけっきょく、成人式には参加しなかった。直前になって、かれらと会うことにうんざりしてしまったのだ。その事情というのはこうだ。
そのしばらくまえに、ヨシオカという中学時代のともだちが、事故で右腕を失った。そのころヨシオカはインスタント・ラーメンをつくる工場の生産ラインではたらいていた。ある深夜、インスタント・ラーメンをつくる工程のどこかにある機械の歯車にヨシオカは指先をはさまれた。回転する歯車はそのままヨシオカの肩までかみこんだ。それでおしまい。だからどうした? どこかで二十歳のにいちゃんが機械に手をはさまれました。かわいそうですね。おわり。いつものおれならそんなふうにうけとめてしまうところだが、そのときはそうはいかなかった。なぜならヨシオカはおれのともだちだったからだ。結合した男女の性器がおおうつしになっている写真をいっしょにみたりしたともだちだったからだ。かれがその事故にあったとき、その情報はすぐにおれのところにも伝わってきた。そのほかに、いくつかの提案もセットになって伝えられた。「土曜日の午後にみんなでお見舞いにいこう。」「みんなでヨシオカくんにカンパしよう。」そういう提案だ。おれはそれらを無視した。「どうして見舞いにいってやらないんだ? おまえたち、あんなに仲がよかっただろう?」そんなふうにいわれもしたけれど、それでもおれは無視した。そういう気ぶんじゃなかったからだ。そのかわりに、しばらくしてからひとりで病院のヨシオカに会いにいった。それはすこし勇気のいることだった。どんな表情をして、どんな態度でヨシオカに接したらいいかわからなかった。なにしろ、腕を失った友人の見舞いのしかたなんて、学校では教えてくれなかった。かんじんなことはたいてい、誰も教えてくれない。じぶんで学びとるしかない。ヨシオカは明るい病院のベッドに寝ながらテレビをみていた。連絡もせずにあらわれたおれをヨシオカは笑顔で迎えてくれた。くったくのない笑顔だった。ヨシオカのすすめにしたがっておれはベッドのよこにあったパイプ椅子に腰をおろし、そのまましばらく話しこんだ。たわいのない世間話だ。そのときヨシオカは腕をなくしたときのこともこまかく話してくれた。なくなってしまった腕がいま、どんなふうにからだに認識されているかということまで教えてくれた。それからヨシオカは、おれにノートをみせてくれた。「これからは左手で字を書くしかないだろう? だから、毎日このノートに字を書いて、練習してるんだ。」おれがノートを開くと、そこにはおなじ四文字がびっしりと書きこまれていた。「五体満足」という四文字だった。それが繰り返し繰り返し、へたくそな字で書きこまれていた。あぜんとするおれをみてヨシオカはわらった。たぶんそのノートはヨシオカの、ある種の冗談だったのだろう。そういう気がする。だけど、そんな冗談にであったことは、それまでおれはなかった。
ヨシオカを見舞った晩、おれは泣いた。声をあげて泣くのなんて、ひさしぶりだった。それから、どうしようもなくなっている自分に気づいた。成人式をちかくにひかえていたが、とてもそれを祝うような気ぶんではなくなってしまった。ちょうどその直後にガールフレンドとでかける機会があったのだが、彼女はおれにあきれて電車を途中で降り、さっさと家に帰ってしまったほどだ。よほどひどい顔をしてたのだろう。そのときおれが考えていたのは、死んでしまったともだちのことだった。オートバイの事故で死んだモリウチと、病院の屋上からとびおりて死んだクロダと、白血病で死んだサトウさんのことだ。かれらも生きていれば成人式だ。そう思うと、いたたまれなくなった。これはもちろん、あまりよい精神状態ではない。死んでしまった者たちのことを考えつづけるのは、あまり前むきな生きかただとはいえない。だけど、おれにはどうしようもなかった。どこかのネジが一本はずれてしまった。そのせいでおれはばらばらになってしまった。そして、成人式の日も、なげやりに、ふてくされて過ごした。なんていうか、ひどい時期だった。そもそもおれは、じぶんのうまれた日を忘れることはしばしばあるが、ともだちの死んだ日はめったに忘れない。なんだかおかしなたとえだけれど、おれはそういう人間なんだ。しょうがないね。
なんだかしんきくさい話ですまない。らいねんの成人の日ははれるといいね。
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