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それはわしが二十歳のときで、めずらしく家に帰っていた晩のことである。電話のベルが鳴って、でてみると、東尾さんからだった。わしはとてもびっくりするのとどうじに、こころからよろこんだ。東尾さんはとうじのわしの大学のクラスメートで、わしが好きだった女の子だったのだ。それはほとんどヒトメボレというやつだった。はじめて彼女と教室でいっしょになって、彼女をひとめみて、わしは息をのみ、ドキドキドキドキして、あとは夢みごこちであった。その授業が終わるとすぐにわしは彼女を喫茶店に誘い、そこですこし話をして、それでわしは彼女のことが本気ですきになった。いかれてしまったのだ。けっきょく彼女とは、手をにぎることもできぬまま、わしは大学をやめてゆくのだが、それでもわしは東尾さんがずっとすきだった。おくめんもなくいうが、それは純愛であった。そのころのわしの夢は、枯れ葉散るスズカケの道(そういう名所が学内にあった)を東尾さんとふたりで歩き、だれもいないのをみはからって、東尾さんのくちびるを奪うことであった。そして唇をはずすと、とつぜんせっぷんをされた東尾さんは驚いてわしを眺めておる。その東尾さんの美しい瞳を十秒みつめ、「ごめんっ」と叫んで走って逃げるのがそのころのわしの夢だったのだ。その光景を夜中にひとりふとんのなかで想像しては「これしかないっ、これしかないっ」などとわめいていたのだ。ここでくれぐれもみなさんにことわっておきたいのだが、わしはオクテである。わしはめったにムスメをすきになったことがなかったが、いちどすきになってしまうと、そのムスメのまえでは、平常心をたもつことができなくなる。ひらたくいうと、あがってしまうのだ。あがってしまって、いいたいことの十分の一も話すことができなくなる。わしは本気で東尾さんがすきだったのだが、そのようなオクテであったがゆえに、まるでくどけぬまま、いつまでもいじいじと彼女のことをおもいつづけておったのであった。東尾さんもまた、わしのことをすいておってくれていたようにおもう。確認したわけではないので、これはわしのただの思いあがりにすぎないかもしれん。そういう可能性はある。それでもわしは、もしかしたら東尾さんもまた、わしをすいてくれておるのではないかという気はとてもしていた。それでなにゆえわしと東尾さんがスズカケの道でせっぷんをかわせなんだのかといえば、これはひとえにわしのせいにほかならない。おまけにわしは、東尾さんの気もちをふみにじることばかりやらかしていた。そのころわしは、どちらかというと、女にもてた。どちらかというと、気がくるうほどもてた。さらにわしは、くる者はすべて拒まないタチであったゆえ、可能なかぎりわしの人類愛をムスメたちにそそぐようにつとめておった。ところが、あとになってしったことだが、その行状はちくいち東尾さんの耳にもはいっていたらしい。世間の風というのはかくもつめたいものである。しかし、わしにとっては、そのほかのムスメはすべて人類愛にすぎなかったが、東尾さんだけは、純愛だったのだ。月とすっぽんのインモ〜くらいの違いがあったのだ。そのことを東尾さんにわかってもらえる機会もなくいつのまにかハナレバナレになってしまったのは、ひじょうに残念だ。話がだらだらしてきたので、とつぜんだがここで冒頭に戻る。東尾さんからはじめて電話をもらってわしは有頂天であった。用事はないようであった。ただ、世間話をするために東尾さんはわしに電話をしてきてくれたようであった。われわれはながく話しあった。東尾さんが電話を終えるようなソブリをみせたときは、わしは必死になって話題を探し、知力のかぎりをつくして東尾さんをわらわせた。なかなか盛りあがった電話であった。しあわせはそのように、おもいがけないときにやってくる。だが、不幸もまた、おもいがけないときにやってくる。さよう、そのながい電話のさいちゅうにわしは、もよおしてしまったのだ。なにをもよおしたかといえば、もちろん尿意である。これをもよおしてしまった。それは、はじめはたわいのないサザ波であったが、やがて強風波浪注意報となり、しまいにはオオシケとなって荒れくるいはじめた。しかもわしにはそのことを東尾さんに伝える勇気がなかった。わしはあまりに東尾さんを偶像化していたため、彼女のまえで「おしっこしたい」などということは、たとえ天地がひっくり返ってボーコーが破裂しようともできないことだったのだ。電話の相手が東尾さん以外のものであったなら、だれであろうと、「小便をひってくるからそこで待っておれ」といいおいてさっさと便所にかけこむところなのだが、東尾さんだけはちがったのだ。尿意の波は無情にもわしを襲いつづけた。もよおす感覚はどんどんみじかくなり、その波はおおきくなりつづけた。わしはその波によく耐えた。にんげん、せっぱつまると、じぶんでも信じられないくらいのガマンがきくものである。もう二度と、あれほど小便を耐えることはできないであろう。それほど耐えた。だが、そのガマンにも限界があった。わしは電話器を持って部屋のなかをうろうろ歩きまわっていた。尿意はもはやマダンなくわしを襲いつづけ、それと闘うわしの全身にあぶら汗が流れていた。あまりの尿意で意識が遠のきつつあった。遠のきつつある意識のなかで、圧倒的な尿意と闘いつつ、しかも東尾さんとは電話でたわいのない会話をかわしつつ、最初にわしが確認したのは、電話線の長さであった。電話器を持ったまま便所にゆくことはできないだろうかと考えたのだ。だがそれは無理な相談であった。電話線はあまりにみじかかった。それから考えたのは、窓をあけてそこから屋外へと放尿するという案である。それはわるくない考えであるようにおもわれた。深夜であった。わしの家は田舎の一軒家であった。だれかにみとがめられるという可能性はうすい。事態は刻々とのっぴきならない状態にさしかかりつつある。もはやシンボウたまらず、その案を実行しようとしたとき、わしは、わしのまえの本だなにある花ビンに気づいた。電話器を左手に持ちかえ、受話器を肩と耳ではさみ、あいた右手でそれをつかんで覗いてみると、なかは空っぽであった。もはやわしにはいかなる選択の余地も、いかなる猶予もなかった。ズボンとパンツをずりさげ、性器をその穴にあてがい、わしは勢いよく放尿をはじめた。あまりの快感に、わしはおもわず声をあげてしまいそうであった。花ビンの底にあたった尿は、音をたてた。その音におどろいたわしは、尿の勢いを抑えた。ちょろちょろと流れる尿はいつまでもつづいた。一分たっても終わるきざしをみせなかった。わしは放尿をつづけながらも、しっかりと電話では東尾さんと会話をつづけていた。わしは立っていた。左手に電話器を持ち、右手に花ビンをもって股間にあてがい、放尿していた。そういう状況で東尾さんと電話で会話していたのだ。ところが、一難さってまた一難、こんどはその花ビンが、尿で重くなりはじめた。花ビンは太いだ円形をしていた。とってはなかった。くぼみもなかった。そもそも片手ではとても持ちづらい形をしていた。わしはそれをわしづかみにして、性器にあてがっていた。それが、尿のために、おそろしく重くなりはじめていた。しかも、それは重くなりつづけていた。それを持つわしの右手がわなわなとふるえはじめた。だが放尿は止まる気配がない。わしは花ビンを床におとして、割れた花ビンからその内容があたりに散らばることを想像し、しんそこ恐怖した。それは細胞レベルの恐怖であったといえる。その重さにもわしはよく耐えぬいた。あのときの苦労をおもうと、わしは、これからのわしのじんせいにいかなる困難がまちうけていようとも、すべてを乗りこえられるのではないかという自信がわいてくる。尿が終わるとどうじにわしは、性器をしまうことさえほっぽりおいて、ひとまずその花ビンを床におろした。それからパンツとズボンをずりあげることもわすれ、なにごともなかったかのように東尾さんとの電話をつづけた。花ビンのなかにはわしのほかほかの尿がナミナミとはいっていて、ちゃぷちゃぷと揺れていた。
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