とり  元始書生は太陽であつた

 なわけはない。表題の話です。そんなわけはない。そんなもんが太陽だったらとっくのとうによのなかホロびとります。というわけで、書生さんの話。五年ばかりまえの話。なにがかれにそうさせたのかはしりませんが、書生さんはオフというモノに参加しようとかんがえました。オフ。オフライン・ミーティング。通信でしりあったひとたちがどこかにあつまって、じっさいに顔をあわせて談笑しましょうという、たいへんいかがわしいアレですね。いや、ほんとうはいかがわしくないのかもしれません。よくはしりません。ともかくわたしのしるかぎり、オフはつねにいかがわしかったです。それはもう、たいへんにいかがわしいものだったです。このオフというやつに列席しようと書生さんはかんがえました。とうじ書生さんがつないでいたBBSのメンバーは、毎週末にかかさずこのオフをやらかしていて、かれらはたんにそれを「週末オフ」とか「週末宴会」などとよんでいたのですが、それはおよそ秩序とか安寧とかいったものとはかけはなれた、混沌とした、オールナイト体力一本勝負のバカ宴会で、あまりといえばあまりにばかばかしいもので、そのばかばかしさかげんをひとつ見物してやろうと書生さんはおもいつきました。おもいつくのはいいんだけど、書生さんは青森県在住でした。いっぽう週末宴会が開催されとるのはイバラギでした。人外魔境でございました。なんか、やたらめったらテイネイな口調で話しとりますが、とくに意味はありません。気にせんでください。そんでともかく人外魔境。たかだか通信の宴会に参加するためだけに移動するねうちのある距離かどうかははなはだギモンでございました。ていうか、そんなねうちはぜったいにない。あるわきゃない。これがたとえば、そのごのじんせいに多大な影響をあたえてくれる高尚な集いだったりとか、りっぱな聖人の薫陶をうけられるめったにない機会だったりとか、むずかしい漢字をつかっちゃったんで書いててわたしもこれで日本語あっとるんだかどうかよくわかってませんが、ともかくそういうありがたいあつまりであるならば話はべつですが、たんなるバカ宴会です。くどいようですが。バカ宴会です。そんなもんに顔をだすためにハルバル青森くんだりからやってくるというのは、酔狂がすぎるというものです。しかし、いまにしておもうに、書生さんはどうもそのへんの加減というのがいまひとつわからないひとでした。ホドホドというものがわからないひとでした。そのへんがかれが「永遠の書生さん」とよばれる理由なのかもしれません。ともかく、そんなわけで、じぶんがいまなにをしようとしているのかまったくわかっていない書生さんは、週末オフに参加するためだけに移動を開始しました。金曜日深夜、ホンダのプレなんとかいうクルマにのりこみまして、高速道路を時速250キロくらいで南下しつづけました。そんでもってイバラギの、バカ宴会のやらかされる町についたのは翌日土曜日午後1時です。そのかんかれは一睡もしていません。ビタ一秒たりともねむっとらないという話です。ただひたすらにハンドルをにぎりしめていたのみだという話です。こらさすがにたまりません。到着するなり書生さんは、週末宴会メンバーのひとりの宅にころがりこみ、用意してもらったふとんにたおれこみ、そのままねいってしまいました。そらもう、底なしヌマのごときふかきねむりだったという話です。ふとんにたおれこんだつぎの呼吸はすでに寝息だったという話もつたわっとります。「わたしもいろいろネプタイ(注・ねむたい、の意。青森県の方言でそうだったらいいなあとおもう)ひとというのはみましたが」とそのさいふとんをしかされた週末宴会メンバーはこう述懐しています。「あれほどネプタイおとこというのはみたことがありません。たぶん、よほどネプタかったんでしょう。」ていうか、ふとんしいてやったのはおれなんだけどね。この作文つづっとる、このぽいうなんだけどね。ほんと、よっぽどつかれてたんだとおもう。書生さんはそのままパッタリとねむりこけつづけ、だらしなくえんえんとねたきりつづけ(わかっとる。かような日本語はない)、やっと目をさましたのは翌日のひるまえでした。「わたしもいろいろとよくネプルひとというのはみましたが」このザマを目撃した週末宴会メンバーはこう‥‥しつこい? しつこい。ああそう。ともかく、あろうことか書生さんはそのまま二十四時間もねむりこけてくださいました。かれが目をさましたとき、週末宴会などとっくのとうにおわりくさらしとりました。いったい書生さんはなにをしにイバラギくんだりまでやってきたのか? そういうギモンが書生さんのムネに去来したとしても、それはそれで無理もないことでござました(ママ)。無理もないことではござましたが(ママ)、そんなもんにかかずりあっとるヒマもまたござません。書生さんにしてみたら、そのつぎの日はもうつぎの一週間の労働がはじまるのです。とっとと青森県めざして出発せねばなりません。アイサツもそこそこ、二十四時間睡眠による度はずれたネグセをなおすことさえわすれ、書生さんはただちにクルマにのりこみ、ぶるるんいっぱつエンジンぶっかけ移動を開始しました。国道6号から16号、岩槻インターから東北道にのりこみ、矢板、郡山、福島と走破しつづけました。ワキ目もふらず、ただヒタスラにアクセルをベタ踏みしつづけました。ところが、どうしたことでございましょう、あれだけネプったというのに、みなのしゅうアキレかえるほどねくさらしたというのに、たいへんなネプケがふたたび書生さんをおそいだしました。そらもう、たいへんなネプケでござました。いかんいかん、ネプっとるヒマなどない。とにかくオレは、明日のアサヒがのぼるまでに家にかえらねばならんのだ。書生さんはクビを前後左右にふって必死にネプケをおいはらい、運転に没頭しました。ところが、没頭すればするほど、ネプタくなってくる。それはもう、そういうことになっとります。単調な高速道路の運転席はかれの拷問ムチウチ台と化しました。ハンドルをにぎりながら意識がふっととおのき、数瞬後に目をさましてハっとする、そういうことをいくどかくりかえし、そうしてとうとうかれは本格的なネプタマツリに突入してしまいました。ああ、ごめんなさい。とうとうかいてしまいましたネプタマツリ。これだけはかくまいとガマンしてたんですが、ついフデをすべらしてしまいましたネプタマツリ。などとのんきにあやまっとる場合ではありません。書生さんはとうとうネプってしまったんです。ぶるるんと高速でクルマをはしらせながら、その運転席でぐうぐうとネプさってしまったんです。いったい何秒ネプったものか、書生さんがこのあまりといえばあまりにイノチしらずなネプタマツリから目をさましますると、前方すぐのところにクルマがおわしました。しかもそのクルマは停車しくさっておいででした。「へ?」と書生さんはこえをもらしました。「へ」はないだろう「へ」は、とあとになってこのテンマツをきかされた一同はそうつっこんだものでございますが、ともかく「へ」だったそうでございます、そのとき書生さんがそのくちからもらした音は。おまけにごていねいなことには、停車しとるのはその一台だけではありませんでした。そのさきにも、そのさきにも、ずらりとクルマがならんでおいででした。右にも、左にも、なん十台というクルマが停車しておいででした。うわあああああっ、ぶつかるううううっ、書生さんはおもわずさけび声をあげ、あわててブレーキをふかくふみこみました。目をぎゅうっとつむって、歯をぎゅうっとかみしめて、ちからいっぱいブレーキペダルをばむにゅうっとふみこみました。しかし、車間距離は1メートルもござません。いまさら停止しようとしたところで、とまれるわけなどありゃしません。このまま追突するのはもはやさけられようもない。もはや余命いくばくもない。さよならさよならさようなら。そうして、そのとき書生さんのノウリには、よくいわれるあの「ソウマトー」というやつがかけめぐりました。「ほんとにああいうときって、いろんなことがアタマのなかをかけめぐるんっすね」あとになって書生さんはいいました。そのさい書生さんのノウリをよぎったものといえば、母親の顔、父親の顔、妹の顔、裏山に鉄砲かついで殺生しにでかけてそのまま行方しれずになって、村じゅうあげて捜索をしたのにみつからなくて、そしたらよくあさなにごともなかったかのような顔をしてひとりでかえってきたトボけた祖父の顔、そういったなつかしいひとたちの顔、顔、顔、はじめてすきになった女の子のこと、はじめてコイゴコロをコクハクしたあのアオモリ県のゆうやけの校庭‥‥。このままオレ死んじゃうのかなあ。これで死んだら両親にわるいよなあ。どうせ死んじゃうなら妹がほしがってたおれのジャンバーあげときゃよかったなあ。そのまえにあのジジイころしときゃよかったなあ、いかしといてもタメにならないしなあ。そういやこないだアッピでナンパした女の子、まだ電話してなかったっけなあ、どうせ死ぬんならあの場のユキのうえで犯しときゃよかったな、もったいないことをしたなあ。にんげんやっぱやりたいことをやりたいときにやっとかなくっちゃもったいないよなあ、ようし、これでもし生き残ってたら、こんどはそうやって生きてやるぞっ‥‥。書生さんのアタマのなかを来し方きたるべきはずだったまちがった未来がかけめぐります。いつまでも、いつまでも、えんえんとかけめぐります。えんえんと、えんえんと、‥‥なんかこれ、ながくない? たしかにこういうときって、一瞬がながい時間にかんじられるとはいうけど、いくらなんでもながすぎない、これ? 書生さんはおそるおそる目をあけて、あたりをみわたしました。目のまえにクルマがあります。右にも左にもクルマがあります。さっきみたのとおなじ情景です。ところが、そのさきをみやると、仙台パーキングエリアの看板がみえました。そうして書生さんはただちにすべてを理解しました。しばらくまえ、あまりにネプタくなった書生さんは、パーキングエリアにクルマをとめて、そこで仮眠をとることにしたのでした。そのままネプリこけていたのでした。なんだよ、そういえばそうじゃん、おれ、ここですこし寝ることにしたんじゃん。ネポケて、まだ高速でクルマをはしらしてる気ぶんになっちゃってたよ。あせってそんしちゃったよ。書生さんはじぶんの両手がハンドルをにぎりしめ、右あしがいまだにブレーキペダルをおしこんでいるのをみて、ひとりわらいしました。手とあしをもとにもどし、かたわらの缶コーヒーをひとくちのんで、書生さんはふたたびエンジンをかけ、するするとクルマを発進させました。「どうせいつかは死ぬんだ、これからはもう、やりたいことをやるんだもんね」という、ハタ迷惑いがいのなにものでもないオトコがまたひとり、この場でうまれたことをしるものはだれもなかったという話でございます。
余談:そこでじんせいふっきったんだかどうだか、それからしばらくして書生さんは青森県をとびだして、わしのところにころがりこんできました。居候というやつです。そのころから、だれがいいはじめたのかかれは「書生」とよばれるようになりました。ていうかこのほかに「家出少年」だとか「失業者」だとか、いろいろ不名誉なよばわれかたをされとったのですが、けっきょくこの「書生」が定着しました。んで、この書生さんが、それからどうなったかというと、じつはまだ二階にいるのです‥‥ということはなくて、いまはもうヨメさんをもらい子どももできて、一家のりっぱなアルジですとさ。ちゃんちゃん。

[06,12,1999]