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なん年かまえの夏にしりあいの女の子がふたりで九州に旅行をしたとき、おみやげをかってきてくれました。わたしの家にあそびにきてくれたおりに、それをてわたしてくれました。うれしかったです。だいたいわたしはモノにはかなりよわいほうで、ひとからモノをもらうのはたいへんすきなのですが、それがかわいらしいふたりの女の子からもらえたんだから、もう、うれしくなかろうはずがない。期待にむねをわくわくさせながらつつみをあけてみると、なかからでてきたのは、はにわでした。はにわ。みなさんしってますね、はにわ。あの、つちをこねくってつくった、わけのわからんにんぎょう。あれなのでした。しかも、むかしの武人だとか、馬だとかじゃなくって「ハニーちゃん」とよばれてるあの「シェー」のポーズの、目と口のところにまあるく穴があいてる、あのいちばんたわけたはにわなのでした。これにはさすがにわたしもめんくらってしまって、どう反応したらよいものか、いっしゅん「‥‥」となってしまいました。ほんとうはたとえそれがどんなものだろうと、ひとからモノをもらったときにはぱっと顔をかがやかせてほほえんで「うれしいよ、どうもありがとう」と社交レスポンスをするくらいのこころえはわたしにもあるのですが、そのときはよろこびのポーズもでてこなくって、その場でかたまってしまいました。とつぜんはにわをもらったひとの気もちは、とつぜんはにわをもらったひとにしかわかりません。ハニーの顔でわたしは、その場にかたまってしまった。ところがわたしにそれをくれた女の子たちはそのようなおれのハニーな精神状態にはおかまいなしで「いやもうねえ、これをおみやげ屋さんでみつけたときにねえ、これはもう、くりたさんにあげるしかないっ、なんて、ふたりでさけんじゃったんだもんねえ、やっぱりくりたさんには、はにわしかないよねえ」などとまくしたててくださいます。わたしとしてはかなり複雑な気もちです。「あんたにおみやげといえばはにわしかない」なんてキッパリといいきられたら、だれだってちょっとは不安になるはずです。いったいおれのどのへんがはにわなのだろう、と、しばしみずからのじんせいのこしかたを遠い目でおもいやったりするはずです。ハンドルネームはぽいう。そのひとへのみやげといえばはにわ。‥‥なにかがまちがっている。どこがどうとはいえないが、たしかになにかがまちがっている。こういう立場におかれたら、だれだってそういう気もちになるはずです。そもそもあのはにわというやつには、決定的にすくいがたいなにかがある気がします。不安にならないはずがないです。しかし、そういう不安はオモテにださずにいるのがまた男のいきるみちなのではあるまいかともおもい、気をとりなおしてわたしははにわをにぎりしめ「うれしいよ、どうもありがとう」とちからなくほほえんでおきました。彼女たちはまんぞくげにうんうん、とうなずくのでした。
さて、それからしばらくして、しりあいの青少年があそびにきました。青少年はわたしをみるなり「くりたさんくりたさん、いつもお世話になっています、これ、つまんないモノなんですけどどうぞ」といっておれに包みをくれました。おれは礼をいい、その包みをあけました。ところが、なかからでてきたのは、ほんとうにつまんないモノでした。それ以下のモノでした。なにかというと、さよう、はにわなのでした。ハニーちゃんなのでした。これには温和でしられたわたしもさすがにやくざな気もちになってしまいました。いったいなんだってほんのしばらくのあいだに、ハニーがふたつもあつまってきちゃったんだろう。あまりみとめたくないことですが、もしかしてわたしには、じぶんでも気づかない「なにかはにわをあげてしまいたくなる要素」というものがそなわっているのかもしれません。はにわ要素。これはかなりかなしいです。かんがえればかんがえるほどなさけないものがあります。青少年のくれたそのはにわには能書きもついていて、さわりをちょっと無断引用してみますると「私達日本人の祖先が遺された偉大な芸術品、それは埴輪である。その表現は素朴で民族的精神の力強い生命感、たくましい造形力はどうちゃらこうちゃら」なんだそうです。バカモノですね。そのときは精神的にかなりやくざになっている状態だったので、ハナでわらってしまいました。な〜にが民族的精神の生命感だバカモノ。これが偉大な芸術品ならミス南極だって偉大な芸術品だバカモノ。贈られるほうの身にもなってみろバカモノってなもんです。
そういうわけでわたしの部屋には「はにわ禁止」の張り紙と、そのしたに二体のハニーがあります。みればみるほど気ぶんがめいってくるのです。
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