とり  図巧

→数学のエライ先生がいて「日本人の歴史に天才はふたりいて、ひとりは松尾芭蕉、もうひとりは伊藤看寿」といったので感心したことがある。そうしてそれからちょっとうれしくなった。松尾芭蕉はゆうめいだけど、伊藤看寿なんてあんまりしらないよね? そういうなまえがでてきたのでうれしくなった。それは、将棋のひとだから。というわけできょうは将棋の話だ。興味のないひとはどうぞよみとばしてください。
→将棋の世界で看寿といえば第七世名人三代伊藤宗看の弟の伊藤看寿をさすことになってるんだけど、これは江戸時代のひとで、そのころ将棋名人になるようなひとは詰将棋の作品集を創作することになってたのね。詰将棋ってあるでしょ? あの、スポーツ新聞とかのカタスミにのってるパズル。あれをこさえてたのね。もちろん看寿もこさえた。その作品集が、後世のひとたちに、たとえばおれに、看寿を「神様」とよばせてる理由なわけ。おれは伊藤看寿がどんなひとだったのかはしらない。でも作品集はのこってる。その作品集をみて、ただひたすらにこしをぬかすことはできる。いったいこれはどういうことだ? どうしてこんなことができるんだ? これをつくったひとのアタマのなかはどうなっているんだ? そんなふうにこしをぬかすことはできる。この作品集は、ただしくは「象戯図式」とかなんとかいうんだけど、おれたちはたんに「図巧」とよんでる。将棋の世界で図巧といえば、あの天才を超越して神様とでもいうほかない男のこさえた、天からふってきたような奇跡の詰将棋のならんだ作品集ということになってる。
→そこには第一番から第百番までの、百問の詰将棋の問題がならんでるんだけど、なんていうのかなあ、詰将棋って、うつくしいのがあるのよ。奇跡みたいのがあるの。もちろんスポーツ新聞にのってる七手詰めとか九手詰めとかのヒマつぶしの詰将棋もそれはそれでりっぱな詰将棋のジャンルなんだけど、そうじゃなくてね、うつくしさとか、夢の手順とかを追求した詰将棋っていうのもあってね、そういうのをはじめてやったのが、たぶん伊藤宗看と看寿の兄弟だったんだよね。いいわすれてたけど、宗看も「無双」っていわれてる詰将棋の作品集をのこしてて、これもとんでもないのね。つまり、江戸時代、宗看看寿以前の詰将棋は、スポーツ新聞だったのよ、いっちゃわるいけど。そこにこのふたりがあらわれて、いきなり詰将棋が芸術みたいになっちゃったのね。なにをもって芸術とよぶのかはおれはしらないけど、とりあえず図巧の問題と解答の手順をみるたびおれはトリハダがたつよ。「なんだこれは? なんでこんなことができるんだ?」って。詰将棋のひとたちはたぶん、詰将棋を地球上で最高のパズルだとしんじてる。そしておれもそうおもう。パズルはいろいろあるけど、よくできた詰将棋みたいに感激させてくれるパズルはほかにしらないもん。図巧みたいなパズル集はほかにないよ。
→だから、図巧をうけとった江戸時代のひとはみんなびっくりしたろうなあとおもうんだよね。それまでヒマつぶしみたいなもんだった詰将棋が、いきなりトリハダの世界になっていて、ちゃんとおんなじルールのパズルなんだけど、ぜんぜんちがう世界の話になってて、それも一番から百番まで、百題もならんでたわけなんだから。とくにおしまいの三つがすごいことになってて、第98番が「裸玉」といわれるやつなんだけど、1一に玉があって、盤上の駒はそれだけ。ね、裸の王様でしょ? で、攻め方の持駒は飛と金が二枚と銀。こういう問題。つぎの第99番が「煙詰」っていわれてるやつで、初形で盤上に三十九枚の駒が配置されてて、つまりすべての駒が配置されてて、ところがこれが詰めあがり図になると最小限度の三枚しかのこらない。ほかはぜんぶきえちゃうわけ。どうする? どうなってんのこれ? ほんとにこんなの詰むの? なんでこんなのできちゃうの? それまでスポーツ新聞の詰将棋しかしらなかったら、ぜったいそうおもうよね。しかも図巧のすばらしいのは、そのこころざしのたかさなんだよね。裸玉や煙詰みたいに、なにか主題をもった作品の第一号局というのをいくつもならべて、しかも、ためしにおなじような作品を創作しようとおもっても、それはおそろしくむずかしかったんだ。たとえば裸玉や煙詰は、その後二百年間、昭和になるまで、おなじ主題の作品があらわれなかった。二百年間、たぶんたくさんのひとが、裸玉や煙詰をつくろうとして、つくれなかった。そういう、こころざしのたかい作品が百番ならんでる、それが図巧。
→図巧の第百番、さいごのやつ、「寿」って題されてる問題が長手数で、611手詰め。これも昭和になるまでその最長手数記録がやぶられなかったやつ。だいたい611手もエンエンと王手をかけつづけて、逃げるほうも最善で逃げつづけて、そうして詰ますにはその一本道しかないなんて詰将棋がよのなかに存在するなんてのがおれにはうまく想像つかないけど、もっと想像つかないのはやっぱり作者のアタマのなかだ。ほんと、伊藤看寿のアタマのなかってのはどうなってたんだろう? もしかしたら、看寿は未来のひとで、タイムマシンで将棋のルールが完成したあたりの時代をねらってあらわれて、未来の詰将棋のよりすぐりをつたえたんじゃないかっていう気さえしてくる。でもたぶんそんなわけはなくって、看寿はほんとに図巧をのこして、そうしてすぐに死んじゃった。図巧にイノチをすいとられちゃったんだろうな、っておれはおもってる。とほうもなくアタマがよくって才能のあるひとだったんだろうとはおもうけど、でもどんなにアタマがよくたって、こんな詰将棋の作品集をつくっちゃったらそれはアタマのつかいすぎだよ。それ以上いきていられるはずないよ。そうおもってる。
→もしも無人島に一冊だけ本をもっていくならなににする? そういう質問があるけど、もしかしたらおれは図巧をえらぶかもしれない。こたえのページをきりすてちゃってね。だって、一生かかったっておれには解けないもん。将棋図巧。いまでもあおじろい炎をめらめらと燃やしてる本だよ。

[23,01,2000]