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●はなはだねむたい。フトおもったのだが、この「めしくったコーナー」は、夕飯をくったのちにかかれる。なにしろめしくった作文なんで、めしをくうまえにはかかれない。めしをくったのちにかかれる。ほかのひとはどうだかしらないが、おれはめしをくうとハナハダねむたくなる。そういう状態でめしくった作文はかかれる。必然的にこれはもうネゴトとならざるをえない。そういう、構造的な欠陥をこのコーナーはかかえている。ネゴトである。そのしょうこに、いまおれは「構造的な欠陥」とのべたが、じつをいうと意味はおれもわかっていない。構造的ってなんだ? なんの構造だ? わかっていない。わかっていないままつづられる、それはありがたいめしくった作文である。
●きのうはブカの結婚式であった。ブカだブカ。おれもえらくなったもんだ。かわいそうなブカ。上司がおれだもんな〜。じぶんでいうのもなんだけど、おれくらい無責任なにんげんはそうそういないもん。そんで、ひごろのおこないがよほどわるいのか、ここぞとばかりにまわりの連中にわるい酒をしこたまのまされて、6時ごろおひらきになって、筑波山のフモトのホテルからこんどは千葉のライブハウスへむかう。どの道をどうはしったものか、記憶にない。こんなんでいいのかっ。とりしまらなくっていいのかイバラキ県警およびチバ県警っ。たるんどるぞっ。けっこうおれ、よっぱらい運転してるとき、じぶんがやばいかどうかってわかるんだよね。気のせいかもしれないけど。ほんとはつねにやばいのかもしれないけど。ともかく、「ああ、こりゃよっぱらってるなあ、まっすぐはしれねえや、はははああ」なんてへらへらわらいながらはしってるのはまだましなときで、いよいよになってくると、もはやじぶんがよっぱらってる自覚さえない。とつぜんガダガダガダなんてクルマがいいだして、気がついたらひとを三人くらいハネてたりとかね、いやもちろんうそだけど、ええと、とつぜんガダガダとクルマがいいだして、気がつくと縁石とこすれて火花ふいてたりして「あら?」なんておもったり、ともかくわけがわかっていない。じぶんがはしる凶器とかしているのに気づいていない。そうしてよくじつ正気にもどってから、クルマのキズをみて涙にくれたりとかね。これがやばいとき。きのうはちょびっとだけやばかったです。こうつうあんぜん。
●けっこうまえに、女の子とチバの市内のみちをあるいていたら「わたしがチバのこのひとたちをゆるせないのは」と彼女がいきなりいいだしたしのでびっくりしたことがある。袖すりあうひとたちにもきこえるようなこえで彼女がのべたのはつぎのような論である。「この道なのよ、道。なんの計画性もないでしょう? いきあたりばったりでへんなところに道をつくったりこわしたり建物をたてたりこわしたりして、だからこんなふうにあるきづらい道になっちゃうのよ。しかも、みんなそのことに気づいているのに、だれかがなおすだろう、とりあえずじぶんはいいやとおもってこんなふうに、にやにやして平気であるいてるこのチバのひとたち。ああもう、ほんとうに、いやだ」と、くどいようだがなんの罪もない道ゆくチバ県民たちにきこえる声でいいだしたもんで、なにをほざきだすんだこのムスメわっ。とおれはびびってしまった。まあたしかにあのチバ駅周辺の道というのはなんだかよくわかんないけど、でも、ああいうのって、チバにかぎったことじゃないような気がする。その女の子はギフ県出身で、ギフっていうのはよくしらないけど、山があって木がいっぱいはえてるとこでしょ? そもそも道なんていったらケモノ道しかないわけでしょ? そういうのとチバをくらべちゃいけないよ、と指摘するとものすごくおこられました。いやまじで。
●なにをかいてるんだろう。たぶんおれはいま、つかれているのだ。
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