[2000年2月15日] こんだら
菓子パン。(朝)
麻婆豆腐定食。(昼)
きんぴらごぼう。めし。(夕)

●こないだ、エレメンタル・ノートの掲示板ですこしだけ話にでていたんだけど、こんだらというものがある。いやほんとうはそんなものはない。でもある。でもほんとはない。でもある。いったいおれはなにがいいたいのか? じぶんでもよくわからない。よくわからないこんだらの話。おれがはじめてその言葉をみみにしたのは大学生のときで、学生食堂でカツ丼かなにかをたべていたときだ。女の子のふたりぐみがうしろにすわっていて、ぺちゃぺちゃとおしゃべりをしながら食事をしている。彼女たちの話をなんとなくおれはきいていた。
「地面をならしてたいらにするローラーってあるでしょ? ほら、ひとがひっぱるやつ」
「野球部とかテニス部とかでつかってるやつ?」
「そう、それそれ。それのことねえ、あたしずっと、コンダラっていうんだとおもってたんだ」
「コンダラ? なんで?」
「テレビの巨人の星の歌で「おもいこんだら、試練の道を‥」っていうとこあるでしょ。あのとき、あれをひっぱってるとこがでてくるのよ。だから「重いコンダラ試練の道を‥」だとばかりおもっててさあ」
「ああ、思いこんだらじゃなくて、重いコンダラなのね」
「そう、重いなの、重い」
おれはくちのなかのカツ丼をふきだしそうになってしまった。こんだらバカな話はねえよ(減点)とおもい、こんだらバカな話(しつこい)をするのはどんだらバカな顔をしてるのかみてやろうとふりかえると、たんなる女子学生だった。あたりまえだが。そんで、めしをくいおえてともだちにあって、さっそくこの話をすると、ところが、ともだちもそうおもっていたという。「え、あれって、もともとコンダラっていうんじゃないの?」とぎゃくにききかえされてしまった。これにはけっこう衝撃をうけて、それからしばらく、だれかにあうたびに「おまえ、コンダラってしってる?」とたずねてた時期がある。するとこれがでてくるでてくる、十人にひとりくらいはつうじてしまう。「ああ、あれだろ、あの、ひっぱるやつ」と平然とこたえるやつがあとからあとからでてくる。だんだんおれもおもしろくなってきた。このままいけば、確実にこんだらが世間に浸透する。すでにかなり浸透している。たしかにその生い立ちはやや不幸ではあるが、つうじてしまえばこっちのものである。基本的におれはおもしろければなんでもいいにんげんなので、積極的に機会あるごとにこんだらの使用につとめるようになった。しかし、ここで2000年のコンダラ状況をたちどまってかんがみるに、どうもいまひとつという印象はぬぐいきれない。とくに二十歳未満の青少年のコンダラ状況といったら惨憺たるもので、ほとんどしられていない。つうじない。やはり巨人の星の再放送がなくなったのがいたい。いぜんは定期的にゆうがたの時間帯にこれでもかあこれでもかあとくりかえしくりかえし「ほしくんっ。しゅぼぼぼぼぼぼぼおおお」なんて目玉をもやす画をタレながしていたのだが、アレがなくなったのがいたい。ちゃぶだいをひっくりかえさなくなってしまったのがいたい。パイピンピンを愛人としてかわいがった梶原いっきがあの世へいってしまったのがいたい。たとえさいごのひとりとなってもおれはコンダラをもちいつづける覚悟はあるが、このままではジリ貧はめにみえている。かといっていまさら巨人の星をあのままで再放送したって子供たちがよろこんでながめるともおもえないし。なにかこの状況を一変させるよいてだてはないものだろうか。

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