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→たしかニールヤングの歌で「男には女が必要だ」というのがあったと思ったけど、たしかにそうだよなあとおれはときどきおもう。たとえば深夜の部屋で、ひとりきりコンピューターの画面にむかうのと、かたわらで女の子がすやすやと寝息をたてているそのとなりでコンピューターの画面にむかうのとでは、ぜんぜんちがう。コンピューターにむかってなにか文章を綴るというのは基本的に孤独な行為のはずだ。そのときおれはたぶん、ひとりぼっちのはずだ。だからとなりにだれかがいようといまいと、関係ないはずなのに、でもやっぱりぜんぜんちがう。
→こどもたちの相手をするのはつかれるせいだろう。お姫さまは夜の十時ごろになるとさっさと布団をかぶってねむってしまう。おまけにこのお姫さまはたいそういぎたなくて、あさがくるまで、まずめざめない。かわりにときどきネゴトをいったりはする(「ハマチはたかいからね」など)。あとねぼけてジタバタしたりもする(かけぶとんのうえからポリポリとおなかのあたりをかいたりする。あれでかゆみはおさまるんだろうか?)。ごくまれにめざめることはあっても、「いまなんじ? まだこんなじかん? やった、まだねれるう」などとろれつもまわらずに吠え、つぎの呼吸はすでに寝息だ。おれはといえば、ただひたすらとほうにくれている。だってまだ十時だよ? 十時なんだよ? おれにどうしろというんだ? たずねたところで返事がくるわけはない。イビキがかえってくるのがせきのやまだ。
→しかたなくおれは台所へいき、流しにたまった食器をかちゃかちゃとあらう。いつもよりたんねんに、時間をかけてじっくりとあらう。ガスコンロのまわりなんかもみがいたりする。それくらいもてあましてる。ところが、そうまでしても、三十分も時間をつぶせない。仕事をすべてやりおえて、おれは本格的にいきづまる。こういうときみんなはどうしているんだろうとおもう。どこかの店にでかけてひとりしずかに酒をのんだりするのかもしれない。だけどおれにはそういう芸がまったくない。こういうのもなさけないのではないかとおもい、ルパンにいってビールでものんでくるかといっしゅんおもう。ルパンというのは近所にあるちいさな飲み屋で、客がいるところをみたことがない不思議な店だ。かねてからいちどはいってみたいとおもっている。しかし、ルパンのやどりぎにひっかかってビールをのみはじめたところで、たぶん三分もしないうちにすっかり飽きているじぶんの姿をありありと想像できてしまう。店にいくのはやめる。
→けれど、こういうときにいちどでも「ビール」という単語があたまのなかをよぎってしまうともうだめで、おれはドアをあけてローソンにでかける。とちゅうの路上の縁石にすわりこんで、どこかのだれかと携帯電話ではなしてるいまふうの女の子がいる。「彼女の目のまえですっころんで気をひこうか」などと十代のときみたいなことをおもう。こういうのは年代に関係なく、そういうことをおもいつく人間はいくつになってもおもいつくものならしい。だけどもちろんできるわけがない。おれはうちきなのだ。
→ローソンで購入した缶ビールを半ダースとパチスロ必勝ガイドとコミックモーニングをかかえて部屋にもどる。キッチンの椅子に腰をおろし、煙草に火をつけて、ビールを飲みながらそれを読む。読み終える。なにかするべきことはないかとすこしだけかんがえる。もちろんそんなものは何ひとつない。それからおれはお湯をわかしてコーヒーをいれ、洗面器に水をはってていねいにヒゲをそる。そったあとに鏡をみながら、時間をかけて顔のひとつひとつの部品を点検したりもする。けれど、もちろんそんなことをずうっとつづけていられるわけはない。夜はあまりにながく、一晩をつぶせるほどおれの顔は複雑なつくりをしていない。おれは椅子にふかく腰かけて本をひろげる。その椅子は二年まえの彼女の誕生日に彼女のおともだちがおかねをだしあってプレゼントしてくれたものだが、おれはその椅子がとても気にいってる。かたわらのヘルスメーターに灰皿とカップをおいて、椅子にもたれてコーヒーをくちにふくみ、こころおきなく本を読む。おれはその場所でさまざまな本を読んだ。本を読むのに適した場所というのがあるとおもう。どういうわけかすんなりと集中して本を読める場所。すんなりと本のなかにはいりこんでいける場所。そういう場所がある。狭い台所のひんやりと湿った床にじかに置かれた椅子。右手に食器棚、左手に冷蔵庫、正面に玄関の扉があって、ささやかなたたきにはいくつもの靴が置かれてる。港に碇泊する船のように。扉のすぐ横の窓には調味料のちいさな瓶が並んでいる。塩やラー油やタバスコや化学調味料やそのたいろいろ。冷蔵庫の、じいいいいいいんというノイズだけがきこえる。安寧がそのちいさな空間をみたしている。深夜の台所はそういう場所だ。
→せっかくそんな場所にいながら読むべき本がないとき、困ったことになる。彼女の本棚に並んだ本を手あたりしだいに読むことになる。じっさい、曽野綾子だとか中勘作だとか、彼女の本棚に並んでいなければおれは一生読むことがなかったんじゃないかとおもう。ジェフリーアーチャーも。クラウディアシーファー特集のファッション誌も。そしてふとおもう。なんでおれはこんなものを読んでいるんだろう? どうして深夜のキッチンで、主婦と生活社特別編集のクッキングブックをひろげているんだろう?
→そのあまりに無為な時間のつぶしかたに気がついて、あきれたおれは、食料が底をついて白旗をたかくかかげながら塹壕からのたのたと這いずりでてくる鉄カブトの兵隊みたいに、万策つきはてて部屋にもどり、やすらかな寝息をたてている彼女のかたわらのコンピューターをたちあげて、キーボードをたたきはじめる。
→「男には女が必要だ」という、たしかそういうニールヤングの歌があったのをおもいだす。なんて平安なひとときなんだろう。かたわらに寝息をたてている女の子がいるというただそれだけのことで、なんでこんな気もちになれるんだろう。そうした気もちで綴る文章は、たぶんそうじゃないときよりすこしだけやさしいものになっているんじゃないかとおれはおもうんだけど、どうですか。
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