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ああ、またながながとつづってしまった。しかも、なんの脈絡もなく日の出の話なんかをつづってしまった。このうっとうしい梅雨空の時期に、しかも「雨は毒だ」と教えられるこの時節に、日の出の話もあるまい。たしかにおれもそうおもう。けれども、こんな時期だからこそせめて、さわやかな話をするべきだと、そうおれはかんがえたのだ。そうかんがえて、さわやかな朝日を拝みにいった話をすることにしたのだ。というわけで、すまない、ながながと、日の出の話だ、よかったらすこしつきあってほしい。そして、これによって、みんなが、すこしでも寝苦しさをまぎらわしてくれたならさいわいだ、うひ。‥あ、いや、すまん。では話す。
そもそもおれは、なにかを詣でるとか、拝むとかには、いっさい無縁な人間だ。修学旅行のように、じぶんの意志をないがしろにされてむりやり神社仏閣につれていかれたときだって、周囲のひとたちにあわせていちおう殊勝にもなにか拝んでいるようなそぶりはするものの、こころのなかではなにもかんがえていない。拝んでいるマネだけはするが、目のまえにいるショートカットの女の子の肩のラインをながめて、ぜんぜんべつなことを考えていたりする。おれはそういう人間だ。そういう人間が、なにをどうまちがえたのか、日の出を拝みにいくことになった。ようするに話は、そういうのがすきな女の子に強引におしきられてしまっただけのことなのだが。彼女は自動車の運転免許証を取得したばかりで、なにかにつけてクルマを運転したくってしょうがない時期だった。理由がなくたってクルマを運転したくってしょうがない。その彼女におれは、むりやり、日の出を拝みにいくのをつきあわされることになってしまった。週末の夜をおれは友人の家で平和にすごしていた。くだらない話をしあってくつろいでいるさなかに、彼女は自家用車を、それはニッサンの中型車なのだが、死にかけのアルパカみたいによろよろとそいつを運転して、おれをむかえにきた。あたりはまだ真っ暗だった。おれはその場につどっていた十人ばかりのひとりひとりにわかれをいって、彼女のクルマにのりこんだ。のりこんだはいいものの、おれたちはそこでしばらく、どこへいくかの相談をしなければならなかった。どこの日の出を拝むのか、まったくかんがえていなかったからだ。事前に友人たちの意見をもとめてみたところ、そのうちのひとりの説によると、やはり本格派は太平洋へいくものであるらしい。たしかにそれは正しい日本の日の出だ、とおれはおもった。そいつはあぶないんじゃないかという反対意見もあった。なるほどそういうみかたもある。週末深夜の茨城の海といえば、それはタケヤリデッパの暴走族のハレの舞台だときいているし、それでおれたちは、そのような事情を考慮にふくめて相談した結果、筑波山へいくことにした、うひ。‥‥あいや、しつれい。なんかどうもこう、しゃっくりがとまらなくて。うひ。どうか気にしないでほしい。それで、山のてっぺんからかおをのぞかせた朝日にむかって「太陽のばっきゃろ〜」とやってみるのも、まあ、一生に一度くらいならゆるされるだろうとおれもおもい、そういうわけで彼女とおれは、真っ暗な茨城の田舎道をのたくたと、いちろ筑波山をめざしてクルマをはしらせた。車内ラジオでチェックした天気予報によると、その朝の関東はすばらしい天気だとのことだった。はしるクルマの助手席の窓から顔をだして夜空をみあげると、たしかにそこにはうつくしい星座がおもいおもいにまたたいていて、なるほどこのぶんならすばらしい日の出が拝めそうだと、おれは期待に胸をたかならせた。そのうつくしい星ぼしをながめながら、すこしずつおれは眠くなってきた。夜どおしさわぎつづけていた疲れで、もとからすこし眠かったのだが、はしるクルマのここちよい振動で、そいつがいよいよふきだしてしまったらしい。「眠んでしょう、ねていいよ」と、おれが眠たそうにしているのに気づいたらしい彼女がおれにいった。おれはその言葉にあまえることにして、しばらくうとうとした。そうしてつぎに目をさましたとき、おれは、おれたちがひどい山道をはしっていることに気がついた。それはもう、ひどい坂道で、ジープに乗りこんだビック・モローのためにあるような道だった。クルマがはげしくゆれるので、それでおれは目をさましたというわけだった。あたりはまだまっくら闇で、おまけに、うっすらと霧がではじめていた。まがりくねったほそい山道をてらすヘッドライトは、木々がどこまでもたちならんでいるようすを、霧のなかにうかびあがらせていた。タイヤがわだちにはまるたび、クルマはおおきくかたむき、エンジンがうなった。「これで道はあってるのか?」おれはそうたずねた。「わからない。きっとまちがってるとおもう」と彼女はいった。それくらいひどい道だった。おれたち以外の人類には、まったくであわなかった。深夜とはいえ、そんな交通量のすくない、街灯もないひどい道が、おれたちのめざしている場所へつうじる道であるはずがなかった。おまけに霧はひどくなるばかり。なんてこったい、とおれはおもった。運転技術がまだまだ未熟なうえ、道もしらないというのに、夜中に山にのぼろうとかんがえたおれたちの失敗だった。これならおとなしく霞ヶ浦にでもいきゃよかったなあ、おれはひそかにそうおもわずにはいられなかった。そんなときだ。クルマのライトのてらすむこうに、ぼうっと、なにかしらのかげがうかびあがったのは。霧のせいで、おれは、それがなんなのか、はじめはわからなかった。気づいたとき、おれはどきっとした。それは、おそろしく髪のながい背のたかい女だった。薄手のコートを着て、片手に紙袋をさげているようだった。女は霧のなかにうかぶみたいに、道のまんなかにたっていて、まっすぐにおれたちのほうをみつめていた。おれは、なにかわるい予感がした。こんな深夜に、交通のない山のなか、ひとりきりで女が道の、それもまんなかにたっているなんて、たしかにふしぎなことだった。しかし、おれのわるい予感というのは、もっとえたいのしれない、なにかだった。それがなにか、はっきりと言葉にはできない。ただ、なにかわるい予感がする。おれの脳のなかのどこかに残っているご先祖さまの記憶が、おれに、危険信号をおくってきているようだった。けれど、そんなおれのわるい予感をハンドルをにぎる彼女に話したところで、ばかにされるだけだとおもい、おれはだまっていた。彼女もだまってクルマをはしらせていた。道にたつ女は、こちらをみているいじょう、おれたちのクルマに気づいているわけで、だから、すぐに道のはじによけてくれるものだとおれはおもっていた。彼女もそうおもってたのだとおもう。だからそのまま彼女はクルマをはしらせていたのだとおもう。ところが、いったいどうしたというのか、道にたつその女は、よけるけはいがない。そうして、おかしいぞ、とおれがおもったとき、女は、おれたちのクルマにむかって、たったったった、と、道のまんなかをはしりだしたのだ。霧のなか、おれたちのクルマのライトにてらされた道路のまんなかを、規則ただしく手をふって、おおまたで、ながい髪をなびかせて、まっすぐにおれたちにむかってはしりだしたのだ。それも、おそろしいはやさで。彼女はあわててブレーキをふかくふみこんだ。しかし、まにあわなかった。「ああ、だめだ」おれはおもわずそうこえをあげ、からだを硬直させて、フロントガラスのむこうをみつめた。女ははしるのをやめなかった。とうとうそのからだがクルマにかさなった。ところが、彼女は、クルマにはぶつからなかった。クルマがとまったわけでも、彼女がはしるのをやめたわけでもない。それでも、彼女はぶつからなかった。なぜなら、彼女は、おれたちのクルマをとおりぬけていったからだ。クルマをつきぬけて、運転席にいた彼女と、助手席にいたおれのあいだを、彼女はとおりぬけていったのだ。おどろいてうしろをふりかえると、そこには、わきめもふらずに、たったったった、とはしりつづける女のうしろすがたがあって、すぐにそのすがたは霧のむこうの闇にのみこまれ、みえなくなった。クルマがとまった。沈黙があった。彼女とおれは、だまったまま、クルマのなかでふかく呼吸をくりかえすだけだった。一分か、二分か、わからない、しばらくそのままでいて、そのうちおれはふと、なにかがおかしいことに気づいた。それにおもいあたったとき、おれはこえをあげた。なにがおかしいのかって、おれたちのまえには、道がなかったのだ。霧で気づかずにいたのだが、そこは崖になっていたのだ。あと1メートル、クルマがまえにすすんでいたら、おれたちは、そこから転落しているところだったのだ。さっきの女は、おれたちにそのことをおしえたかったのかもしれない。いや、たぶん、そうにちがいない、おれはそう確信し、となりでぼうぜんとしている彼女にそのことを話した。彼女もそれではじめて、じぶんのいる場所に気づき、溜め息をもらした。たすかった、いまのひとがたすけてくれたんだ、おれたちはそう話しあった。そのさなかに、おれはまた、さっきの危険信号をかんじた。なにかわるいことがふたたびおこりはじめている、おれのご先祖の記憶がまたおれにかたりかけてきている。「ちょっとまって、まだなにかおかしいんだ」こんどはおれははっきりとくちにだした。そうして、おれは、危険をかんじるほうを、つまり、うしろをふりかえった。そこにいたのだ。さきほどの、髪のながい女が、後部座席のまんなかにすわっていて、こちらに身をのりだしていたのだ。きれながの目をしていた。その目には、輝きというものがまったくみあたらなかった。まるで魚みたいに。おれは全身の毛がさかだつような気がして、そのままうごけなくなった。女は、おれをじいっとにみつめて、それから「ちくしょう、おちればよかったのに」と、ひくいふとい声でつぶやいたのち、ふっと消えた。うひ。
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