[2000年11月26日] レコード
すぶた定食(ひる)
かきフライ。めし(ばん)

 ちかごろの子供たちをうらやましいなあとおもうのは、なにしろかれらはレコードというものをもっていないのだ。もっていないどころか、しらなかったりする。「レコード? なあにそれ? みたことないよ。なにするものなの? 音楽をきくの? CDとどうちがうの? なんでCDじゃいけないの? なんでそんなのがあるの? なんで?」なんでなのかはおれのほうがしりたい。なんでこんなものがあるんだ。なんでこんな、なんの役にもたたないものがおれの部屋にあるんだ。なんとかならんのかこれは。と、レコード棚をみるたびにおもうのだが、いまだにどうにもなっていない。あいかわらずささやかなおれの居住空間の一部を無意味に占拠しつづけている。「原子心母」なんて三枚もある。なんで三枚もあるんだ。一枚でもいらないというのに。おかげでささやかな空間がますますささやかなものとなっている。いっそおれの寝てるあいだににょきにょきと手足がはえて、じぶんでどこかに消えてくれてたらなあとおもう。「さよなら。きょうまでどうもありがとう。」という置き手紙をのこして消えてくれたら、おれはたばこをやめてもいい。スロットをやめるのだっておやすいごようだ。セックスはもうちょっとまってほしい。時間が解決してくれるとおもう。そのかわり、選挙には毎回かならずいくと約束しよう。赤い羽根募金だって毎年する。だからこれ、だれかなんとかしてくれないかなあ、とおもう。でもだれもなんともしてくれない。レコード芸術の死滅した1990年代におれもちょうじていればなあとおもう。そうすればおれのじんせいはもうちょっと単純だったのに。すくなくとも、レコード棚にならんだレコードのぶんだけは単純だったのに。なあ。

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