[2001年03月07日] カルピス
菓子ぱん(あさ)
ハンバーグ定食(ひる)
にくじゃが。ほうれんそう。めし(ゆう)

「カルピスが飲みたい。」おれはおもった。日曜日で、あたりはくらくなりはじめていた。ひとりきりでおれはベッドにいた。うとうとと夢をみていた。夢のなかで白い壁の部屋のまんなかにおかれた椅子にすわっていた。目のまえにテーブルがあり、コップがおかれていた。水がはいっている。おれはそれを飲もうとする。ところがおれがコップのフチにくちをつけたとたん、なかの水は消えてしまう。それでおれはがっかりする。そういう夢から目をさましたおれは、どうにもカルピスが飲みたくてしかたなくなっていた。どうしてこんなにカルピスが飲みたいんだろう。もう、カルピスなんて、十年くらい飲んでいないような気がするのに、なんだってこんなにとつぜん、飲みたくてしかたがなくなったんだろう。あたまのなかでは、氷をコップにほうりこむときの音が鳴っていた。子供のころにみた、カルピスのテレビコマーシャルだ。五歳くらいの女の子がでてきて、かちゃりと音をたててコップに氷をほおりこみ、とくとくとそこにカルピスの原液をそそぎ、水道の水をつぎたし、ごくごくとのどをならしてそれを飲む。そのコマーシャルがあたまのなかでくりかえし流れていた。かんがえればかんがえるほど、カルピスが飲みたくてしかたがなくなった。なんだってこんなに、カルピスが飲みたくてしかたがなくなるんだろう。もしかしたらまえの晩に、サラミを大量に食べたせいかもしれない。まえの晩は土曜日で、おれはともだちの家にいた。ほかにもなんにんかのともだちが集まっていた。テーブルのうえには皿がおかれ、そこにサラミがあった。ハワイへ旅行したしりあいが送ってきたサラミだった。それをむしゃむしゃとかじっているうちに、どうにもビールが飲みたくなり、けっきょくは3リットルばかり飲んだ。ねぐらにもどってきたときは、明け方ちかくなっていた。おれは毛布にくるまって眠った。ときどき目をさますと、からだのあちこちがしくしくと痛んだ。腹をすかせたままビールを飲んだせいだろう。おれはおもった。だが、昼ちかくになって目をさましたとき、たしかにおれのからだはぐあいがわるくなっていた。悪寒がとまらず、こめかみが痛み、呼吸をするたび胸がきりりと痛み、だるくてどうにもならない。あきらめておれはもういちど毛布にもどった。そしてまた目をさますと、カルピスが飲みたくてしかたなくなっていた。おれは起きあがろうとした。だがそれはそんな簡単な仕事ではなかった。からだにちからがはいらないうえ、どこかを動かすたびにからだじゅうが痛んだ。やっとのおもいで起きあがり、よろよろと流しへいき、カルピスをさがした。もちろんカルピスなんてなかった。冷蔵庫をあけてボルビックを飲んだ。びっくりするほどうまい水だった。それをひといきに飲みほし、また毛布にもどった。部屋のなかはずんずん暗くなってゆくところだった。その部屋でひとりきり横たわっていると、どういうわけだかよくないかんがえしかうかんでこなかった。目にうつるものはすべて見なれた風景だったが、どこかがちがっていた。いつもの、はっきりした現実味をうしなっていた。どこかのわるい世界にひとりきり、おきざりにされてしまったような気がした。いったいなんだってこんなに弱気になっているんだろう。こんな姿をだれかにみられたら、生き埋めにされてしまうところだ。そこでおれはとうとつに、まだその日のめしを食っていないことに気づいた。めしを食っていないからこんなだらしないことになっているのだ。そうかんがえ、めしを食おうと決心した。つらいおもいをしながらふたたび台所へいき、めしをさがした。ヒラメと大根をしょうゆで煮たものが鍋のなかにあった。なんてまずそうなんだろう。おれはおもった。食欲はまるでなかった。サラミのしおからい味がまだのどの奥に残っていて、胸がいっぱいだった。それでも、とにかく食べよう、そうおもいなおしておれは大根とひらめを皿によそい、それを食べた。鍋のまえにたったまま、そこでもそもそと食事をすませたとき、おれのからだはひえきっていた。食べおえてベッドにもどると、とつぜん吐きけがした。それはあっというまで、おさえる方法もなかった。おれは窓をあけ、そこから顔だけつきだして吐いた。大量に飲んだ水がそのまま勢いよく口からふきでた。おれは二度吐いた。そしておれははじめて、じぶんが病気なのだと気づいた。ふとんをふだんより一枚おおくかけ、ストーブをつけてベッドにもぐりこんだ。それでも悪寒はおさまらなかった。これはなんの病気だろう。おれはかんがえた。食欲がわかず、頭痛がして、寒気がとまらず、全身がだるくてなにもする気がおきない。なんてひどい病気だろう。もしかしたらおれはこのまま死んでしまうのか? なんてこったい、とおれはおもった。そうおもいながら、また眠りについた。電話の呼び出し音で三たび目をさました。まだ全身のだるさは消えていない。やっとのおもいでおきだして電話をとり、だるくて寒くてしかたがないんだ、と話すと、「ああそれは風邪だわねえ」といわれた。そこでおれははじめてじぶんが風邪をひいているのだとしった。そうか、おれは風邪をひいていたのか。おれはいったんなっとくしてベッドにもどり、対策をたてなおすことにした。明日は月曜日だ。仕事がある。やすむわけにはいかない。それまでになんとかして直さねばならない。薬をのもう、とおもった。それにはまず、めしを食わねばならん。それから、風呂で汗をかこう。めしを食べ、湯にはいり、薬をのんで、とっとと寝よう。おれはそう計画をたててそれを実行した。あいかわらず食欲はまったくなかったが、無理をしてのどに食物をおしながし、それから浴室にいった。鏡をのぞきこんでおどろいた。眼がおちくぼみ、ひげがのび、ひどい寝ぐせがついていた。もうずいぶんこの顔とつきあってきたが、これほどみじめな表情はめったにみたことがなかった。やれやれ、とおもいながらおれは服をぬぎ、湯にはいった。それはふしぎな感覚の入浴だった。からだが湯のなかでふわふわとうかんでいるようだった。湯気をふくんだ空気をすうのがここちよかった。しばらく夢みごこちでいると、汗があとからあとからでてきて、むしょうにのどが乾いてきた。湯につかっているあいだじゅう、おれはカルピスのことをかんがえていた。たっぷりと汗をながし、おれは浴槽をでた。そして、からだをふきながら、風邪薬をのんだ。ところが、その薬をのんで一分とたたないうちに、吐きけがして、おれはまた吐いた。裸のまま、洗面器を両手でかかえ、二度吐いた。なんてぶざまなんだろう。おれはおもった。吐き終えると、ふしぎなことに、からだじゅうにちからがみなぎっていた。おれはもういちど風呂にはいり、そこでもういちどたっぷりと汗をながし、すぐにふとんにもどった。めしを食べても吐いてしまうのだからしかたない。あとは寝るだけだ。枕もとにあったチョコレートをくちにいれ、おれはまた眠りについた。いったいおれはこの日、なん時間眠ったのだろう。そしてよく朝はやくに目をさますと、おれはすっかり元気になっていた。寝すぎで背骨が痛かったが、全身にあっただるさや寒気はきれいになくなっていた。そのうえ外は極上の天気のようだった。「あとでカルピスを買ってこよう。」おれはそうおもった。

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