[2001年03月10日] それはエクソシストではない
めしはまだだ

●おはよう。
●ものすごくよくねてしまった。海底の流木みたいなねむりだった。あまりに深いねむりから目をさますと、罪悪感をかんじることがあるんだけど、いまのおれがそうだ。なににたいしての罪悪感なのかはわからない。ただ、なんだかもうしわけない気がしていてもたってもいられない。こういうときはだれにあやまったらいいんだろう? おもいつかないので、とりあえず枕にあやまっておこう。ごめんよ枕。こんなにいぎたないおれをゆるしておくれ。じつはさいきん、とてつもなくねつきがいい。じぶんでもわらってしまうくらいねつきがいい。さあねるかとよこになって、つぎのしゅんかんにはねむっている。とおもう。スイッチを切って照明をけすみたいに、パチンとねむってしまっている。とおもう。なにしろ、「さあねるか」と決心してからねむるまでの記憶というのがまったくない。そのかんの記憶がまったくない。ふつうひとはねむりにつくまえ、枕にのっけたあたまで、その日いちにちのことどもだとかそれまでのじんせいのこしかたゆくさきなどをかんがえたりするものだが、ちかごろそういうのがまったくない。もしかしたらそもそもなにもかんがえていないのかもしれないですけど。
●ぜんぜん話はかわりますが、ちかごろおもったこと。携帯電話の着メロというやつを、エクソシストにしてるひとがときどきいて、意味もなく再生してまわりのひとにきかせて「エクソシスト〜」とかいってよろこんでますが、それはそれでよい趣味ですが、それはエクソシストではありません。「チューブラーベルズ」です。エクソシストからはきりはなせよ。それはちがうんだよ。と、マイクオールドフィールドを守る会会員のおれはつねづねいってるんだけど、でもぜんぜん世間に浸透しない。それどころか「エクソシストの音楽ってさあ、じつはものすごくながくて、さいごまで聴くとしんじゃうんだってさ」とかいう言語道断なうわさまである。なんじゃそれわっ。そしたらおれはもう三千回くらいしんでるぞっ。
●「チューブラーベルズ」というのはマイクオールドフィールドの曲で、デビュー作です。それをつくったときマイクオールドフィールドは、「エクソシスト」のことなんてまるで意識していない。だからあの曲は、あの映画とはきりはなすべきで、そうやってただ音楽だけをきくと、あれってうつくしいとおもわないか? おもわないかなあ。おれはおもう。「ヒーリング」とか「癒し系」とかいった、ハナでわらうしかないようなジャンルの音楽がちかごろあるらしいですが、もしそんなものがほんとうにあるのなら、チューブラーベルズこそそれです。ためしにあのでだしのところを演奏してみればわかる。白鍵しかつかわない簡単なパターンです。やってみてください。どこまでもどこまでもすいこまれてくから。そしてただただ精神が洗浄されてゆく。じっさいおれはピアノとかはぜんぜんできなくて、アレしかできないので、楽器屋にいったときなんかにヒマつぶしに、そこにあるエレピでトレロレロロレロ‥とやってみたりするんだけど、あの曲のおそろしいのは、いっぺんにひきこまれてしまうところで、やめられなくなってしまう。えんえんとひきつづけることになってしまう。もしかしたらおれはこの楽器屋の店頭でひからびるまでこれをひきつづけるのか? としんぱいになってしまうくらいひきつづけてしまう。いや、そんな心配さえできない。なにもかんがえられなくなって、ただもうひきつづけることになってしまう。そして道ゆくひとはヒソヒソと話をはじめる。‥‥ええと、ちっともマイクオールドフィールドを守る方向に話がすすんでいかないのは、これはなぜでしょうか。わかりませんが、とにかくそれはエクソシストではありません。機会があったらきいてみてください。マイクオールドフィールドはとくにさいしょの三枚、「チューブラーベルズ」と「ハージェストリッジ」と「オマドーン」がうつくしいです。なみだなしにはきけません。ほんとほんと。そしてそのあとの「呪文」。これがねえ、もう‥ってきりがないのでいいかげんやめる。ぽいうぽいう。

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