| [2001年04月04日] 桜 |
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菓子パン(あさ) いわしのてんぷら定食(ひる) ラーメン。チャーハン(ばん) |
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窓のむこうに桜がさいているのがみえる。そのむこうには春のそらがひろがっている。それはあまりに平和なけしきで、それでおれはすこしかなしくなる。十代のころは桜がさくとそれだけでうれしくて、なにかすばらしいことがはじまるのだという漠然とした期待で胸がいっぱいになった。そのころとおなじようにことしも桜はきれいにさいたけど、おれはもうあのころとおなじ気もちにはなれないのだとおもうとすこしせつなくなる。桜をながめていたらせつなくなったなんていいとしをしてどうかとおもうんだけど、なっちゃったものはしょうがない。だいたい、いいとしをしたらせつなくなることなんてなくなるんじゃないかと十代のころはなんとなくかんがえていたけど、どうやらそういうものではないらしい。いくつになってもせつなくなることはあって、せつない気もちというのは一生つきあっていかなければならないらしい。やれやれだ。ちょっとまえなんだけど、インターネットにつづられたどこかのだれかの日記をよんでいたら、鎌倉の海をみにいったというくだりがあって、それはもちろんおれとはなんの関係もない話なんだけど、とにかくそういうくだりがでてきて、とたんにおれはいぜん鎌倉の海をみにいったときのことをおもいだした。それはもうはるかいぜんのことなんだけど、電車にのって鎌倉へいった。ちょうど桜の季節で、ぽかぽかとした陽気の日で、桜の花のしたをはしる電車にゆられていると、とつぜん車窓のむこういちめんに海がひろがって、そのさきはぬけるような青空で、太陽のひかりが反射して海はきらきらとかがやいていた。わらってしまうくらい幸福な風景だった。このときのことをおもいだして、なんだかたまらなくなってしまった。どうしておれはあのときのけしきをわすれていたんだろう? あのときの気もちをわすれていたんだろう? いまでもおれはあのときの気もちになれるのだろうか? あの電車はいまでもはしっていて、晴れた桜の日にのることができたらおれはまたあのときの気もちになれるのだろうか? そこまでかんがえて、なんだかおそろしく胸がいたくなってしまった。じつはいまだにちょっといたい。まったく、こまりましたねこれは。って、おれはなにをいってるんだろう。すまんすまん。きょうのひとりごとはこれでおしまい、それではみなさんつぎのどこかのだれかのページへどうぞ。もしきみがしばらくしてまたおれのページにもどってきてくれたなら、きっとそのときはいつものおれにもどってるよ。へらへら。 |
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