[2001年04月23日] かなしばり
菓子パン(あさ)
うどん(ひる)
てんぷら。めし(ゆう)

 もうずいぶんまえなんだけど、地方情報紙というか、ほら、朝刊にときどきおりこまれてくる、ローカルな話題に終始した情報紙ってあるよね。あれにちょっとした文章をかいてたことがある。ネタはなんでもよくて、すきなことをすきなようにかいていいというので、すき勝手にやっていた。やろうとした。でも、おれの原稿を催促しにくる担当の女の子がいて、彼女はなかなかこのみがうるさくて(しかもけっこうこわくて)、「シモはやめろ」だの「さいきん話がきたない」だの「もっとあかるくさわやかなのをかけ」だのといろいろ注文されて、そのとうじはなんだかがんじがらめにされてるなかでかいてるような気がしていた。よくかんがえたらぜんぜんすき勝手にやらせてもらってないじゃないか、とくやんでみてもあとの祭りである。ああいう業界のひとは情報を操作するたちばにあって、ついでにひとを操作するのもたくみなものがある。
 ところで意外だったのは、おれのコーナーなんかにも目をとおしてるひとはいるらしくて、感想をおくってくれるひとがいたことである。五十代とか六十代の女性がおおかったみたいである。というか、ほとんどそればかりだった。実際の新聞なんかでも、まめに投書をしてるのはその年代のひとたちだという気がする。つまり、ありていにいってしまうと、ひまなんですね。たぶん。あんまりおれもひとのことはいえないけど。そこでうけとったお便りにはいろいろあったわけだけど、いちばんおおかったのは「これをかいてるのはどこでなにをしてるひとなの?」というパターンの質問だった。そんなことをきかれてもちょっとこまる。「どこかですき勝手にくらそうとしています。でもけっこうがんじがらめにされてます。」というのがたぶん正解なんじゃないかという気がするけど、そういってしまうのもなんだかもうしわけない。まあよんでくれてればだんだんわかるよ、とおもいながらかいていた。そこには署名というか、文をつづっているおれの名前も記載されてたんだけど、なにもかんがえずに本名をつかっていて、そうやって五年ばかり連載をつづけてたある日、ガールフレンドが「くりたくんがかいてるあれ、あるでしょう? あれねえ、こないだおとうさんがあたしのところにもってきて、この栗田まさおっていうのは、おまえのカレシのあの栗田くんかい? ってきかれちゃったよ」という。これには愕然とした。たとえばきみがホームページに日記をつづっているとして、その日記をガールフレンドなりボーイフレンドなりの両親がよんでいるとしったら、これは驚愕するとおもう。狼狽するとおもう。どんな内容のことをつづっていたにしろ、そうとう後悔するはずだとおもう。赤裸々なシモネタをやっていたりしたひにはもう、一週間くらいは部屋にこもったきり、ふとんをあたまからかぶってもだえくるしむにちがいない。おれのばあいは、赤裸々ではなかったにしてもそれなりにけっこうシモもやったりしていたので、やっぱりもだえくるしむことになった。女の子にとってはボーイフレンドのおかあさんというのが独特の緊張感あふれる存在ならしいけど、男にとってはガールフレンドのおとうさんというのがそれとにたようなもので、そんなひとになんにもかんがえずにハナ毛をぬきながらへらへらとつづっていた作文をよまれていたのだときかされたのだから、とうじは立ち直れないくらいのショックをうけた。なんで本名をつかってしまったんだとはげしく後悔した。しかしどんなにショックだろうと後悔していようと締め切りの日はやってくる。つぎの作文をかかなくちゃとパソコンにむかうんだけど、いまさらアカデミックなことや高尚なことをかきだすのもなにか不自然だし、そもそもそんな話はできない。それいぜんに言葉がでてこない。彼女のおとうさんがよんでいるのだとおもうと緊張してまるでかけないのだ。彼女の家にいって、おとうさんにめんとむかって「ムスメさんをぼくにください、きっとしあわせにしてみせます」と土下座してるような気ぶんになってしまって、とても作文どころではない。なんで自宅のキーボードにむかってるときにそんなに緊張しなくちゃならないんだといわれるかもしれないけど、でもじっさいそうだったんだからしかたない。それまではなんの気なしに、半時間くらいでほいほいしあげていた作文が、一晩うんうんうなってくるしんでも一行もかけないということになってしまった。わらわれるかもしれないけど、おれはこういうところはけっこう繊細なのだ。ぜんぜんかけなくなってしまった。ほんとうにこのときはくるしかった。締め切りというのはくるしいものだと小説家や漫画家のひとがいうのをきくことがあるけど、おれもそれを実感した。それでもどうにかこうにかがんばって、蚊のなくような覇気のない、なにがいいたいのかよくわからないような作文をふたつくらいでっちあげたところで、あまりのつらさに音を上げてしまった。編集部にでかけて、「どうか理由はきかないでくれ。あのコーナーをやめたい」とうちあけた。ほかに選択のしようもなかった。そうしておれはその連載をやめることになったわけだが、おれのじんせいにおいて、作文ができなくなってしまったというのはあとにもさきにもこのときだけである。

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