[2001年04月26日] とりあえず
菓子パン(あさ)
チキンカツ定食(ひる)
すし(ゆう)

 子供のころネコをかっていた。それはイバラギのイナカの家でかわれるにはもったいないくらいきれいなメスネコで、子供のころおれがこのネコに抱いていた感情はいまにしておもうとほとんど恋愛感情にちかいものだった。このきれいなネコがある日、家のなかでまるくなってムシャムシャポリポリバリバリと盛大に音をたててなにかをたべていて、なにをたべているんだろうとちかづいてのぞいてみるとゴキブリだった。‥あ、いま食事中だというかたはいませんか。すいません、ことわるのがおくれて。きょうはゴキブリの話です。
 というわけでそれは日本のどこかに平和にくらしているある女の子のみのうえにおこったできごとなんだけど、彼女が家でひとりごろごろしていたらいきなりゴキブリがあらわれて、とても家のなかにはいられなくなって、そとにでて家族がかえるのをまっていたんだそうである。しかも泣きながらあたりをさまよってしまったんだそうである。やっと買い物袋をぶらさげたおかあさんがかえってきたとき、彼女は路上だというのにわれもわすれておかあさんのあしもとにすがりついて、「おかあさああん、ごきぶりに家をとられたあ、おかあさあああん」と泣きじゃくってしまったんだそうである。道ゆくご近所のひとたちはけげんな顔をしてまゆをひそめてあるいていくんだけど、もう恥も外聞もなく泣きじゃくってしまったんだそうである。ちょっといぜんにしった話なので、すでにおれのあたまのなかでややおおげさに物語がアレンジされてるかもしれないが、大筋としてはだいたいそんな話である。たかだか羽虫いっぴきにたいしてそこまで弱腰というか、逃避的でそれできみのじんせいはこれからどうなってしまうんだという気がかなりするけど、とにかくそういうひとがいる。かとおもえばそのいっぽうで、学生のころの先輩なんだけど、アパートの自室のそこかしこに出没するゴキブリを射殺するというただそれだけのためにエアーガンを購入したひとがいる。その部屋をおとずれると、壁のあちこちにヒットされたゴキブリの体液のしみがてんてんとついていて、イタリアだかスペインだかでオレンジをぶつけあうお祭りっていうのがあったけど、ちょうどあれのおわったあとの家の壁というかんじになっていて、「こ、これは‥」とあっけにとられて先輩をみやるとかれはすっかりデューク東郷という雰囲気で、ちゃっとエアガンをかまえるのだった。しかもエアガンだけならまだしも、手にはあの、なんていうんだろう、シャキーンってつうじる? つうじなくてもいいや、あのシャキーンまで装着していて、たかが羽虫にたいしてそこまで好戦的で、それであなたのじんせいはいいのでしょうかとこれもおもわないわけにはいかなかったけど、とにかくそういうひともいる。そして、いっけん対照的にみえるこのふたりに共通している心情は、いたいほどつたわってくるそのこころもちは、「わたしはゴキブリがキライだ」というものである。あたりまえか。おれだってキライだ。まあとにかく家をくれてやるにしろ、エアーガンにしろ、どっちにしてもゴキブリと人類は徹頭徹尾、なにがなんでも共存はできない運命にあるということならしい。なにがなんでも。そういえばゴキブリっていうのはあわれだなとおもうのは、あれをみかけるととりあえず「殺さなくちゃ」とおもってしまう。そういうひとはけっこういる。おれもおもってしまう。とりあえず殺意。そんなものをとりあえずいだかれていてはゴキブリもたまったもんじゃない。ゴキブリというのも因果な商売である。商売じゃないのか。とにかくかれらもたいへんだ、とふっとしみじみとゴキブリについてかんがえた今宵。そもそもひとはゴキブリについてふっとしみじみとかんがえたりはしないものなのかもしれないけど。

沼の目次