| [2001年05月05日] ポールをうやまう |
| きょうのごはんはまだです。まだ夜が明けていない。 |
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ある映画について、そのすききらいを表明することのむずかしさは、すきなのはまあいいんだけど、きらいだとか、くだらないとか、つまんないとか、そういう否定的な意見なり感想なりを表明することのむずかしさは、どんな映画にもそれがすきなひとがいるってことなんだよね。じっさい、たいていの映画には、それがすきなひとがいるわけだ。それはもちろんなにか理由があってすきなんだろうけど、でも、そういう理由ってのは、ぜんぜんあてにならないものだろ? たとえばクリストファーウォーケンがまばたきをしないのがいやだとあるひとはいうかもしれないし、またあるひとは彼がまばたきをしないところがたまらなくすきだというかもしれないし、クリストファーウォーケンがあまりまばたきをしないというのはこれは事実としても、そこからひとびとがうける印象というのはさまざまなものがあるわけだ。映画にしたっておなじことがいえるわけで、あるひとは「あの映画はひとがバタバタしぬところがいい」というし、おなじ映画についてまたべつなひとは「ひとがバタバタしぬのがいやだ」というわけだし、つまりそれって、ひとがバタバタしぬっていうのは理由になってないわけだろ? あくまで個人的なこのみの問題にしかすぎなくて、みんなに通用する原理とか原則とかではないわけだろ? すきだとかきらいだとかいうのはそんなふうに、どこかあやふやなところが根本的にあるんだから、だったらきらいだとかくだらないとかはわざわざいうべきじゃないとおれなんかはおもうわけよ。すきなのはいいんだよ、べつに。だけど、きらいっていうのはさ、だってほら「きらい」っていうのはちょっと強い言葉だろ? せめて「それほどすきじゃない」とかさ、それくらいにとどめておくべきなんじゃないか? だってさあ、そういうのってほら、その映画がすきなひとがきいたらやっぱり傷つくだろ? そりゃ傷つくよ。すきな映画だもん。すきな映画っていうのは、なんていうかな、すきな女の子とかといっしょで、特別なものがあるんだよ。それをそんな理不尽な、とってつけたような理由でもってくさされたら、だれだっていやだよそれは。おれもね、いぜんはけっこうそういうことしてたんだよ。とってつけたような理由をもちだしてきてさ、あの映画は爆発シーンがないからつまんないとかさ、あの映画は子供が主役だからもういかんとか、撃たれて血をながすやつがでてこなかったら映画じゃないとか、うん、おれはとにかくバンバン爆発してバンバン銃をぶっぱなしてバンバンひとが倒れてしんでくれないと映画みてる気がしないからさ、それであと女の子がTシャツのしたのおっぱいをたぷんたぷんゆらしてくれてればもうなんにも文句はないからさ。ちょっとかたよってるかな。うん。それはおれもみとめるよ。かたよったこのみだとはおもう。でもすきなものはしょうがないだろ。問題はさ、それがすきなのはしょうがないとしても、そうじゃない映画を、そうじゃないからという理由でくさしまくってたことなんだよな。おっぱいをゆらしてる女の子がでてこないからこの映画は駄目だとかいっちゃったらさ、その映画がすきなひとはがっかりするよな。それはそうおもう。うん。だからおれもね、いまはすごく反省してる。そういうのって、いうべきじゃなかったんだとこころからおもってるよ。だってさあ、なんどもいうみたいだけど映画のこのみっていうのはひとそれぞれでどうのこうのでぐじゃたらぐじゃたら‥‥‥」 ☆ 敬愛するポール・バーホーベン監督。わたくしを取り巻く環境はかくかようにきびしいものがありますが、それでもわたしはあなたの『ロボコップ』が映画史上最高の傑作であるといまもしんじています。あと『スターシップ・トゥルーパーズ』もすばらしかったです。監督のますますのご活躍を東の果ての島から期待してやみません。どうかおからだに気をつけてこれからもがんばってください。ぽいう。 |
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