[2001年05月06日] (泣)
ひやしうどん(ひる)
ひやむぎ。ビール(ばん)

 どうも世の中つねづね不公平というか、男と女をくらべると男のほうが不利なんじゃないかとおもってしまうのは、たとえば涙である。男は泣いちゃいかんのである。どんなに泣きたいときがあったって、かおでわらってこころで泣いて、通信の世界でよくみるところの「うはは(泣)」とかなんとかいうかんじなんである。どうおもうよ、これ? それは不公平じゃないか? 男だってうれしいにつけかなしいにつけ涙はでてくる。それはもう、空のうえのだれかがそういうふうににんげんをつくってくれたんだからしょうがない。にもかかわらずどういうわけか世間では、男は泣かないものというふうにきめつけられている。納得がいかん。なぜなんだ。だいたいもう片方のじんるいはねんがらねんじうわけのわからんくだらんことでピーピー泣いてるくせに、なんでこっちがわのじんるいは泣いちゃいかんのだ。おなじじんるいじゃないか。にたようなものなんだから、泣くときは泣くだろうが。とこころからおれはそうおもうのだが、しかしいまさらどんなに主張したところで世の中のしきたりがとつぜんひっくりかえるわけでもないし、だいたいおれ自身、男が泣いてるのをみるとたいていバカにみえるか薄気味悪くしかみえないので、まあしょうがないかとうけいれて、なるべくひとまえでは泣かないようにしている。よのなか深くかんがえるより、さっさとうけいれてしまったほうがいいことっていうのはたしかにある。
 しかしどんなにガマンしても涙がでてくることはある。しかもそれはひとりでいるときだとはかぎらないからこまる。たとえば映画館というのがそうで、ハタチのころに親戚の子供ふたりをつれて『風の谷のナウシカ』というのをみたんだけど、このときはこまった。おれはどちらかというと映画はけっこうくるタイプのにんげんで、このときもおもいきりきてしまった。でもとなりには親戚の子供達がいる。こいつらはまだじんるいの域に達していないので、この壮大な愛とタマシイの物語がさっぱり理解できなくて、おしまいの感激のシーンにきてもぽけ〜とスクリーンをながめている。おまけに劇場の客の大半は子供で、どいつもこいつもそろいもそろってぽけ〜としている。こっ、こんなところで泣くわけにはいかない。な、泣くもんかっ。ああ、でも、なんていい映画なんだっ、とえんえんと歯をくいしばってこらえていたのだが、さいごにとうとうがまんしきれなくなって、ついほろっと泣いてしまった。涙というのは一度堰をきってしまうともうだめで、いっしょにきていた子供がおびえるくらいあとはぼろぼろ泣いてしまった。そして親戚のマサオおにいちゃんは以後、映画館で涙を流すヘンなおにいちゃんになってしまったのであった。
 だいたい映画というのはその性格上、みるまえはどんな映画なのかをしっているわけにはいかなくて、とくにラストがどうなのかをきいておくわけにはいかないので、安心してみていた映画がおしまいになってがぜん泣かせる話になられたりするとかなりこまる。おいそれはないだろうといいたくなる。さいきんはけっこうそういうのがあって、女の子といっしょにみる映画というのは、たとえば、これなら大丈夫だろうとブルース・ウィリスとかにしておいて、トム・ハンクスとかはこれはあやしいからあとでこっそりひとりでみようというふうに取捨選択してるんだけど、さいきんはどうもブルースも裏切るのでこまる。かといって女の子をつれて劇場でおいおいこえをあげて泣くわけにもいかないので、泣きそうになってしまったときにはぜんぜんべつなことをかんがえて気をまぎらわすことにしている。はやめにいきそうになってしまったときにぜんぜんべつなことをかんがえて気をまぎらわすのといっしょである。でもそっちはがまんすればするほどあとがおたのしみになるからいいけど、涙というのはがまんしてそれでおわりである。たんに欲求不満をつのらせておわりである。それじゃなんのために映画をみにきてるのかわからない。ぜんぜんモトがとれていない。しかもとなりの彼女はそんなおれの苦労もしらず、さめざめと気がすむまで泣いていたりする。これを不公平といわずしてなにを不公平という? おれだって映画館でハナ水たれるくらいおもいきり泣きたいよ。そういえばいぜん、ターミネーター2という映画があったけど、あれは泣くよね。さいご、みずから溶けちゃうんだもんなあ。泣くだろうがこれ。にんげんが涙を流すわけがわかっちゃうんだよ? これは泣くだろう。ってムリに涙を強要してるみたいだけど、とにかくおれはダメでした。涙とまりませんでした。ところがおれはこれをシアトルでひとりでみてたので、もうここぞとばかりおもいきり泣いてやった。どうせまわりはアメリカ人だ、かまうもんか泣いたれ泣いたれとばかりにそれまで映画館でこらえてきたいっしょうぶんの涙を流してきてやった。気持ちよかったです。かなり。
 そんであと泣くといえば本なんかはどうかというと、これもたいへんこまることがある。そんなのはそれこそこっそりひとりで読んでればいいじゃないかときみはいうかもしれないが、そうじゃないときというのがあるのだ。たとえば? たとえば中学生の英語の教科書にぽつんと掲載された忠犬の物語というのがそうだ。あの、駅にまいにちまいにちご主人をむかえにいったいぬの‥‥‥くっ。(かいててまた泣きそうになってしまった)ち〜ん。(ハナをかんだおと)けほけほ。‥む。失礼しました。すまんすまん。ええと、そんでとにかくそういうかしこい犬の話というのがあって、これなんかもういままでおれがつきあってきたお姉ちゃんたち全員に読ませて読書感想文(十枚)をかかしてやりたいくらいそれはそれはすばらしい忠義の物語なんだけど、ところがおれはこれがこんな泣かせる話だとはしらなくて、いやもちろんどういう話なのかはしってたんだけど、ちゃんと一から順をおって聞かされたことがなかったので、こんなにもおれのツボにくる話なのだとはしらなくて、そんなのが中学生の英語の教科書にいきなりのっていて、そんでもっておれが塾の先生として中学生たちをまえにしてそれを読んだんだけど、ところが、読んでるうちにとちゅうから涙があとからあとからとまらなくなってしまった。だって、泣くだろうこれ。信じられるかみんな。まいにちまいにちご主人さまを駅にむかえにいくんだぞ? だけど、だけどご主人さまは、かっ、かっ、かえってこないんだぞ? それでも駅へ、‥くっ、駅へ‥、くっ

●とつぜんですが
きょうの話はこれでおわります。

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