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→やあみんな元気かい。おれがぽいうだ。放送をきいてくれてありがとう。今夜もいかした音楽をがんがんかける、しばらくつきあってくれ。
→オーケー、じゃあきょうはまず、むかし話からはじめることにしよう。もう二十年もいぜんの話だ。そのころおれの暮らしてたビルにはすてきな屋上があって、四方がぐるりと見渡せた。初夏のある日、おれはよく冷えた缶ビールとビーチマットを手にそこへのぼって、昼寝をすることにした。気持ちのいい午後でね。ひとまずおれはあたりをながめながら、最初の缶ビールにくちをつけた。すこしはなれたの家の庭で、じいさんがひとり、せっせと穴を掘っているのがみえた。スコップをにぎって、一心不乱に庭を掘っている。だれかが汗水たらしてるようすを見物しながらのむビールほど眠気をさそうものはない。やがておれはここちのよい眠りにおち、つぎに目をさますと太陽はかたむきかけていて、じいさんはまだ穴を掘りつづけていて、それはちょうど棺桶がひとつはいるくらいの大きさになっていた。おれはビーチマットをかたづけて部屋にもどった。すこしして再度屋上にのぼり、もう一度じいさんの家の方角を確認すると、じいさんは、穴をうめているところだった。そして日が暮れるちょっとまえにじいさんは穴をうめおわり、家のなかにきえた。あとにはたいらな庭がのこされていた。つぎの日も上天気で、ひるまえに目をさましたおれが屋上にのぼっておなじ場所をみると、じいさんはまた穴を掘っていた。ちょっとおどろいて、それからおれはそこを確認するのが日課になった。そしておれがしりえた事実は、いいかい、じいさんは晴れの日はかならずあさから庭のおなじ場所に穴を掘り、掘りおえるとこんどはそこをうめ、日が暮れるまえにすっかりうめおえて家にもどるということだった。日がのぼったらやみくもに穴を掘り、それをうめ、日が暮れたら家にもどる。そのくりかえし。それがじいさんの一日らしかった。ふしぎというしかない。とどのつまり、頭のおかしいじいさんだったのかもしれない。でも、それにしたってふしぎな行為だ。みんなだってそうおもうだろう? ひとむかしまえの実存主義の哲学者がなにかの象徴としてつかいそうな逸話だ。そんなふしぎなじいさんが、そのとうじ、おれのすんだビルの近所にいたってわけだ。
→それからしばらくして、あるコピーライターにおれは、このじいさんとその奇妙な行為について話をした。おれは笑い話のつもりでおもしろおかしく話したんだけど、ところがね、話がすすむにつれてコピーライターはだんだんむつかしい顔になって、おれが話をおえると、すこしだまったあとで「それっておれたちの人生だな」といった。それでおれはちょっとこまっちゃったのさ。なぜならおれも、ずうっとおなじことを考えていたからだ。だれにもおしえてなかったけどね。じいさんのふしぎな行為をながめながら、あれはおれたちの人生じゃないか、って考えていたのさ。
→その後どうなったかというと、冬のちかづいたある日、じいさんが行方しれずになった。警察がよばれ、周囲の聞き込み調査を開始したかれらがおれのところにきたとき、おれは、あの家の庭の土のあたらしいところを掘り返してみるようにと提案してみた。半信半疑で警察がそこを掘り返すと、そこからでてきたのは‥‥というのはぜんぶ冗談で、やがて町の再開発というやつがはじまっておれのビルがとりこわされることになり、おれは引っ越した。それからのじいさんのことはいっさいわからない。いまでも穴を掘っているのかもしれないし、あるいはドミノ倒し世界一に挑戦をはじめたのかもしれないし、もうしんでしまったのかもしれないし、そのどれでもないのかもしれないし、つまり、ぜんぜんわからない。じいさんのふしぎな行為はだれの話題にものぼらず、どこかの町のだれかの家の庭でひっそりとおこなわれ、人類の歴史にはなんら関与することなく、ただコピーライターとおれの胸にふしぎなおもいをのこしてきえてゆく。
→もしおれがボブディランだったらこのことについて、みんなにガツンとくらわせてやれる一曲をモノにしているはずなんだけど、残念なことにおれはボブディランじゃない。だからかわりにこれをかけることにしよう。ボブディランで、「メンフィス・ブルーズ・アゲイン」。
→そう、おれはじいさんにきいてみたかったんだよ。それはなんのことかって。かれがなにもいわないだろうことはわかっていたけれど。
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