| [2001年07月22日] 宇野先生 |
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トマト(ひる) スズキのやいたの。ゴーヤとコンビーフのいためたの。しょうが。オレンジいろのトマト。なすのみそしる。めし(ゆう) |
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高校のときの古文の先生なんだけど、宇野先生っていうわりとおとしをめした先生がいた。宇野先生は板書もなにもしなくて、はじめからおしまいまで椅子にすわってぶつぶつと話をするだけの先生で、生徒が話をきいていようがいまいがただぶつぶつとつぶやくだけで、じつをいうとおれはその話をまともにきいたことがないので、だから先生がまえの晩の夕ご飯の献立だとか中学時代の初恋の思い出だとかをつぶやいていたのだとしてもそれはわからない。宇野先生の授業中は、おれはただひたすらにねむっていた。それはおればかりじゃなくて、まわりの連中もそうで、たいていのやつはいねむりをしていた。古文の授業は午後いちの、ひるごはんをたべた直後の時間帯ばかりだった。これでねるなというのは無理な注文だ。ぽかぽかした陽気の午後の授業中に熟睡をして、はっと目をさましてあたりをみまわすと、クラスの全員が机につっぷしていてびっくりしたこともある。しかし宇野先生もさるもので、そんな状況にもかかわらずまるでみだれることなくぶつぶつと千年もまえのだれかの日記についての講釈をたれながしている。それはもはやひとをねむりにいざなう呪文でしかない。校舎は小山のてっぺんにあって、その四階の教室はその町でいちばんたかい場所で、窓際のおれの席からは町ぜんたいがみわたせた。とおくの田んぼのなかを二両編成の鉄道がおそろしく緩慢にすすんでいくのをながめながら、宇野先生の呪文をみみにしながら、そうやっておれはまたふかいねむりにおちていくのだった。そういうことをくりかえしていくうちに、ふしぎなもので、宇野先生をみただけでねむたくなるのに気がついた。先生のかおをみて、先生のこえがきこえただけでもうねむくてたまらない。授業をさぼって保健室のベッドで女の子と性交をしていたらとなりの教室から宇野先生の講義がきこえてきて、行為のさいちゅうだというのにねむってしまったこともある。というのはもちろんうそだが、かといってほんとうにそういう状況におちいったらさいごまで目をさまして行為を完遂できたかどうか、おれには自信がない。宇野先生の呪文をきかされたら、なにをしていたって目をさましていられる自信はない。それくらいねむいひとだった。おれのじんせいであれほどねむたかったひとはいない。あの授業、カセットテープに録音しておけばよかったな、そうしたらいつだってすぐにねむれたのにな、とねむれない夜なんかにふとおもったりする。 |
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