[2001年09月18日] 戦争
カレーパン(あさ)
チキンカツ定食(ひる)
カレーライス。ビール(ばん)

→さあ、じゃ、今夜もまた、おもいつくことをかいてみる。あまりにとうとつな話だけど、戦争についてすこし話す。むかしむかし、なつかしの二十世紀にベトナム戦争というのがあって、それに関する本ばかり読んでた一時期があって、そして、戦争というものについて、おもったことがいくつかあるんだ。たとえばこういうこと。戦争というのは、撃たれるということだ。撃たれるというのは、じぶんのからだのどこかに穴があいて、そこから血が噴きでてくるということだ。噴きでてくる血をながめながら「このままおれは死ぬのだろう」とかんがえたりするのだ。そこで時間が止まる。そして、運よくいきのびることができたとしても、それから20年後に、平和なベッドのうえで、撃たれた夢をみて、汗だくで目をさましたりするのだ。あるいは戦争は、ひとを殺すということだ。殺したやつの死に顔をみて、そいつがじぶんとおなじ年ごろであるのにとまどい、それから、そいつのそれまでの人生を想像したりするのだ。そして、20年後に、じぶんの娘に「お父さんは戦争で人を殺したことがあるの?」とたずねられたりするのだ。あるいは戦争は、仲間が死ぬのを見とどけるということだ。そんなにも簡単に人が死ぬことにショックをうける。そこで時間が止まる。死者はおれたちの頭のなかにすみつき、おれたちを誘う。平和な20年後でさえ、誘いつづける。一生、誘いつづける。それから戦争は、おれたちの正気をくるわせる。いまじぶんが死ぬかもしれないという緊張にじぶんをさらしつづけている。それでくるわないほうがどうかしてる。ひとを殺すのをためらってはならない。「死」にいちいち敬意をはらってもいられない。そういう日常をすごして、そこから平和な社会に戻ったとき、まともに復帰できるやつはたいしたものだ。しかも戦争は美しい。金のかかったショーだ。もちろんみにくくもある。くさい。おもい。つかれる。笑いもある。義理と人情だってある。なんだってある。
→そういう種類のことを、二十歳かそこらの人間が体験する。じぶんが二十歳のころ、どんなことを考えていたかをおもいだしてみる。じぶんがどんなに青臭いガキだったか。おれは二十歳のとき、人生や神や世界平和や、そういうことについて考えていた。その二十歳のおれが、撃たれたり仲間を殺されたり、そういう体験をするときのことを考えてみる。それからおれはとうとう、じぶんが戦場で死ぬときのことや、だれかを殺すときのことを考えはじめる。なにもよりどころのないままにだれかを殺してしまうじぶんのことを考えてみる。そして得た一行というのがあって、それはこうだ。

  「戦争は、われわれの胃腸の具合に悪影響をもたらす場合が多い。」

→おれがぽいうだ。またあおう。

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