| [2001年09月21日] 才能 |
|
イチゴスペシャル(あさ) ラーメン(ひる) のり。たまご。つけもの。やきなす。めし(ばん) |
|
才能っていうのはたしかにあって、たとえば音楽の世界では、おそろしく耳のいいやつというのがいる。おれなんかはさいしょギターをおぼえるときに、気にいった曲のレコードやテープをかけて、どこをおさえればおなじ音がでるかをさがしながら、そうやってすこしずつまなんでた。レコードなりテープなりをくりかえしくりかえしかけて、ああでもないこうでもないとフレットのうえで音をさがしまわって、へたしたら五分の曲をコピーするのに一日も二日もかけたりしてた。ところが、なかにはときたま、ぱっとすぐにおなじ音をだせちゃうやつというのがいて、いっかいきけばたいていの曲はそのとおりにひきだしたりして、なかばあきれながら「なんでそんなことができるんだ?」ときくと、「なんでできないんだ?」とぎゃくにききかえされたりした。うまれつきそれができるやつには、たとえば呼吸をするみたいに、だれにおそわらなくてもあたりまえにできるのであって、だから「なんで」ときかれてもこまるんだろう。そういうのが才能だ。おれは音楽の才能がほしかったなあとおもう。なにかひとつ才能をくれるなら、音楽がよかったよ。というのはつまり、おれにはその才能がないからだ。じぶんでいうんだからまちがいない。音楽の才能はない。そのかわり、歌はわりとうまい。うまいんじゃないかとじぶんではおもってる。ただ、致命的に音痴だ。音痴で歌がうまいというのはおかしくないか、ときかれることもあるけど、そういうときはちっちとゆびをふって、わかっちゃいねえな、歌のうまさと音感というのはべつものだ、とえらそうにこたえてる。もちろんあまりなっとくはしてもらえない。そんなわけでおれは歌がうまいのだが、そうおもってるのはよのなかでおれひとりという、孤高のシンガーである。あとほかになにか才能はないのかとじぶんのてのひらをじっとながめながらかんがえるんだけど、どうもろくなものではない。スポーツは、だめというほどじゃないけど、とくにどうということもない。十人並みだ。絵画は、みとめよう。その才能はカイムだ。漢字でかくと皆無だ。彫刻だとか造形だとかはますます悲惨だ。だいたい方角がわからない人間に彫刻をさせてはいかん。作文は、この程度だ。弁論は、まあたしょうはくちがうまいかもしれん。でもそういうのはひごろの行いに裏打ちされる部分があるので、いったんひとから信用をうしなうと、なにをいってもダメというめんはある。おおいにある。というわけで、なんでしょうか諸君、これは。してみるとおれにはなんの才能もないんでしょうか。あの、こんなおれでもおっけーっすか。‥ダメ? ダメなの? まあそういわずにさ。そこをなんとか。ってだれにいってるんだ。でも、こういうのもなんとなくくやしいので、なにかひとよりぬきんでているものをムリヤリにさがしてみるんだけど、そういえばおれは、牛乳のはやのみはとくいだった。おいおいなんだよそれはよ。ほかにねえのかよ。という意見もあろう。もっともだ。おれもまったく同感だ。かといって、ほんとにほかにこれといっておもいつかないんだからしょうがない。しいてあげるなら、なんだろう、そうだなあ、女の子をだますのはうまいかもしれない。これにかんしては、おれって天才じゃないのかとわれながら感心しちゃうようなときがあった気はする。でも、それとおなじくらい女の子にだまされるのもうまかったので、相殺というか、いってこいというか、あまりこの才能はじんせいのプラスになっていないみたいである。いろどりにはなったけど。だいたい、そんなのは才能っていうのか。才能っていうからにはやはりこう、ひとをうっとりさせたりだとか、たのしませたりだとか、感心させたりだとか、感動させなくちゃならんじゃないか。ひとから失笑をかったりうらみをかったりするのは、そんなのは才能とはいわん。なにかおれにもひとつくらい、ましな才能はなかったのかよおっかさん。そうつぶやきながらたんすのスミをさがしても、でてくるのはホコリばかりでありました。あちゃー。 |
![]() |
| ◀ ▶ |